彩風に、たかく翼ひろげて 25
「……これは?」
「あけてみろ」
言われて、袱紗をひらいてみる。すると、中から銀色に輝く蓋つきの懐中時計があらわれた。蓋に繊細な装飾が施され、細い鎖がついている。
「こ、これは」
びっくりしていると、迅鷹が手を伸ばして蓋をあけてみせる。中の文字盤も凝った作りだった。高価な懐中時計は金持ちが手にしているのを遠くから見たことはあったが、目の前で見るなんて初めてだ。
「どうだ。きれいだろう」
「へ、へい。すごく、きれいですね」
壊れ物を扱うように、そっと手の上で角度を変えてみる。そのたびに、きらきらと部品のひとつひとつが煌めいた。
「もうひとつある」
迅鷹は、目の前の別の袱紗を取りあげた。そちらは自分の手でひらいて見せる。中にも同じ懐中時計があった。いや、よく見ると少し違っている。彫刻された蔦と葉が、隼珠が手にしているものと対になっている。
「これは、沢口さんに頼んで、横浜の舶来品を扱う商人から仕入れてもらったもんだ」
「へ、へえ」
と言うことは、これは異国の品なのか。沢口がふたりを見ながら答えた。
「商用で横浜にはよく行きますのでね。ご希望に沿った品が見つかってよかったです」
沢口は目を細めて笑った。けれど、そこには抑えきれない嫉妬が含まれているようだった。
「そっちの品はお前が持ってろ」
「へい?」
隼珠は目を瞬かせた。
「俺が、ですか?」
「そうだ」
どうしてこんな高そうな時計を自分に預けるのだろう。首をかしげた隼珠に、迅鷹は微笑んだ。
「それは、お前のだ」
「えっ」
「お前にやるって言ってるんだよ」
「お、お、俺に? こ、こんな、高価なモノを? どうしてですか?」
「俺と揃いだ。そういうのを持つのもいいだろう」
「け、けど、これは、俺にはもったいなさすぎます」
いくらする物なのか見当もつかないがきっと高いに違いない。自分には身のほどをこえた高級品だ。
「俺が持たせてやりてえんだ。黙って受け取っとけ」
「……」
隼珠は手の中にある品を眺めた。こんな素晴らしいものが自分の持ち物になるなんて。
ありえないことだった。
「綺麗だろう」
「……へい」
「それは、お前のために取りよせたんだぜ」
「……えっ」
「これから、毎朝起きたら、ネジを回すんだ。俺の分と一緒に。そうして時間をあわせろ。それがお前の仕事だ」
「へえ」
なんだか泣きたい気分になって返事をした。
「どうだい? 社長さん。あんたが見つけてきた時計は、俺の隼珠に似合ってるだろう」
「え、ええ、それはもう」
もみ手をしながら答える沢口の笑顔は、少々引きつっている。それを面白そうに眺めながら迅鷹が続けた。
「こいつは俺のお気に入りでね。だから誰がいくら積んできても、手放すつもりはねえんだよ。そこのところを、あんたにもキチィンとわかってもらっとこうと思ってね。それで、時計も依頼したんだ」
隼珠の肩に手をかけて、ぽんぽんとたたく。口元には笑みを浮かべていたが、目は挑戦的だった。それはまるで、蛙を威嚇する鷹のようだった。
迅鷹と隼珠が、本当の、閨を共にする関係になって数日がすぎようとしていた。あの夜から隼珠は毎夜のように迅鷹に身を任せている。名実ともに、白城の鷹の情夫になったのだった。
「そ、そうでございましたか」
寒い日なのに、沢口はポケットから取りだしたハンケチで脂ぎった汗を拭った。
「そりゃあ……ようございました」
笑顔の奥に悔しさをにじませて、それでも商用の笑みは崩さず言う。
もしかしたら、隼珠の知らない所で、沢口は迅鷹に隼珠を売って欲しいと持ちかけていたのかもしれない。現場で隼珠が絡まれたことも、迅鷹は誰かから聞いて知っていて、自分の目の届かない所で沢口が隼珠にちょっかいをださないよう釘を刺すため、今日ここに隼珠を同席させたのかもしれなかった。
「ああ、あんたもご苦労さんだった」
そう言って、迅鷹は鷹揚に笑って見せた。
「隼珠、これは夫婦茶碗のように男と女が持つものじゃねえ。大きさが同じだろう。最初から男同士が持つように作られたものなんだ」
隼珠に顔をよせて説明する。
「男同士で……」
「ああ。言い交わした相手と、こっそり秘密に送りあうものだったらしい」
「そうなんですか」
だとしたら、迅鷹は、自分をそういう特別な存在にしてくれたということだろうか。嬉しさに頬が熱くなる。迅鷹はそんな隼珠の頭をなでながら微笑んだ。
ふたりの姿を近くにいた沢口がどんな目で見ていたのか。嬉しすぎてそのときの隼珠は気がついていなかった。
その夜、風呂をあがった隼珠は、寝部屋に戻ると昼間もらった懐中時計をだしてきて、ランプの明かりのもとでもう一度じっくりと眺めた。
明るい橙色の光を浴びて丸くて重い時計はピカピカと輝いている。雑誌の挿絵に出てくる財宝のような美しい品だった。
隼珠の全財産は少なくて、着物も風呂敷包みひとつにまとまるほどだ。それを、迅鷹の寝室の一角にある行李の中にしまわせてもらっている。しばしば空になる財布以外に貴重品などひとつもなく、だから、こんな高価な品物を持つのは初めてのことだった。
「……きれいだな」
見ているだけで、いつまでも飽きることがない。
「気に入ったか」
振り向くと、障子をあけて迅鷹が部屋に入ってくるところだった。
「へい」
迅鷹は隼珠の隣にくると、腰をおろしてあぐらを組んだ。
「いい品だろう。エゲレスの時計職人が作ったものらしい」
隼珠はそっと大切に、袱紗でそれをくるんだ。
「けど、鷹さん、こんな高級な時計。……白城組の台所は今、てえへんだってこの前、亮さんと話してたじゃないですか。なのに……」
「馬鹿野郎」
迅鷹は隼珠の頭をかるく押した。
「白城の事情はまた別だ。俺だって蓄えぐらいはある。そんな心配するんじゃない」
「へ、へえ。すんません」
白城組の経営事情は、下っ端が安易に首を突っこんでいいものではなかった。隼珠は素直に謝った。
迅鷹は立ちあがると、床の間の物入れからいつもの薬を取りだした。敷いてある夜具の隣に座り、浴衣の袖をまくる。その左腕にはまだ繃帯があった。
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