リカバリーポルノ 11


「羽純!」
 暗闇に向かって呼びかける。
「羽純どこだっ! いるんだろう!」
 すべりやすい雑草や木の根に革靴の平らな靴底をとられて、足元がおぼつかない。それでも奥へと進んでいく。
「迎えにきたぞ!」
 傾斜のある地面に転ばぬよう、片手を木の幹について、もう一方の手で周囲を照らす。
「セックスするぞっ!」
 木々に向かって、大声で叫んだ。
「俺とセックスするんだろう! 抱いてやる! お前のして欲しいこと、全部してやる。だからっ、返事をしろっ!」
 何度も吼えた。声の限りに。そうしていたら遠くのほうで小さな物音がした。パキリと、小枝でも折ったかのようなわずかな音が聞こえてくる。
 建翔は弾かれたように、そちらに明かりを向けた。
 周囲をうかがいつつ、なるべく遠くに光を投げながら、木の間を抜けていく。すると、やがて一本の木の根元に、ぼろの塊のようになっている人間を発見した。足を投げだした状態でぐったりと座りこんでいるそれが羽純だと気づくのに、少しの間を要した。それほど様変わりしていたからだ。
「……羽純」
 恐る恐る近づいていき、声をかければ、相手も垂れていた頭をゆっくりと持ちあげてきた。生きている。そのことに何よりもまず安堵した。
 羽純は背広を着ていた。そして近くには通勤用鞄が転がっていた。服も鞄も泥だらけで、所々が破れていた。靴は両足ともない。どうしてこんな姿に、と思って、二日前に雨が降っていたことを思いだした。
 まさかその頃からずっと山を徘徊していたのか。
「羽純、迎えにきた。さあ、帰ろう」
 目の前までいってしゃがめば、ぼんやりとした顔でこちらを見てくる。懐中電灯の光に眩しそうに目を細めた。
「……どこに?」
 帰る場所などないというように、問いかけてきた。
「俺んちだ。それならいいだろ」
 両手を伸ばして、抱きかかえる。羽純は抵抗しなかった。糸が切れた操り人形のように力なくよりかかってくる。元々それほど体重のある相手ではなかったから、苦労なく起きあがらせることができた。鞄を拾い、腰を抱えて歩かせて、一緒に車まで戻った。
 助手席にのせてシートベルトをはめてやる。それからゆっくりと車を発進させた。
 暗い夜道を、一言の会話もなく都内へと戻っていく。
 建翔の家に着くまでずっと、羽純は死んだようにシートに横たわっていた。


◇◇◇


 郊外にある自宅マンションに帰ると、まず建翔は、汚れた羽純を風呂場へと連れていった。
 ユニットバスのバスタブの端に座らせて、ぞうきんみたいになった服を脱がせにかかる。羽純はされるがままで大人しかった。
 両手を掴んだとき、その手が擦り傷だらけで驚く。傷には泥も入りこんでいた。きっと木や地面を、何度も拳で打ちつけたのだろう。
「……お前、あの山ん中に何日いたんだ」
 羽純は自分の手を、まるで人の手みたいに眺めていた。
「わからない」
 何日も泣き続けたらしく、目も真っ赤に腫れている。
「とにかく、洗ってあったまろう」
 全裸にさせても羽純は他人事みたいにぼんやりしていた。恥ずかしがる風もない。そんな気持ちはもう、とうになくなっているという様子だ。
 身体はまだ生きているが、精神は死んでいるといった感じだった。
「俺も一緒に入るか。どうせ濡れるしな」
 せまい風呂場で建翔も服を脱ぐ。こっちも素裸になれば、そのときだけは羽純は顔をあげてきた。自分の前にいる裸の男が、夢か幻かといった顔つきだ。建翔の胸から腹へと視線を動かしていき、股間でいちど瞬きする。
 助けにいってから初めて見せる、生きている人間らしい反応だった。
 建翔のほうは、多少の照れはあったが、それよりも早く羽純を何とかしてやりたいという気持ちのほうが勝っていた。
「俺の裸、見たかった?」
 シャワーの湯を調整しながらたずねる。羽純は建翔から目を離さずにうなずいた。
「うん」
 相手が反応してくれたことに安心して、つい軽口をたたいてしまう。
「もう世界中の人間に見られたからな。珍しいモンでもなくなったぞ」
 言うと、羽純の瞳から生気がなくなっていった。
「すまね。俺ってそういう所が無神経って言われんだよな」
 起こった出来事が衝撃的すぎて、現実感が吹っ飛んでしまっている。だから簡単に自嘲の言葉がでる。
 相手を傷つけたことに、あとから気づくのは悪い癖だった。
「さ、こっちにきな」
 バスタブの中に座らせて、熱い湯をかけて身体を洗ってやる。ついでに自分も洗った。きれいになったところで湯を張って一緒につかる。うしろから抱きしめる形で座り、手のひらに残った汚れをもみながら掻きだしてやった。皮膚の下に砂や土が入りこんでいたからだ。
「痛い?」
 髪からぽたぽたと雫をたらす相手にたずねる。頬にやっと赤味がさしてきていた。
「わからない」
 その答えに胸が痛む。感覚も麻痺しているのか。
「俺の部屋、絆創膏もないからな。あとで買いにいくよ」
 体力も落ちているだろうから、のぼせる前に風呂からだした。バスタオルで包んでやって、自分も身体を拭いて風呂場をでる。
 居間に羽純を移すと、ベッドを指さした。
「そこに座って休んでな。俺は着がえてちょっとコンビニまでいってくる。食い物とか飲み物とか、あと着がえや絆創膏も買ってくるからさ。あ、とりあえず服だすわ。俺のでいい? デカいけど」
 バスタオルを肩にのせて、クローゼットをひらく。中の収納タンスをあけようとしたら、後ろから腕を掴まれた。
 振り向くと、羽純がこちらを見あげていた。
「今仲」
 その目には、建翔しか映っていない。
「抱いてくれよ」
 切羽つまった感はなかった。けど投げやりでもない。それは、建翔に課せられた義務であり、自分が受け取るべき当然の権利であると言いたげな口調だった。
「抱いてくれるって、言ったろ」
 感情のない言い方で、それでも愛をねだる。瞬間、胸の奥がキュッと絞られた。
 何日さまよっていたのか知らないが、今の羽純は体力の限界にきているはずだ。山の中では飲まず食わずだったろう。
 なのに飲み物も食い物も、けがの手当ても休息も、そんなものはひとつもいらないというように建翔の身体だけを求めてくる。
 ――そんなに、抱いて欲しかったのか。この俺に。



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