リカバリーポルノ 24


 誰かがそこに腰かけている。ジーンズにジャンバー、野球帽とマスク。そして夜なのにサングラスをかけている。
 羽純だった。
「……」
 声をかけようとして、その姿の小ささに驚く。
 元々、羽純は男にしては華奢な体格をしている。けれど今は、もっと細く頼りなく見えた。何かに怯えるように、人目を避けるように、けれど待ち人の様子でぽつねんと座っている。
 建翔はそれを見つけたときに、胸に引き絞られるような痛みを覚えた。
 こんな、罪もない、ただ普通に生きているだけの人間の、ささやかな幸せまで奪って、この世界は、この世のことわりはなんて残酷なんだろう。
 心の奥から強い憤りを覚える。そして同時に、哀しみと、際限のない愛情を。
「今仲」
 建翔に気づいた羽純が、花壇から立ちあがった。それに急いで近よっていった。
「羽純」
 やっと会いにきてくれた嬉しさと安堵に、自然と笑みがこぼれる。羽純もそれに、マスクの下で微笑んだのがわかった。
「どうなった?」
「終わった。終わらせてきた」
 腕に触れれば、以前よりまた細くなった気がして、建翔は「そうか」と返すのが精一杯だった。
「とにかく入れ。どれだけ待った? 寒かっただろ」
 羽純は大きなキャリーバッグをひとつだけ持っていた。それを運んでやり、エレベーターにのりこむ。
「荷物、大きいな」
「うん。家をでてきたから」
「え……?」
 想像以上に大変だったのかもしれない。けれど羽純の声は、以前別れたときよりもサバサバとしているように思えた。
「今仲。お前の方はどうなった?」
「俺は、今のところバレてないよ」
「そうか、なら、よかった」
 マスク越しでもわかるほど、安心した様子を見せる。自分のことよりも心配していたようだった。
 二階の建翔の部屋に入り、ドアをしめる。そこでやっと、羽純は変装を取った。げっそりとやつれてはいたが、顔色は悪くない。多分、本人が言うように何かが『終わった』のだろう。それで吹っ切れたものがあるのかもしれない。
「入って。エアコンつけるからな」
「うん」
 キッチンにいって湯を沸かし、コーヒーをいれる。マグカップにふたり分を注いでローテーブルの前に腰かけた羽純に持っていった。
「それで、どうなった?」
 羽純は寒さで真っ白になった指をカップにそわせた。
「――うん、弁護士や家族と相談して、告訴はしないことになった」
「え?」
 驚く建翔に、羽純は落ち着いた微笑を向けてきた。
「驚かないでくれ。順を追って話すから。まず、告訴はしない。なぜなら、示談ですませたから」
「示談?」
 羽純がうなずく。少し、言葉をためるようにして、それからまた話しだした。
「画像と動画を、全てこちらに提出させた。慰謝料も請求した。だから警察に被害届もださなかった」
「どうして? それじゃあ、やられっぱなしで終わることになるだろ。それでいいのか」
 呆気に取られた建翔に、羽純は冷静に続けた。
「今仲。俺、あの日、ドラッグを自分から飲んで、病院に担ぎこまれたろ」
「――ああ」
「医者は危険ドラッグの患者を受け入れた場合は守秘義務で行政機関に届け出をしなくてもいい決まりらしいんだけれど、警察の捜査が入ればそれが明らかになる」
「けど、それは俺を助けるためだったろ?」
「……奴らが逮捕されれば、ドラッグを飲んだことが公になる可能性がある。俺の画像も蒸し返される」
「けれど」
「父親に泣かれたんだ。これ以上、事を騒ぎ立てて会社に迷惑をかけてくれるなと。妹の将来もあるからと。家は夕菜が婿取りをして継ぐことになった。それも考えてくれと」
「そんな……」
 言葉がなかった。
「告訴はしないが、画像が載せられたネット媒体には削除要請をしていく。それに金がかかるからそちらに力を入れていくということで、父とも了承しあった」
「それでいいのか?」
「今仲」
 羽純は手にしていたカップを握りしめた。
「俺、あの事件以来、マスクやサングラスなしで人と話すと過呼吸を起こすようになってるんだ。あいつの名前を聞くだけでも、吐きそうになる。だから、とにかく早く終わらせて、解放されたかったんだ」
「そうなのか……」
 うん、とうなずく。
「全て、自分がまいた種だ。自己責任で刈り取るしかない」
 ひく、と口元が動く。笑おうとして失敗したらしかった。羽純はそれで終わりにしたいというが、建翔にしてみればとても納得のいくものではなかった。
「それでいいんだよ」
 羽純が手を建翔に伸ばしてくる。もたれかかるようにしてきたので、背に腕をまわして抱きしめた。
「今仲」
 疲れた声で言う。
「抱いてくれ」
 それだけでいい、というように。
 やわらかな髪に頬を埋めて、やり場のない怒りに身を震わせる。それでも、これが羽純の選んだ結末ならば。そうしてやるべきなんだろう。
「……わかったよ」
 抱きしめたまま、細い身体をベッドへ運んで横たえた。
 相手が建翔の首に手を回してきたので、優しく口づける。唇を重ねたままでささやいた。
「家をでたのなら、一緒に暮らそう」
 上着を取り、下に着ていたセーターを脱がせながら言う。



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