エンジェルを抱きしめる 02

 
「青芝敲惺です、よろしく」
 それでもしっかりと自己紹介する。よく響く声は思ったよりも若かった。
 身体は大きいが、敲惺は琳よりももっと年下かもしれない。だとしたらエンジュの中では敲惺が最年少になる。敲惺が年よりも大人びた良識ある青年であることを琳は願った。
 バンド内のごたごたでのメンバーの入れ替えは、もう、ごめんだったからだ。
「それで、うちのほうは、こっちにいるのが、舞園琳でキーボード担当。で、そこに座ったまんまなのがボーカルの江口高之」
 順番に指差して説明して、最後に自分に向けて「そして私がマネージャーの滝純太郎です」と付け加えた。 
「ベースは?」
 と、迅が四人を見渡して訊いてきた。
「ベースは……どうしても候補がつかまらなかったので、琳がキーボードで担当します」
 純一郎が琳のほうを見て言ったので、琳はぺこりと頭を下げた。迅がそれに、成程、しょうがないかというように頷いた。
「さて、紹介も終わったところでどうしようか。一応、ここのスタジオ二時間押さえてあるんだけど」
 ちょっと、合わせてみます? と純太郎が迅に話しかける。この五人の中では、迅がいちばん最年長らしく、純太郎がお伺いをたてた。迅は自分のギターを持ってきているようで、ギターケースがかたわらにある。
「俺、さっき二時間、喉つかったんだけど」
 テーブルに肘をついたままの高之が面倒くさそうに口を挟んだ。純太郎たちがここに来る前、高之と琳はボーカル用のスタジオを二時間借りて練習していた。
「今日は顔合わせだけじゃなかったのかよ」
「じゃあ、いいよ。高之は聞いてりゃ」
 純太郎はそう言って、手続きをするために受付のほうに歩いていってしまった。
 残された迅と敲惺は顔を見合わせた。
 この、新しいバンドの、新参者を暖かく受け入れようとしない異様な雰囲気に戸惑っているのかもしれない。普通だったら、三人もメンバーが抜けてしまって、活動を続けるのも困難になっているグループを助けるためにきてくれた彼らに感謝こそすれ、目の前の高之の態度は、あまりにも大人気ないものだ。
 しかし、ここに来るまでに、高之の性格については純太郎よりいくらかの説明があったのか、それとも『エンジュの高之』の評判は聞いて知っているのか、ふたりは別に何もいうことなく、純太郎の後について受付のほうに歩いていこうとした。
 琳も黙ったまま、テーブルの脇においてあった自分のキーボードケースとスタンドを持ち上げた。
 キーボード奏者が持ち歩くキーボードは、大抵十五キロ程の重さがある。琳は小柄で体格も華奢だから、それをよいしょ、と持ち上げたところで、横からすっと手が差し出されてきた。
「持つよ」
 見上げれば、てっきり先にいってしまったとばかり思っていたドラマーが隣に屈んでいた。
 さりげなく琳のキーボードとスタンドを手にして、軽々とそれを運んでみせる。
 不意をつかれた琳は、驚いてその姿を見つめた。
 横に立つ男は琳よりも二十センチは背が高い。百八十を優に越えているようだ。Tシャツにデニムパンツの服装はシンプルで飾り気がなく、けれど外国人っぽい容姿のため、変に迫力がある。体つきは鍛えているのか筋肉質で、まるでアメリカの海兵隊員のようだった。ドッグタグと呼ばれる認識票を首から下げたらきっと似合いそうだ。
 力強いドラムを叩きそうだな、と琳は思った。
「いいよ。重いのは慣れてるから」
 琳が手を伸ばして、取り返そうとする。人に親切にされるのには慣れていなかった。
「キーボーディストは大変だよな。俺らはスティックぐらいしか荷物がないからいいけど」
 敲惺は笑顔でかまわず歩きはじめた。琳は隣で、自分の腰のあたりまである長い脚がどんどん進むのを、小走りで追いかけた。
「――あ、ごめん」
 敲惺がそれに気づいて歩調をゆるめる。横に並ぶ琳をしげしげと眺めて、「リンって言うの?」と訊いてきた。
「え?」
「名前」
「あ、うん」
「きれいな名前だな。――リン、リンリン、リン」
 リズムを取ってフレーズのように繰り返す。
