リカバリーポルノ 19


◇◇◇


 翌朝、建翔がベッドの中で目を覚ますと、羽純はもうシーツの上に身を起こしていた。
 カーテンの隙間から、朝日が入りこんできている。彼はそれをぼんやりと眺めていた。横顔に淡く日光がさしている。髪の輪郭が栗色に彩られていて、きれいだな、と目覚めの頭で思った。
「おはよう」
 建翔は、細い背中に声をかけた。
 今日はふたりきりですごせる最終日だ。何をしてすごそうか。そう考えて、まずはシャワーを、と思いベッドをおりようとしたところで声がかけられた。
「今仲」
「うん」
 ふたりとも素っ裸だ。それが肌寒い季節になっている。
「俺、仕事いくわ」
 羽純は外を見ながら、突然言った。
「え?」
 建翔はその場で固まった。
「今、何て?」
「仕事、いくわ」
「え……」
 ポカンとなった建翔を振り返り、羽純は以前のような穏やかな顔つきで続けた。
「いけそうな気がする。だから、スーツ、どうなった?」
 建翔はしばし目の前の相手を呆けたように見つめ返した。上から下までジロジロと眺めて、それから口をひらいた。
「……大丈夫か?」
 うん、というように羽純が頷く。
「多分」
 建翔は、何度も瞬きしながら羽純の顔色を確かめた。真っ青だった最初のころに比べて、少しは頬に赤味が戻ってきている気はする。それなら、もしかしたらいけるかもしれないと考えた。
「わかった。じゃあ、ちょっと待てよ」
 立ちあがりクローゼットをあける。
「お前のスーツは一応クリーニングにだしたけど、何ヵ所も破れているからもう着られないと思う。どうする? 自宅に取りにいくか?」
「……自宅。ああ。そうか。……うん、わかった、そうする」
 羽純がこんなに早く回復してくれるとは予想外だったから、建翔はコンビニで新しい下着を買っておけばよかったと思いつつ、収納タンスを引っかき回した。
「下着、俺のでもいい?」
 振り返ってきくと、羽純は「……うん」とひかえめに微笑んだ。その笑い方はずっと昔、学生だった頃に見せてくれたものだ。建翔は嬉しさに胸が熱くなった。
 とりあえず、サイズのあいそうな服を羽純に着せる。建翔の服はどれも大きかったが、何とか見た目を整えた。レンタカーは店に戻してしまっていたので、建翔が近くのレンタカー店まで走っていき、新たに借りて自宅マンションにのって戻った。羽純を歩き回らせたり、電車にのせたりするのはまだ不安だったからだ。
 少しふらつく身体を支えながら手を引いて、部屋から外にだすと、羽純は朝の陽光に眩しそうに目を細めた。
「いけそうか?」
「……ん」
 短い答えだったが、口調はしっかりしていた。だから、きっと大丈夫だろうと判断して助手席にのせた。
 羽純の自宅は、都内の本社工場の近くにある。建翔は一時間ほど車を飛ばして彼の自宅へと向かった。
 一越家は、住宅街のまん中に建つ瀟洒な一軒家だった。屋根つき門扉に、広い敷地はぐるりと白い塀に囲まれている。その奥に手入れされた庭と、現代風の立派な日本家屋が見えた。
 都内にこれだけの敷地と屋敷を持つのは普通のサラリーマン家庭では無理だ。羽純は歴代社長を輩出する資産家の息子なのだと、建翔は改めて知る思いがした。
 一緒に車を降りて、門まで送っていく。羽純はそこで少し躊躇したのち、まずはインターホンを押した。すると誰何もなく、いきなり玄関扉がガラリとあいた。
「お兄ちゃん!」
 家の中から若い女性が飛びだしてくる。玄関から門まで敷かれた御影石を駆けてくると、羽純の数歩手前で立ちどまって、大きく息を継いだ。
「お兄ちゃん! 心配したのよ」
 それ以上近づくのはためらわれるのか、もどかしそうに足踏みしながら続ける。
「大丈夫なの? もう、大丈夫なの? 元気になれたの?」
 泣きそうになりながら言う妹に、羽純は「うん」と小さくうなずいた。
「ごめん、夕菜。迷惑かけて。……父さん、いる?」
「いるわよ、まだ出社してないから」
「わかった」
 羽純は建翔を振り返り、すまなそうに言った。
「悪い、着がえてくる」
「わかった、待ってる」
 羽純はそのまま、玄関扉に向かって歩いていった。妹の夕菜は兄の後姿を見送ってから、建翔のほうに向き直った。
「……あのう、もしかして、兄がお世話になっていた、今仲さんですか」
 うかがうようにこちらを見て、それから、ハッと顔を強張らせた。
 不自然な仕草に疑問を覚えたのは数秒で、建翔はすぐに彼女がなぜそんな反応をしたのかわかった。
 夕菜も画像を見ている。きっと。だから疑ったのだ。羽純の横に写っていた、尻を見せていた男が建翔ではないのかと。
 建翔は全身が凍るような思いがした。鼓動が早くなり、手足の先が痺れだす。できる限りの努力で、平静な顔を保つように自制心を総動員させて答えた。
「そうです、友人の今仲です。初めまして」
 引き攣る口元を抑えつつ、自然な笑顔を作る。
 夕菜はそれに少し動揺して――多分、自分の疑念を恥じたのだろう――恐縮した笑みを返してきた。
「今回のことでは、兄がお世話になり、本当にありがとうございました」
「いえ。こちらは全く構わないので」
 そのとき、玄関の奥から大きな音が響いてきた。ガラスのはまった玄関扉に、何かがぶつかる音がする。それから怒声。
「いったい何をやってるんだお前はっ!」
 社長の一越の声だった。
「すみません、ちょっと、ごめんなさい」
 夕菜が頭をさげて玄関へいこうとする。
「俺もいきましょうか」
「いえ、あの、いいです。ここで待っててください」
 家族の問題だから、というように夕菜は手をあげて建翔を押しとどめると、自分は家の中へと入っていった。扉がしめられ、また中から怒鳴り声が聞こえてくる。
 建翔はその場で落ち着かなく様子をうかがった。もういちど物騒な音がしたら踏みこもうかと迷いながら、首を伸ばして門の内側をのぞきこむ。
 しばらく言い争うような声がしていたので心配したが、やがてそれも収まり、家の中は静かになった。建翔はホッとしつつ、門の前で羽純が戻るのを待った。



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