リカバリーポルノ 22


「君がこの画像とまったく無関係であるというというのなら、広報からその旨を発表せねばならない。社の信用に関わるからだ。メールへの返信、公式HPへの掲載、誹謗中傷があるのなら法的な対策も考えていかなければならない」
 リーダーが手をテーブルに乗せて指を組む。
「そして、君がもし、もしもだがね、この画像の被害者である場合は、我々はきちんと相談にのるつもりでいる」
 建翔が目をあげる。それを捕えて、リーダーが口角をあげた。しかし笑っているわけではなかった。
「具体的にはどのような」
 建翔の問いに、相手が真顔に戻る。
「……具体的には。そうだな、弁護士を紹介し、必要ならば休暇を。社への損害がある場合でも懲戒免職はないと思って欲しい」
 暗に辞めろ、と言っているのだとわかった。それはそうだろう。尻の穴を世間に丸出しにした社員を会社がそのまま雇用するとは思えない。建翔の顔に焦りが浮いてきたのを見て、リーダーが続けた。
「しかし、もしも君が本人でありながら違うと嘘をついた場合、それで我社に損害が生じれば、我々は君を懲戒解雇し、損害賠償請求をすることになる」
 男の声がいちだんと硬くなる。
「ひとつ聞きたいのだが、君は一越技研の部長と仕事上のつながりがあったね。あの画像に写っていた、もうひとりの人物だ」
「……はい」
 羽純のことだ。彼らは画像を精細に吟味している。
「それを踏まえて、確認を取らせてもらう。あの画像の男は君かね?」
 リーダーを務める社員は、ひどく冷たい男なのだろう。物事を事務的に済まそうとする合理主義者のようだ。建翔の気持ちなど欠片も思いやっていないのが伝わってくる。つまり、ここで自分と認めればもう辞めるしかないのだ。建翔は羽純と共に、社会の枠から放り出されることになる。その後は、本人認定の誹謗中傷にさらされる。誰も守ってはくれない。
 脳裏にあの夜の男たちの顔が浮かんだ。筧とその仲間たちの下碑た笑い声と、建翔と羽純を玩具のように扱い傷つけようとした姿が。そいつらは今頃、どこか知らない場所で嘲笑っているのだ。自分と羽純のことを。――いい気味だ、ざまあみろと。
 底知れぬ怒りが湧きおこった。
 こんな、こんな終わりがあっていいはずはない。あんな奴らに人生を壊されていいはずがない。
 理不尽な怒りで、身体中が一杯になる。
「……違います」
 ただ憤りだけで答えていた。頭の中は筧らへの激しい憤怒で、真っ赤に染まっていた。
 俯きがちにわななくと、危機管理グループはそれを建翔が侮辱と捉えたせいだと思いこんだらしい。いったんあごを引き、顔を見あわせて、どうしようかという表情を交わしあった。
「わかった。すまなかったね。こちらとしてもはっきりとした確証がないと動けないもので」
 リーダーは姿勢を正すと、今後の対策についてメンバーらと話しだした。それを、建翔は怒りの渦の中で黙って聞いていた。
 彼らがたやすく引いたのは、もしも自分たちが間違っていた場合、今度は建翔が会社を名誉毀損で訴える可能性が出るからだろう。
 会議が終わり、部屋を出た後、建翔はひとりトイレの個室にこもって早い鼓動を刻む心臓を押さえた。
 会社に対して虚偽の告白をしてしまった。嘘をついて、それを押し通した。
 大事(だいじ)を犯してしまったことに全身がわななく。嘘がバレたら大変なことになる。辞職どころではすまされない。
 しかし、どうしても認めることはできなかった。こんなことで、筧らに負かされ、嘲笑われるのは許せなかった。
 けれど冷静なって考えてみれば、もしも彼が別の画像を出してきたら、次は特定されるかもしれない。そうなれば逃げ場はない。
 背筋に冷たいものが伝っていく。
 羽純は今頃どうしているのだろう。筧らを告訴することにしたのだろうか。警察の捜査が及べば、たぶん自分の情報も明らかになる。証拠が押収されれば、そこには建翔の画像も保存されているだろうから。  
「……羽純」
 あいつもきっと苦しんでいる。どうするべきかと悩み、助けを求め、闘っている。
 彼に会いたかった。今すぐにでも。
 先の見えない未来に不安で一杯になりながら、震える口元を手でおおう。
 短い時間、そうやって気持ちを落ち着けながらすごした後、デスクに戻った。平常心を自分に強いて、たまっていた仕事を片付ける。しかし何をしても上の空で、指先はずっと痙攣していた。
 頭に入ってこないノートPCの画面を眺めつつ、建翔は今までの自分の人生を振り返った。
 子供のころから普通に勉強をして、普通に進学し、一流といわれる企業に入ったことを。
 それは大きな苦労はなくても、本人の努力の結果であった。
 一般人としての平凡な暮らし。そのことに不満を覚えたことはない。自分の未来もまた、平凡に続くのだと想像していた。
 だがこの一件で、あの写真が自分だと世間にバレれば、それらすべてが奪われ、社会の底辺の、そのまた下まで転がり落ちていく。
 経験したことのない未知の恐怖を抱えると、人間はパニックになるらしい。腹の底からわいてくる怖気に、大声で叫んでこの場から逃げ出したくなる。
 建翔は下腹に力を入れて踏ん張った。
 ――負けてたまるか。
 あんな卑劣な犯罪者に、未来を、人生を明け渡すわけにはいかない。絶対に、自分はここにしがみついてやる。
 ――堕ちてたまるもんか。絶対に。
 建翔はいつもと変わらぬ様子を保ちつつ、仕事に集中するために再びノートPCと向きあった。


◇◇◇


『久しぶり、元気でやってる?』
 と田舎の姉から電話があったのは、一週間後だった。
 休日の夜、建翔は自分の部屋でぼうっとしながらひとりですごしていた。
「うん。元気だよ。そっちは?」
 姉の由香子から電話がかかってくることは珍しい。彼女のいつも通りの調子に、しかし建翔は横になっていたベッドから起きあがって身構えた。
『ならいいけど。こっちは皆、変わりないわよ。父さんも母さんも元気』
 建翔の実家は日本海側、越前海岸の近くにある。父親は会社員で、母親はピアノ教室の講師をしながら暮らしていた。姉がひとり、近くに嫁いでいて、電話はその姉の由香子からだった。
『ところでさ、変な噂聞いちゃったから。母さんが心配してあんたに電話してくれってあたしに連絡してきて』
「――ああ」
 近況報告を簡単に伝えあった後、由香子が本題を切り出す。言いにくそうに、けれどきかずにはいられないというように話し始めた。
『今、変な画像がネットに流れてるじゃない。……そのことについてなんだけど』
 家族はネットに流れた情報について知っている様子だった。多分、口さがない友人の誰かでも教えたのだろう。由香子が詳細を調べて、建翔に事実確認をしてきたようだった。
『あれ、あんたじゃないわよね』
 由香子が、事件に巻きこまれたのは自分の弟ではないのかと探る口調でたずねてくる。



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