リカバリーポルノ 17


◇◇◇


「うああああああっ――」
 真夜中に、いきなり大声で起こされて、建翔はベッドから飛びあがった。
 暗闇の中、隣で眠っていたはずの羽純がいなくて、慌てて部屋の電灯をつける。
「羽純っ」
 部屋の中を見渡すと、彼はベッドの足元で小さくうずくまって震えていた。
「おい、大丈夫か」
 背中を抱きしめ、肩をさすってやる。過呼吸気味だったので口を手のひらでふさいだ。
「息を吸うな。とめろ、ゆっくり」
 ガタガタとわななく身体を支えつつ、「大丈夫だから」と繰り返す。
「お、俺、俺の、裸が、いっぱい……、ひ、人が……っ、見てっ」
「しっかりしろ。息は吸いこむな。そうだ、浅くな」
 腕の中で子供のように怯える相手に、そっと優しく語りかけた。
「うっ、ううっ、っは、はあ」
「ゆっくり、ゆっくりな」
 羽純がパニックになるのは、これで三度目だった。毎回、寝ているときにいきなり叫んで暴れだしている。怖い夢でも見たのだろう。そういうときは、抱きしめておさまるのをじっと待つしかなかった。
 病院に連れていくべきなのかもしれない。医者に診せて薬を処方してもらえば、一時的であっても楽にはなれる。けれど羽純は部屋をでることを異常に怖がった。建翔以外の人間には接したくないらしい。建翔さえいれば、パニックも次第に収束する。
 ――まずは、心のケアを。
 相談窓口からのメールを思いだす。
「大丈夫だぞ。ちゃんとそばにいるからな」
 安心できる言葉を繰り返す。すると羽純の呼吸も落ち着いてくる。
「抱いて」
「うん」
 わかっている。それが一番、こいつを癒す薬になっているのだと。
 だから毎日、がむしゃらに抱いてやった。
 そして抱いて抱いて、何もかもがどうでもいいと思えるくらい、投げやりな場所にまで一緒に堕ちていって、――羽純はやっと、少しずつ自分を取り戻していったのだった。


◇◇◇


 セックスは鎮静剤だった。羽純にとって一番の。
「お前さ」
 ベッドの中で、後ろから抱きしめた体勢で前の華奢な男に問いかける。もう何日、こうやってすごしていることだろう。
「何で、俺のこと、好きになったの?」
 何度、羽純の中で果てたかわからない。手のひらに馴染み始めた薄い肩に、唇をよせながらきいてみた。答えは期待していなかった。羽純は事件以来ほとんど喋らなくなっていたからだ。けれどその日は気持ちが安定していたのか、それとも心が空っぽになっていたのか、しばらくしてぽつりと零してきた。
「……俺さ」
 消え入りそうな声だった。時刻は明け方で、世界は音もなく静まり返っていた。
「うん」
 何か話す気になったのなら前進かな、と思いつつ相槌をうつ。
「中高とさ、……いじめられてたんだ」
 建翔は羽純の後ろで頭を起こした。それは初耳だった。
「お前が?」
 こんな人当たりがよくて優しい男を、いったい誰がいじめたというのか。思いがけない告白に、疑うようにきき返した。
「……ああ。酷いことたくさんされたよ。殴られたり、口の中に砂や虫を入れられたり、キモイ、死ね、って言われたり書かれたり。持ち物を燃やされたり」
「何でそんなことに」
 聞いているだけで腹が立ってくる。建翔はシーツに起きあがり、横向きに寝ている羽純を見おろした。
「俺さ、帰国子女だったんだ」
 羽純は顔を壁に向けたまま、心の中にしまってあったものを少しずつ取りだすようにして小声で続けた。
「六歳のときに両親が離婚して、母親が仕事の都合で渡米して。それで俺と妹もボストンにいって現地の学校に通ってた。……十二歳の時に母が事故で死んで、それでふたりで父親の元に戻った」
 その話も知らなかった。
「中学から日本の公立に入ったんだけどさ。うまくなじめなくて。日本語がおかしいとか英語の発音が気取ってるとか、日本社会の空気読めないだのいじられてさ。俺、気が弱いくせに変なところで意思がはっきりしてる子供だったから、それもムカつかれたんだと思う。因縁つけられるようになってすぐにいじめが始まった……」
 羽純はどこを見ているのかわからない眼差しで、淡々と説明した。
「一時期、学校へもいけなくなってさ。けど、教師は『早く日本になれて仲良く頑張りなさい』しか言わないし、親父は『我慢しろ、そんな奴らは努力して、見返してやれ』って言うだけだし。仕方なく、嫌々また通うことにしてさ。六年間は地獄だったよ」
「何だよそれ」
 他人事ながら許せない気持ちになる。
「それで、やっと卒業して、大学に進学して。ああ、またここでもいじめられるんかなあって思いながら、入学式にいったのさ。そしたら横に腰かけていた今仲が、こっちを向いて俺に言ったんだ。『お前、どこ出身?』って」
 そこで、ほんの少し口元をほころばす。
「俺、ビックリしたよ。何で、この男は俺に普通に話しかけてくるんだろうって。まるで、友達にでも話すみたいに気さくに、明るい言い方で」
 建翔はその言葉に目を伏せた。あのとき話しかけたのは、自分も新たな場所で不安だったからだ。明るい喋り方はいい奴っぽく見せたかったからだ。
「あのとき、俺、すごく嬉しかったんだ。今仲が俺のこと、普通に扱ってくれたことが。だからきっと、あの瞬間に、俺はお前に恋していたんだと思う。お前と仲良くなりたいって、好かれたいって望むようになってった」
「……うん」
「今仲は俺に優しかったから。嫌われたくなかった」
 聞いていて胸が痛む。自分が優しかったのは、羽純を便利に使いたかったからだ。
「俺の初恋だった。今仲とすごした三年間は、本当に、幸せな時間だったよ」
「うん」
「だから、お前に彼女ができたって聞いたときはショックだった。すごく、苦しくって、つらくって、これはもう自分で終わらせるしかないと思って、勇気を振り絞って告白した。駄目だとわかってた。それでも、何かを壊して、ピリオドを打たないと、生きていけなかった」
「……うん」
 あのときの羽純の心情を、自分が少しでも理解してやれていれば。



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