彩風に、たかく翼ひろげて 15
「白城の鷹は男を抱くのか」
「その弟は、そこいらの女よりは使える顔らしいですがね。けれど男なんざ、よくも抱く気になれるもんっすねえ。俺ゃあ、酔っててもモノがついてりゃ萎えちまいますが」
「男の尻が好きな親分に、子分らもよくついていくもんだ。おお、怖い怖い」
男たちが馬鹿にしたように笑う。蛇定も口をゆがめて笑っていた。頭に血がのぼり、思わず立ちあがりそうになる。
「こら、暴れるな」
小声で押さえつけられて、隼珠は我に返った。
「見つかったら面倒だろう」
「……」
そうだ。ここで暴れたら、迅鷹にも、手引きしてくれた料理人にも迷惑がかかる。
「ここはこらえろ。いつかちゃんと、俺があいつらを叩きのめしてやるから」
迅鷹は隼珠の身体を背後から抱きしめてきた。鎮まれ、というように腕を優しくさする。自分だって馬鹿にされて悔しいだろうに、人としての度量が大きいのか、迅鷹は怒っていても余裕があった。
「……すいやせん」
「ああ。大人しくしてろ。せっかくの機会だ」
しばらくそうして、じっと隣に耳をそばだてる。そのうち芸者がやってきて内輪の話も終わり、場が騒々しくなった。
これ以上は有用な話もないだろうと判断して、隼珠と迅鷹は足音を忍ばせ料亭を後にした。
夜道に出て、ホッと一息つく。
「親分」
少し行くと、物陰から亮が姿をあらわした。用心のために連れてきていたらしい。
「おう。ご苦労だったな」
返事をした迅鷹が、隼珠を連れて先を行く。亮は少し後ろから従うようについてきた。
「隼珠。お前のおかげで、いい話が聞けてよかったぜ」
星あかりを背に迅鷹が言った。
「へい」
自分のしたことは役に立ったらしい。嬉しくて、思わず声が弾んだ。
「あいつらがうちの仕事を邪魔しようとしてるのはよく分かった。現場は見張りを増やして用心することにしよう」
迅鷹があごを手で擦りながらつぶやく。隼珠は誇らしい気持ちになった。
「赤尾の連中があの料亭に来る日は、俺のところに連絡が来ますから。俺、これからもあそこに忍んでって、あいつらのこと探りやす」
間諜の仕事は、他の子分はしていないだろう。自分だけができる特別の仕事だ。迅鷹のためならいくらでもあの料亭に通おう。
「いや、だめだ」
けれど、迅鷹はキッパリとそれを拒否した。
「え?」
隼珠は目を見ひらいた。
「お前はもう、あそこへは行くな」
立ちどまった隼珠をおいて、迅鷹は先へ行ってしまう。隼珠は慌てて追いかけた。
「ど、どうしてっすか」
役に立つ話を聞けたというのに。
「二度と、あの部屋には行くんじゃない。背いたら許さねえぞ」
「……なんで」
呆然とする隼珠に、迅鷹はちらと目をくれてきた。
「お前、さっき自分の話が出たときに、短気を起こして蛇定にバレそうになったろう」
冷たく言われて、隼珠は言葉につまった。
「……それは」
自分のことを言われたからではない。迅鷹が馬鹿にされたからだ。
「もし、俺がいなくてあのまま騒ぎをおこしていたら、今ごろは斬り刻まれてこの世にはいなかったろうよ」
確かにその通りだ。隼珠は何も言い返せなくて黙りこんだ。
「お前は、いっけん大人しそうで従順だが、頭に血がのぼるとすぐに手が出る。それが危なっかしい。だから、あそこへはもう行くな」
「……けど」
けれど、そうしたら、自分ができることは少なくなってしまう。
「お前が蛇定を憎んでることはよくわかってる。初めて会ったときもひとりで蛇定を倒そうとしていたしな。仇討ちをしたくて赤尾のことを調べてたんだろう」
言われて、隼珠はうなずいた。
