リカバリーポルノ 16


 真夜中、薄暗い部屋でベッドにもたれて、キーボードを操る。目的の相手は羽純を陥れた張本人、筧だった。
 あの、悪魔のような男のせいで羽純は社会的な地位を失った。普通の社会人として生きていく道を奪われたのだ。
 あいつを探しだして、何らかの制裁を加えてやらないと気がすまない。羽純を再び陽のあたる場所に戻して歩けるようにしてやるために、犯人らを探しだして法的手段に訴えてやる。それが一番いい手であるのではないかと建翔は考えた。
 羽純を傷つけて、今ものうのうと暮らしているだろうあの男が憎くてたまらない。今すぐにでも殴りつけてやりたいほど腹立たしかった。
 建翔は筧という名前から各種SNSをエゴサーチし、何時間もネットに潜った。そうして数日かけてやっと、とある写真投稿型SNSで男の姿を見つけた。
  筧はたくさんの写真や呟きを、ウェブ上に載せていた。クラブイベント、高級な外車、女性タレントやモデルをはべらせた写真もある。どうやら金は持っているらしい。仕事は自称実業家で、バーやクラブを経営し、調べていくうちに怪しげな取引にも手をだしていることがわかった。
 そしてショックだったのは、クラブのVIPルームで撮られた写真の一枚に羽純が一緒に写っていたことだった。数人がけのソファに、身をよせあっている集団の中に彼がいる。皆酔っ払って盛りあがっているようで、羽純も笑っていた。
「……」
 多分、いきつけのゲイバーででも知りあったのだろう。でなければ、接点など生じようもない。そうして、奴のほうから羽純に目をつけて近よった。けれどちっともなびいてこない羽純に焦れて、あんなことをした。きっと日頃からそんなことばかりしているような奴なのだ。
 ドラッグや玩具をバッグにつめてやってくる下種野郎だから、羽純の他にも泣いている人間がどこかにいるかもしれない。
 建翔は筧に関する情報をくまなく探し回り、それを片っ端から保存していった。
 警察にいくにしても弁護士に相談するにしても資料として使えるものがあるかもしれない。
「羽純」 
 ベッドに横たわり、いつ起きたのかぼんやりとこちらを見ていた羽純に、声をかけた。
「筧を見つけたぞ」
 手を伸ばし、髪をすいてやる。薄暗いせいか、表情は読み取りにくかった。
「これで訴えてやることができる。奴に思い知らせてやろう。こんなことして平気な顔でいるなんて許せねえ」
 建翔の言葉に反応もしない。
「あいつらを警察に逮捕させるからな」
 羽純は返事をしなかった。顔つきも変えない。
「今から訴訟について調べていく。警察に被害届をだすにしても、弁護士に頼むにしても、色々と知っておかないといけないだろ。告訴の準備だ」
 それでも、表情に変化はなかった。
「羽純?」
 聞いているのかいないのかわからない相手に、髪をなでながら呼びかける。羽純はしばしこちらを見つめた後、乾いた唇を動かした。
「それでどうなる?」
 やっと呟いた一言はそれだった。
「どうなるって……警察が逮捕してくれるか、無理なら裁判で慰謝料ぶんどって社会的に破滅させられる。逮捕されれば前科がつく」
 羽純はちっとも嬉しそうじゃない。むしろ哀しげだった。
「破滅させれば、俺の写真は消えるのか?」
 瞳からまた、生きる気力が消えていくのがわかった。
「全部が、元通りに、何もなかったことに戻せるのか? 普通に会社にいって、仕事して、誰も俺のペニスの形を知らなかった世界に戻せるのか?」
 そしてまた、涙を流す。建翔は言葉を返せなくなった。
 確かに、犯人が逮捕されれば全てが消えてなくなるというわけではない。画像と動画はこれからも永遠にコピーされ、世界中にばらまかれていく。起きた事件を完全に消去させるのは不可能なのだ。
「抱いてくれよ」
 羽純が手を伸ばす。
「それだけでいい」
 すがるような言葉に、建翔は自分の不甲斐なさを痛感した。
 自分がしてやれることは何なのか。羽純が社会的に復帰して、生きていく希望を見いだすには、どうしたらいいのか。この男が今、頼れるのは自分しかいない。建翔がもしも手を離したら、彼は絶対にこの世界から脱落する。だから助けてやらないと。
 抱きあえば羽純は安心する。建翔が隣にいれば安定する。そして自分自身はというと、彼との行為に次第に溺れ始めていた。きっと自分も何かから逃げようとしているのだろう。怖ろしい現実や、社会の目から。逃れたいとあがいているのだ。