 自分の名前をいきなり何度もよばれた琳は恥ずかしくなって、まわりを窺いながら顔を俯けた。それを気にも留めず、敲惺は歌うように琳の名をよぶ。
 琳はその横顔を見上げた。ごつくて強面っぽいのに、この男は中身は陽気そうだ。あらためて観察すると、眉は濃くくっきりとしていて、男らしく精悍な顔つきをしている。けど、その下にある大きな瞳が優しげだった。二重の瞼が重たげで、そのため甘い印象を与えている。
 さっきは不機嫌に高之に向かってガンを飛ばしていたのに、もう機嫌を直して歌っている。ノリもなんとなく外国人っぽい。
 変わったメンバーが入ってきたもんだなと、琳は戸惑いながら相手について行った。
 純太郎が予約していた部屋に五人が入ると、各々が、自分の楽器の準備をはじめた。チューニングをしながら、琳がキーボードでエンジュの三枚目のアルバムの中の曲を少し弾いてみる。
「曲、どれにするの?」
「とりあえず、事前にCDもらってるから、三枚目のは弾けるようにしてきたけど」
 と迅が言うと、ドラムセットの前に座った敲惺もうんうんと頷いた。
「『HYBRIDISM』『moonsand』『レーン5』、この辺とかどう?」
 純太郎が提案して、じゃあそのうちの一曲をということで、琳が最初に弾きはじめる。
 一拍遅れて迅がメロディーに乗ってきた。それに合わせて、敲惺がリズムを刻みはじめる。高之と純太郎は椅子に座って演奏を聴いた。
 いい感じになってきたところで、最初に戻って通してやってみる。
 エンジュの曲を迅と敲惺はきちんと覚えてきていた。敲惺は見たところ、自分の力を抑えて七割程度で叩いているようだった。繰り出すリズムは安定していてふたりの演奏もちゃんと見ている。迅も職人のように正確に弾いているが、それでも余力はまだまだあると言いたげな感じだった。
「もっと好きにしていいですよー」
 と曲が終わったところで純太郎が口を挟んできた。それならば、と三人でアップテンポの曲を演奏してみる。
 今度は最初から飛ばして、敲惺も力強いドラムプレイを見せてきた。けれど、ひとりよがりな感じはない。琳の作った曲をちゃんと理解して、それに合うように自分なりのドラミングを披露してくる。テクニカルで、パワフルで、なめらかな安心感を与える技術は秀逸だった。見た目のパフォーマンスもすごくいい。
 曲の中ほどから、琳はエンジュの曲が今までと違う演奏者の手によって、新しく構築されていく感触を得はじめた。それは決して悪いものではなく、むしろ以前よりずっと良くなっている感じさえした。
 高之が立ち上がって、マイクを手にする。
 途中から彼が参加すると、ぐっと歌のボルテージが上がった。
「いい声してるな。伸びもいいし」
 迅がそう言うと、高之はそれで気をよくしたのか、そのあとも一緒にマイクを手にし続けた。
 敲惺も、迅も、演奏は歴代のエンジュのメンバーと比べて断トツに上手い。琳は演奏途中で、何度も無意識のうちに足元を跳ねさせていた。乗ってくるといつの間にかしてしまう癖だった。
 四人とも満足げな表情になっている。いいメンバーになりそうだ。
 琳はキーボードを叩きながら、このメンツなら、もう一度エンジュもやり直せると確信した。
 これなら、メジャーにも手が届く。
 ――どうか、今度こそ、このエンジュが壊れませんように。
 琳はそう願いながら、新生en-jewelの音楽に、胸を弾ませながら身を任せた。



 二時間の音あわせの後、スタジオを出ると午後六時近くになっていた。
 五人はそのまま純太郎の行きつけの居酒屋に移動して、顔合わせ後の親睦会をすることになった。
 けれど、高之も純太郎も琳も、もう新しいふたりを受け入れるつもりでいたから、実質は歓迎会のようなものになった。
 いつも機材運搬に使っている純太郎の車に荷物を積み込んでから店に移動する。
「琳の部屋に荷物おろしてから合流するよ。どうせ二次会は琳の部屋だろ?」
 純太郎が運転席から確認をとると、琳もいつものことだからそれでいいよ、と頷いた。