「だが仇討ちは俺がする。お前は危ないことはせずに、だまって見届けてりゃいいんだ」
迅鷹の言葉に隼珠はひどく傷ついた。自分はそんなにも役立たずなんだろうか。
「……嫌です」
「なに?」
隼珠の答えに迅鷹は驚いた。後ろにいた亮も驚いたことだろう。博徒一家に属する者で、親分の言いつけに逆らう者などいない。『親』の言うことは絶対だからだ。逆らえば『子』は殺されても仕方がない。そうやって博徒社会の秩序は保たれている。
しかしそれを言うのなら、隼珠は子分ではなかった。世話になっている居候だが、迅鷹は『親』ではないのだ。
いや、それ以上に、隼珠は自分の存在が否定されたようでつらかった。
「だったら、俺を、蛇定を討つときに連れて行ってください」
迅鷹が立ちどまる。亮も足をとめた。
「おめえ、俺に取引しろってえのか」
振り向いた迅鷹の顔に、凄味が生じる。ドスのきいた声をだされて、思わず竦みあがった。けれど隼珠の負けん気は、怖れを上回っていた。
「俺も行きたい。一緒に闘いたいんです。俺は、鷹さんの役に立ちたい。俺だけ留守番なんて絶対に嫌だ。俺だって、兄ちゃんの仇を討ちたいんだから」
手が動かなくたって。長脇差を持てなくたって。匕首で闘える。
迅鷹の怒りを増長させる覚悟で言う。声は震えたが、黙るつもりはなかった。
「道場通いで、足だって使えるようになってる。まだ少しだけれど。でも、足手まといにならないように、ちゃんと鍛える。それに右手は動くから、鉄砲だって使える。ゲベール銃なら撃ったこともある。使い方も知ってる。槍とかは……無理だけど」
使い道があることを伝えたくて懸命に喋ったが、最後は尻すぼみになってしまった。よく考えれば、やはり自分はそれほど戦力になりそうもない。
「なんでも、できることはしやす。命なんて惜しくない。俺はもう、十のときに死んでたはずなんだから。今生きてるのは兄ちゃんの仇を討つためであって、それができりゃあ、心残りになるものはなにもないんです」
隼珠が拳を握りしめると、迅鷹の表情にも変化が生じた。気持ちがたかぶってしまった隼珠は、不覚にも目に涙までためていたらしい。それを迅鷹はじっと見おろしてきた。
「だから、一緒に連れてってください」
駄目だと言われれば、ひとりでも殴りこみにいく覚悟で告げた。殺されるのは怖くない。蛇定に一太刀でも喰らわせてやることができればそれでいい。
その意気が伝わったのか、迅鷹はしばらく沈黙したのちに大きくため息をついた。
「しょうがねえな」
腕を組んで、泣きそうな隼珠を眺める。
「わかった。そのときが来たら連れていってやろう」
「本当ですか」
親分の方が折れたのが信じられなくて、隼珠は思わず大きな声をだしていた。
「そこまで言われて連れてかねえんじゃ、男がすたる。仕方ねえ、連れてってやる」
「あ、あ、ありがとうごぜえやす」
「その代わり」
迅鷹は口調を変えた。先刻と同じ、厳しいものになる。
「蛇定を討ち取った後は、お前は白城の家を出ろ」
「……え?」
「堅気に戻るんだ」
迅鷹の言葉に、隼珠は目をむいた。
「お前はもともと博徒じゃねえ。これを機にやくざ稼業からすっぱり足を洗って、元いた世界に戻れ」
「お、俺、出て行っても、他に行くところなんて、ない……です」
「だったら、街中に店を用意してやる。そこで商売でもはじめろ」
「商売なんて、やったことないです」
「誰だって最初はやったことねえだろ」
隼珠は震えるように首を振った。
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