リカバリーポルノ 08


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 羽純のことは気がかりであったが、それ以上に厄介な問題があったため、建翔はそちらにかかりきりになった。
 もらったデータを持ち帰り、翌週から製品改良に取りかかる。ふくれの原因を究明し、羽純にもらったアドバイス通りに可塑剤の量を切りかえ、研究室に泊まりきりで試験を重ねて工場での試作まで持っていく。その間は、彼のことを深く考える余裕はなかった。
 二か月後に、諸々のチェックを経て、改良品を工場から出荷して、やっと一段落する。倉庫から出発していくトラックを見送ったときは、安堵にへたりこみそうにさえなった。
 そしてそれからまた一か月。製造は軌道にのり、製品も順調に売れるようになっていた。クレームもない。一越技研との取引も無事終了した。
 建翔の日常は、何とかいつものペースを取り戻しつつあった。
 羽純と別れてから三か月がたっていた。秋も深まり涼しい日々になってきている。忙しさにかまけている内に、いつの間にか暦は十月の終りになっていた。
 空に明るい月がのぼり、朝夕の寒さにひとり暮らしの寂しさを感じる夜、仕事が早く終わった建翔は自宅マンションの最寄り駅で夕食をすませ、コンビニでビールを買って帰宅した。
 建翔は駅から徒歩十分の独身者向けワンルームに住んでいる。三階建ての二階にある自宅は七畳の洋間と簡易キッチン、バストイレという間取りだった。
 帰宅するとまずシャワーを浴びて、さっぱりしたところでローテーブルにビールとノートPCをおいて胡坐をくむ。
 ノートPCをたちあげて、テレビ番組の配信サイトをひらいた。目当ての番組をクリックすると、バイオリンの調べも美しい主題歌がスピーカーから流れてくる。画像を画面一杯に大きくすれば、そこにひとりの男が現れた。
「……羽純」
 オープニングと共に、背広姿の羽純が画面に映しだされる。目が釘づけになった。
 建翔が観ているのは、テレビで毎週放送されている、短時間の経済ドキュメンタリー番組だった。
 画面の右上には『建築業界の四代目貴公子。防水事業とその展望。東京オリンピックをひかえて』というテロップがでている。
 この番組は地方局制作の二十五分もので、毎回実業家や職人などの、その業界で活躍する職業人を紹介していた。放送されるのも東京周辺だけなので、出演する企業やスポンサーも地元の会社が多い。この番組に一越技研が取りあげられると聞いたのは数日前で、放送が残業で観られなかった建翔は配信で視聴することにしたのだった。
 一越技研は昭和十二年創業、従業員数約八百名、関連子会社を三社抱えた中堅建材メーカーで、扱う製品は防水材、下地材、内装資材と様々です、とナレーションが入る。
 その建材営業部長の羽純は、今回の広報を任されたらしい。画面では羽純へのインタビューや、仕事ぶりが紹介されていた。東京オリンピックで使用される競技場の施工を請け負っているのか、建設中の現場からの映像が入る。そして建築業界の現状、問題点、未来への展望が彼の口から流ちょうに語られる。
 一越技研の社長も出演していたが、羽純のほうが華があるせいか圧倒的に彼が画面に映る時間が長かった。真面目に、ときにははにかみながら自社製品について説明する姿は、確かに一越技研の株をあげているかもしれない。
 ふと、この番組の撮影をしたのはいつ頃だったのだろうかと考えた。
 あの夏の日の出来事の、前だったのだろうか、それとも後だったのか。背景からは初夏という雰囲気は伝わってくるが、正確な日にちはわからない。
 画面の中の羽純は、あのときのことを全く感じさせない、折り目正しく清潔感あふれる姿で語っていた。太陽の下では、長いまつげが頬に影を描いている。貴公子と呼ばれるのも大げさではない気がした。
 そうして思いだす、学生時代、共にすごした日々のことを。
 当時、地元から遠く離れた大学に入学した建翔は、新たな地でうまくやっていけるのかと不安を抱えていた。そして最初に知りあった羽純は、大人しくて従順で、彼を通じてクラスの仲間らと親交を深めていくのに役立った。
 ふたりで講義を一緒に受けて、生協で昼飯を食べて、コンパに出席して。ときには建翔のアパートに羽純が遊びにくることもあった。レポートや試験勉強、オンラインゲームにくだらない雑談。羽純と一緒にいるのは楽しかったし居心地がよかった。それは羽純がきっと建翔のために、色々と尽くしてくれていたからだろう。
 彼の優しさに甘え、建翔はいい気になっていたのかもしれない。あの頃の自分は、若くて傲慢だった。
「……今もそうか」
 再会して助けてもらってまた傷つけたのだから。「もう二度と会いたくない」と言われた、あの言葉がよみがえる。
 大学生だった頃、建翔は考えてみたことがある。もし、もしも、羽純が女だったなら。首から下が女性の身体であったのなら――。
 そうだとしたら自分はきっと羽純のことを好きになっていただろう。
 顔も性格も、彼は建翔の好みだった。けれど残念なことに相手は男だった。建翔は男には興味がない。だから、告白されても断るしかなかったのだ。
 しかしあれから八年がたち、再会してあの夜、ホテルで羽純の喘ぎ声を聞いたときから、建翔はまた別のことを考えるようになった。
 男と女。生殖機能を別にすれば、身体のパーツは胸と性器、明確に異なるのはその部分だけだ。喜怒哀楽だって個人差はあれ、基本は同じだ。外見の相違は、手術でもして変えてしまえば見分けはつかなくなる。
 だったら本能とはいったい、何なのか。
 そうして、また彼の瞳を思いだす。いつも建翔を、憧憬のような、切ない憂いを含んだ眼差しで見てきていた、あの黒曜石のような瞳を。
 モニターの中の彼が微笑む。建翔はその陰りのない笑みに胸が痛んだ。
「羽純」
 小さく呼びかけてみる。八年の間、彼はどんな生活をしてきたのだろう。大学を辞めて実家に戻り、家業に就いてからはどんな暮らしをしていたのだろうか。人一倍の努力はしたのだろう、跡取りとしての責任を負って。
 ホテルに連れてきた筧という男。羽純はあんな奴らとつきあいのあっていい人間じゃなかった。バーで知りあったようなことを言っていたが、あんな奴らにつけ入るスキを与えるなど、あいつはどんな影を背負ってしまったのか。
「もう、二度と会いたくない、か」
 連絡を取ろうにも、向こうから拒否されてしまった。
 彼にとって、自分はもう思いだしたくもない過去になってしまったのだろう。
 そう考えると、さらに胸が痛む。
 言われた言葉が、存外こたえていたのだと、そのときになって初めて気がついた。




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