 四人で指定の店まで歩いて行き、案内された奥の座敷に席をとる。まだ早い時間だったので、店の中は空いていた。
 少し待てば純太郎もやってきて、揃ったところで、お疲れ様と皆で乾杯をした。
「迅さんは、今までどこで活動してたんですか?」
 高之がさっそく質問する。さっき褒められたことで、迅に対しては親近感を持ったようだった。それにビールジョッキを片手に迅が少し照れくさそうに話しはじめた。
「スタジオミュージシャンしながら、まあ、自分のバンドも持ってたり、色々と、かな。仕事でエリシオンの大久保さんとは知り合いだったから、そこ経由でここを、エンジュを紹介されたんだ」
 さっきスタジオでの演奏が職人的にこなせていたのは、それを仕事にしていたからだったのかと、向かいで聞いていた琳は納得した。それでも、迅の演奏にはまだ表に出していない個性が残されている気もする。多分、それはこれから一緒に何度も合わせていけば見せてもらえるのだろうと、琳もサワーを手にしながら黙って話に耳を傾けた。
「じゃあ、もうプロとして仕事してたんですか」
「プロったってね、そういうんだったら敲惺のほうがオレよりずっとキャリアが長いよ」
 迅が前にすわる敲惺に、ジョッキを傾げてみせる。テーブルに両肘ついてビールを少しずつ口にしていた敲惺が、自分の名前が出て、顔を上げた。
「こいつはずっとアメリカにいて、ドラマーだった祖父さんから、子供のころから手ほどき受けてたんだ。プロのバックバンドにいたこともあるし。な?」
「つなぎの助っ人としてですよ」
 琳の横で、何ていうことはない、という顔で答える。琳はその男をまじまじと眺めなおした。まだ若いのに、実力が伴っているのは経験値が高いせいだったのか。
「……あのさ、君さ、えっと、敲惺くん?」
 純太郎が呼べば、はい? とばかりに敲惺がそちらを向く。
「君、歳いくなの……?」
 海兵隊員ばりの体躯を持った男に問いかけると、「十八です」と返ってくる。
「まじで?」 
 その場にいた全員が驚いた顔で敲惺に注目した。
「もうすぐ十九ですけど」
「いや、二十歳前かよ」
 純太郎が慌ててビールを取り上げた。酒は飲めないのか、舐めるように口にしていたジョッキはほとんど減っていなかった。
「他のもの頼んでやるよ。なに飲む?」
 純太郎が脇にあったメニュー表を取り上げて、敲惺に渡す。それに、「じゃあコーラお願いします」と答えた。
 運ばれてきたソフトドリンクを手にするのを見ていたら、なんだかさっきより幼く思えてきて、琳は妙な感じがした。
 スタジオでドラムを叩いていたときは力強くて、落ち着きがあって歳より大人びて見えた。それはきっと、自分のプレイに自信があったからだろう。ブレのない手さばきは、なめらかですごく格好よかった。けど、今はまだ高校に通う学生のようにも見えてくる。
「ってことは、琳が二十一で、俺と高之が二十三で……」
 純太郎がひとりずつ、年齢をバラしていく。
「俺は、二十七」
 迅が、額に手をあてて、みんな若いなーとため息をついた。
「そんな変わんないですよ」
 高之が慰めるように言えば、迅が「俺だけアラサーだ」と嘆いてみせて、それで場の雰囲気も和やかになった。
 しばらくそのまま互いの自己紹介などしていたら、話題が音楽談義に移っていった。どのアーティストのどの曲がいいとか、アレンジがどうとか、アルコールが浸透していくと互いの趣味も公になって親近感が増してくる。
 それを琳は、サワーの入った大振りのグラスを手に、ふんわりと上気した気分で聞いた。新しい仲間がいつもは気難しい高之と仲良くなっていくのを見るのは嬉しかった。
 ふと視線を落とすと、琳の肘のちかくに隣の男の手がおかれていた。アルコールの飲めない敲惺は料理を十分腹に入れてそれ以上はすることもなくなったのか、頬杖ついて迅たちの話に耳を傾けている。
 琳はその大きな手を気づかれないようにそっと盗み見た。



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