 建翔は羽純と自分を救うために、何度もネットの世界へと足を踏みいれた。『リベンジポルノ救済』という相談窓口も見て回る。
 そしてこの世界に、リベンジポルノで被害を受けた人たちが思いの他多くいることに驚かされた。
 ネットには裸の画像があふれている。その全てに、撮られた人間が存在しているという事実。彼らは今現在何を思って暮らしているのか。自分も撮られた側になって初めて、そういったことが現実感をともなって考えられるようになった。
 建翔は今まで、被害を受けるのは被害者側にもどこか自衛に甘いところがあるからではないかと考えていた。確かに、羽純にしても筧に近づいてしまったことが今回の事件の原因のひとつとなった。けれどそれも今となっては、の話だ。危険な奴と知らないまま知りあったことを落ち度というのは酷だろう。同じ被害者の立場になってやっとわかることも多かった。
 しかしあの画像を公開した犯人が筧だと特定するのは難しいかもしれない。本人が『知らない、画像は盗まれたものだ。俺はネットに載せていない』と言えば訴えてもきっとこじれる。告訴すれば羽純にとってつらい日々がやってくるだろう。警察に被害届をだすにしても、羽純をまず説得しなければならない。
 建翔はとあるひとつの、信頼できるリベンジポルノ相談サイトを見つけて、そこにメールを送ってみた。これからどうすればいいのか助言が欲しかったからだ。
 担当者は女性で、すぐに返事のメールが送られてきた。
『ご連絡ありがとうございます。この度はお知り合いの方が大変な目に遭われたとのこと、どうか私共でお力になれることがありましたらどんな些細なことでも構いませんのでご相談ください。全力でご協力させて頂きます』
 と、丁寧な文章で始まる長文メールには、次のようなことが書かれていた。
『相談された内容を詳しく吟味致しましたが、まず、お知り合いの方に今一番必要なことは、心のケアではないかと判断します。心に深い傷を負っておられるようですので、それを回復させることが最優先だと思われます』
 確かにそうだと納得しながら読み進む。しかし、その先には建翔の考えを覆す意見が書かれていた。
『警察への被害届け、弁護士への相談は、必ず本人の意思の元で行うことをお勧めします。被害者よりも周囲がそういった働きかけに熱心な場合、そのアドバイス自体が被害者をより深く傷つけてしまう場合があります。相談者様が心配なさる気持ちはよく理解できます。けれどもその正義感はあなたのためのものであって、文面から察するに、決して被害者自身がすぐに望むものではないように思われます。事情聴取、裁判、弁護士とのやり取り、そういったものは被害者にとって非常につらいものです。相談者様が、そのお知り合いの方に一番近い立場でいらっしゃるのなら、まずは、その方の心のケアのためにお力を使って差しあげてください。その後の対策は、お相手の方と相談の上、決定されるのがよろしいかと思われます』
 建翔は文面を見ながら考えこんでしまった。
 リベンジポルノについてネットで調べたところによると、対策は早い方がいいといくつかのサイトには書かれている。今こうしている間にも羽純の画像や個人情報は拡散されているのだ。
 けれど画像については、全削除は不可能だろう。ならば犯人を捕まえることが先決だが、それも逮捕を望むのは建翔の希望であって、そうなることが当然だという正義感からくるものだ。悪いことをしたら処罰されるのが世のことわり。当たり前のことだと思うのは、間違っていないはずだ。けれど――。
 羽純の気持ちを考えれば、犯人がリベンジポルノ防止法に基づいて逮捕されたとしても、それで溜飲が下がるわけではない。羽純が筧らにどんな対処を求めているのかもわからないままこちらが勝手に動けば、それもまた、彼を傷つけてしまうのだろうか。逮捕によって、やってやったざまあみろと満足するのは、建翔や周囲の人間だけになるのか。
 しかし筧らを許すことは、絶対にできない。
「……くっそー……」
 どうしたらいいのかわからなくなって、建翔は暗闇で頭を抱えた。



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