リカバリーポルノ 04


「嘲笑ってたんだろ。皆で、ホモだのキモイだの。知ってるぞ。クラスの掲示板に何書かれていたか」
 建翔は当時のことを思いだした。
 そうだ、羽純が自分に告ってきた後、酔った弾みで当時の彼女に彼の告白をもらしていた。彼女も口のかるい女で、翌日にはクラスの女子が残らず事実を知っていた。クラスの連絡用ブログに噂話が書きこまれ、羽純は不登校になり、そして間もなく大学を去ったのだった。
「……すまない。許してもらえるのなら、何でもする」
 羽純が頭上で笑う。
「何でもする? ずいぶん安いな」
「契約を続行してもらえるのなら、どんな言うことでも聞く。あのときは俺が悪かった。けど、仕事は別だろ。頼む。助けてくれ」
 ――原料名、配合条件、製造過程。
 それが頭に浮かんだ。契約続行とそれが欲しい。どうしても。
「自分勝手なところは変わってねえな」
 相手の声は震えていた。
「いいだろう、契約続行の手続きはしてやる。ただし、俺の言うことを聞いたらだ」
「……本当に?」
 光明がさした。暗い床に。
「ああ。お前に俺の苦しみがどんなだったか、思い知らせてやる」
 羽純の足はまだ建翔の頭にのっている。
 けれど事態がよい方向に進み始めている気がして、建翔は痛みを忘れた。
「俺の前で、男に掘られろ。それが条件だ」
「……」
「嫌なら契約はなし」
 グリグリッとつま先をひねられて、髪がザリザリッと音を立てた。
 ――男に、掘られる?
 つまり、ケツを犯されろと?
 目を見ひらき、言われたことを心の中で反芻する。
「お前も、人に軽蔑される痛みを知れよ」
「だったらっ」
 俯いたまま、建翔は声を張りあげた。
「だったらッ、そこまでさせるんなら、プレラの原料を教えてくれっ」
「は?」
「原料名、配合条件、製造過程。それも教えてくれ。そうしたら何でもする」
「……お前」
 羽純が呆れた様子で呟く。 足の裏から力が抜けていくのがわかった。
「失礼します。……キャッ」 
 そのとき、扉の近くから小さな悲鳴が聞こえてきた。多分、女子社員がお茶でも持ってきたのだろう。床にひたいをこすりつける建翔の横までカツカツとヒールの音が近づいてきて、テーブルに茶器をおく音がしたかと思ったら、瞬く間にそれは去っていった。バタンとドアがしまり静寂が戻ってくる。
 その間も、足は建翔にのったままだった。
「……いいだろう」
 再びふたりきりになった部屋で、羽純が静かに言った。
「お前が男とヤれたら、そっちの頼みも聞いてやる」
「…………」
 頭の中で素早く取引条件を天秤にかける。――原料名、配合条件、製造過程。男と寝れば、それが手に入る。
「……本当に?」
「ああ」
 相手の命令を聞けば、とにかく最悪の事態はまぬがれるのだ。
 目の前のビニル床材を見ながら、建翔はひとつの大きな山を越えられたと思った。どんな方法であれ、解決の仕方は提示されたのだ。
「……わかった」
 だされた条件の最悪さも実感がないまま、ただトラブル処理のために承諾する。
「そうさせて……もらう」
 自分の答えに、頭上の羽純がどんな表情をしているのか、たしかめる余裕はなかった。


◇◇◇


 羽純は、建翔が条件を呑むとは思っていなかったのだろう。でなければ自社製品の極秘データをライバルに渡すなど、普通ならとんでもなくあり得ないことを約束するはずがない。あいつはあいつで、こっちを甘く見ている。そんな気がした。
 研究所に帰ってから、建翔は痛む後頭部をもみながら考えた。
 男にケツを掘らせる。それはどういうことなのか。
 元来、理系頭の自分は、繊細な感覚を持ちあわせていない。いや、理系男子が全て鈍感という訳ではなく、自分がそうなのだ。
 感情より理論。曖昧な心より明確な言葉。歴代彼女にも『あんたは無神経。人の気持ちがわからない』と言われ続けた。それは否定しない。だから大学時代、羽純にもあんなことをしてしまった。
 あのとき、自分は反省はしたが、羽純の心中をさほど思いやることはできていなかった。
 奴がホモであることは明らかなのだから、リスクを抱えて生きていくのはしょうがない、最善の生き方を選ばなければ、誰だって幸せになることはできはしない――などと自分で自分にうそぶいて終わっていた。
「原料名、配合条件、製造過程」
 口にだして呟いてみる。
 今、自分に必要なのはそれだけだった。これを選ぶのが最善の道だ。そのために、尻を男に差しだすリスクについて考えてみる。
 ゲイセックスについての知識は一応、人並みにはある。試したことはないが。
 恋人も、現在は独り身だが、過去に三人の女性とつきあったことがある。そして男に興味はない。学生時代、羽純のことは可愛い顔だと思っていたが、だからといっておかしな気分になったことはなかった。アナルセックスの経験もない。
 けれど冷静に考えてみれば、掘るというのは、ただ単に尻の穴に男性器を突っこんでピストン運動をするだけのことなのだ。数時間、いや実質数十分、我慢すればいいだけだ。痛いのは自分だけ、誰にも迷惑はかけない。それで全てが手に入る。見知らぬ男に掘られるところを羽純に見られるのには抵抗があるが、喉から手が出るほど欲しいデータがもらえるのならば耐えられる気がする。
 だったら自分の身体を貸してやるか。うぶな少年でもあるまいし、こっちは三十路手前のオッサンだ。ケツの穴を惜しがることもない。
 建翔はスマホを取りだした。羽純と連絡先は交換している。
『詳細決まり次第連絡ください』
 と打ちこんで、とりあえず覚悟を決めた。


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