リカバリーポルノ 18
「告白した後に、裏切られたときは、目の前が真っ暗になった。クラスメイトに嗤われたことよりも、お前と以前のような友達でいられなくなることのほうが絶望的につらかった。……その後、大学を辞めて八年間……。お前のことを忘れたことはなかった」
羽純が今までどれほど苦しんできたのか。建翔は全然わかっていなかった。
「俺のことを恨んでいた? だから掘らせて見たかった?」
羽純の口角があがる。
「ああ。憎んで憎んで、悔しくて悲しくって。再会することがあったら、絶対に復讐してやるって――……」
ぽつりと零す。
「ずっと、会いたかった。愛してた」
目頭に、涙の雫が玉になっていた。建翔は苦しくなって目をそらした。
「ごめん。俺は最低だった」
謝ってすむ問題じゃないことはわかっている。それでも、言わずにはいられなかった。
「いいよ。もう。終わったことだ。お前は俺を抱いてくれた。結果オーライさ」
かるい言い方は、絶望で感覚が麻痺しているからだろう。何もかもを投げだすような口調に、建翔は自責の念しかなかった。
髪を優しくなでて、横になってまた後ろから抱きしめる。
「お前が立ちなおるまで何でもする。力になれることを何でもするよ」
ぎゅっと力をこめて、細くなった身体を腕の中にとじこめた。
「今仲……やっぱりお前は優しいなあ……」
羽純が掠れた声で呟く。そうしてまた建翔の腕を涙で濡らした。
――こいつはわかっていない。本当は俺が、どれだけ卑怯で身勝手な男かってことを。
優しいわけじゃない。感じているのはやましさで、後悔と贖罪だけで一杯になっている。羽純の気持ちを全部知って、けれど相手が自分を愛するように愛しているわけじゃない。
羽純は可愛い。昔からそうだ。素直で純粋で。
だけどこれが愛情かと問われたら、そうだと断言はできない。
それでも、こうやって抱きしめている。毎日のように抱いている。この気持ちは何なのか。行為に勃起するのはなぜなのか――。
男と女、身体の違いのその奥に、自分がまだ知らぬ領域がある。
愛とは何か。恋とは、愛おしいという想いとは何なのか。
それは深いところで憎しみや悲しみや、後悔と共に、感情のるつぼで溶けあっている。
自分の腕の中で、薄い胸が静かに呼吸するのを感じながら、建翔はやがてそれらが形を整えひとつの純粋な塊になるであろうことを、いつの間にか期待し、願い始めていた。
◇◇◇
「口をあけな」
慣れないペティナイフで、梨をむいて小さく切る。そのひとつをつまんで、目の前の相手に差しだした。
全裸でベッドに座っている羽純は、建翔の言葉に素直に口をあけて梨を食べた。
季節は秋のただなかだった。今は梨が旬らしい。果物など、ひとり暮らしをしてからは買って食べたこともなかったが、スーパーに買いだしにいったとき入口に積まれているのを見て興味がわいた。
「うまいか」
羽純がうなずきながらサクサクと噛んで、きちんと嚥下する。
この頃は、建翔のだしたものはちゃんと食べるようになっていた。
「こっちも食べろ」
鮭のおにぎりを少しちぎって口に入れる。羽純はそれも従順に食べた。
羽純が建翔の家にきて六日がたっていた。ずっとベッドに横たわったまま、暇さえあれば、暇がなくてもセックスし倒したせいで、羽純の精神具合はやっと落ち着いてきていた。
「食ったらするよ」
「うん」
素直に返事をする姿に、少し口元がゆるむ。
「それからな、お前に伝えとかなきゃならないことがある」
おにぎりの欠片をまた口に入れてやる。羽純はされるがままだ。
「あのな、俺の有休は明日までなんだ。だから明後日からは会社にいかなきゃならない」
羽純の表情が、フッと翳った。
「けど、お前はいつまででもここにいていいからな。昼間は俺はいないが、夜には飯買って帰ってくる。だから、ここで好きにすごしてればいい」
またちぎって口に入れる。うまく海苔が切れなくて、こぼれそうになった一塊をそっと唇に押しこんだ。
「お前の面倒は、俺がずっと見ていくから。この先も一生。だから好きなだけこの部屋で休んでな」
羽純の妹からは、時折、建翔のスマホに連絡がくる。
兄が世話になっていることを恐縮しつつ、本人に会いたがっていた。大切な肉親の状態が心配なのだろう。しかし羽純のほうはまだそれを望んでいない。会社については父親が対処しているようで、跡取りは体調を崩して入院中と説明しているらしかった。
今回の騒動は、これからどのようにして後始末をしていくのか。それは羽純がもう少し回復してからになるだろう。今はまだ、宅配のベルの音にも怯えているような状況だ。
「……一生?」
「ああ。ずっとそばにいるからな。何も心配することはないぞ。ちょっとずつ、身体も治していけばいい」
――まずは、心のケアを。
それが一番大事なことだと言われた。全てはそれからだ。
「今仲」
「うん?」
存外しっかりした口調になってきた羽純が問いかけてくる。
「なんだ?」
「お前、大学の時の彼女はどうした?」
「え?」
いきなりたずねられて、きょとんとなった。
「え? あんときの彼女? ――ああ、えっと、そうだな、あの後、うまくいかなくなって別れたよ」
たしか、三か月ぐらいしか交際は続かなかったはずだ。
「じゃあ、今は、彼女は?」
「いないよ」
「なんで?」
どうしてそんなことを突然きくのかと不思議になりつつ、正直に答える。
「なんでって言われても。なんでだろ。縁がないからかな」
建翔は今まで高校、大学、社会人でそれぞれ彼女がいたが、どの子とも短期間で別れていた。多分、自分が無神経だったせいだろう。
「……そうか」
羽純は何か考えるように、目を伏せた。
「女なんかもういいよ。別にいなくても。俺はお前の世話をしていくって決めたんだから」
羽純が伏せていた目を、つとあげる。ぼやけた表情に、わずかの動揺が見られた。
「立ち直るまでは責任もって、ケアしていく」
「なんで……」
今度ははっきりと困惑を浮かべて、口の端を震わせる。建翔は自分の言ったことに嘘はなかったから、やわらかく微笑んでみせた。
「お前のことが、大事だからだよ」
おにぎりがなくなったので、また梨を小口に切る。自分も一口頬張って、甘くて驚いた。
「ほら、食え、甘いぞ」
差しだすも、羽純は口をあけない。その代わり、小さな声でささやいた。
「俺のこと……、大事?」
「ああ、もちろんだよ。今は世界中で一番大事だ」
羽純の瞳が、大きく揺らぐ。
「今仲」
「なんだ」
羽純は泣きそうになって、そして微笑んだ。
「……ごめんな」
謝る必要なんて何もない。謝らなきゃいけないのは、自分のほうだ。
建翔は首をゆるく横に振って、苦く笑みを返した。
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