彩風に、たかく翼ひろげて 26(R18)


 迅鷹が傷を負ったことは、数日たった今も、誰も知らないままだ。季節が冬に向かい、仕事でもろ肌脱ぎになる機会が減っていたことも幸いした。迅鷹はこっそり通院し、やがて傷は無事にふさがったようだった。迅鷹はその全てを、亮と隼珠以外には悟らせなかった。
 きっと、原因が隼珠だとわかれば、子分らの攻撃が隼珠に向かうことを分かっていたからだろう。そんなところにも迅鷹の心配りがあらわれていた。
 今まで隼珠は、周囲からおかま野郎とか情夫だとか言われても自分はそうじゃないからいくらでも反発することができた。  
 けれど、あの夜から、噂はすべて真実となった。
 それは自分が望んだことだったけれど、男妾を囲うことで迅鷹の評判が落ちることだけは絶対に避けたかった。自分のせいで、迅鷹が陰口を叩かれるのは耐えられない。
隼珠は以前よりも慎重に、与えられた仕事は抜かりなくこなし、子分らにからかわれても不用意に喧嘩はしないよう心がけた。
 親分に大切にされている隼珠を妬んだり邪魔者扱いする若い子分に、納得させるような仕事をしなくてはならない。迅鷹の足を引っ張ることだけはするまい。迅鷹は、隼珠をいつもそばにおいて、仕事でも私用でも色々なことを学ばせて、白城組での居場所を作ろうとしてくれている。そんな風に隼珠を育てようとしてくれる人に、恩で報いたかった。
「隼珠、着物を脱いでこっちへ来な」
「へい」
 初めてこの部屋に来てから、毎夜かけられる言葉に今夜も従う。始めのうちは何をされるのかと怖かったけれど、今では呼ばれれば胸の内に、ポッと火がともる。
 下帯一枚で布団にうつ伏せると、迅鷹の大きな手のひらが触れてきた。
「……鷹さんは」
 心地よい治療に身を任せながら、昼間からずっと気になっていたことをたずねる。頭上で相手が「うん」と唸った。
「どうして、俺に、あんなに珍しい懐中時計を下さったんですか」
 懐中時計を持つのは、裕福な紳士が多い。隼珠などの使いっ走りの博徒には贅沢すぎる品だ。
 それに迅鷹は、ゆったりと腕を動かしながら言った。
「揃いのものを持っていると、離れてても、互いの心の芯がつながっているような気持ちになれるだろう」
「……へい」
「俺はお前とそうなれりゃあいいと思ったんだよ」
「……」
 迅鷹が手のひらに力をこめる。ハッカの清々しい香りが鼻孔を刺激した。
「いつか、別々の道に進むようなことになってもな」
 静かな声でそう告げる。
「それは、どういうことですか」
 隼珠は伏せた姿勢から、後ろを振り返った。
「俺は鷹さんから離れたりなんかしやせん。俺の一生はずっと、鷹さんのために使います」
上半身を起こそうとするのを、肩を押さえてとめられた。
「どうなるかなんて、先のことはわからんだろう」
 低い声で制する迅鷹の中には、蛇定との闘いの心づもりがあるのだろう。けれど隼珠は迅鷹と共に闘うつもりだったし、この人がもし命を落とすようなことになれば、隼珠も敵に挑んで死ぬ覚悟でいた。
「わかりやす。俺は、どこまででも鷹さんについていくつもりでいますから」
 迅鷹が、ふっと笑う気配がした。
「お前はまだ幼いな」
 それは隼珠を馬鹿にしたような言い方ではなかった。どちらかと言えば、羨むような、そうして隼珠の行く末を案じるような口ぶりだった。
「お前はな、まだ博徒の非情さを知らないんだ」
 手のひらがうなじをなでる。ツボ押しの強さからすうっと力が抜けて、肌を優しく擦ってきた。
「そうして、俺たちがどれだけろくでなしの集まりであるかを」
 指先が肩甲骨をたどる。
「それを知ったときには、きっと博徒に嫌気がさすだろうよ」
 ゆったりと、骨に沿って手を動かす。その手先から熱いものが流れこんでくる気がした。
 隼珠は、迅鷹の言葉の意味がよく分からなかった。隼珠はもう七年もこの世界に生きているのだ。色々な博徒も見てきた。自分だってろくでもない仕事もした。なのにまだ自分は、博徒世界に染まりきっていないというのだろうか。
 しかしそれを言うのなら、迅鷹だってかつては文武両道の優秀な子供で、一時は師範学校も目指そうとしていたと聞いた。だとしたら、迅鷹のほうこそ根っこの部分では博徒になり切れていないんじゃないだろうか。けれどそれを問うことは失礼だ。
 隼珠は、いつか別れることを予期しながら、それでも心の芯がつながる手立てを作ろうとする迅鷹の矛盾に戸惑っていた。
 ――この人の心の中には、何があるんだろう。
 深い深いところには。どんな思いが沈んでいるのだろうか。
 やがて治療が終わると、迅鷹は隼珠に浴衣を着せて、いつものように自分の腕の中に抱きこんだ。
隼珠の身体はもまれて温まったせいで、少しばかり下肢が蜜をだしたがっている。
 して欲しいな、と考えつつそんな自分にはしたなさを覚えて俯いた。毎晩一緒に眠っているせいで、隼珠の下半身の管理は迅鷹任せだ。自分ではどうにもならない。
 相手と密着しているせいで、余計に不埒な気分がもよおしてくる。もぞもぞと足を動かせば、それを察した迅鷹が笑った。
「するか?」
 耳元に甘くささやかれれば抗うことはできない。我慢することも。
「……鷹さんの、お好きなように」
 消えそうな声で、それでも嫌じゃないことを示すように柔らかく身じろげば、迅鷹はそばにおいてある濡れ布巾で手を拭った。薬をふき取るためだ。以前ハッカのきいたままの手で急所を扱かれたとき、隼珠は朝まで未知の愉悦に追いこまれ、ひいひい喘ぎながら何度も達してしまった。迅鷹は隼珠の痴態に驚いて、喜んだけれど『本当にそれは許して下さい』と涙ながらに訴えてからはもうしなくなった。あんなことを毎晩されたらおかしくなってしまう。
 迅鷹の濡れた手が隼珠の浴衣の裾を割って、するりと入ってくる。そうすると、隼珠の下肢は快感を予期して甘く疼く。
「もう勃ってる。いつからだ?」
 耳元で意地悪くたずねられる。
「すいやせん……」
「いつからだ」
 隼珠はちょっと下唇を噛んだ。けれど、嘘は言えない。きっと全部バレている。
「鷹さんが、触れたときから」
「最初からか」
 声に艶がまじる。仕事のときとは違う、閨だけで響かせるやわらかな物言い。そうなると隼珠はもう水飴の中に落とされていくような気分になってしまう。迅鷹に何を言われても、逆らえなくなってしまう。
「なら少し可愛がってやるか」
 言うと両手で隼珠の腰を持ちあげるようにした。
「隼珠、腰を浮かせて俺をまたいでみろ」
「え? へい?」
 いつもと違うことを言われて戸惑う。白城の鷹をまたぐなんて、失礼すぎて罰があたる。



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