リカバリーポルノ 28


◇◇◇


「どうしてここがわかったんだ」
 伸び放題の髭にサングラスの羽純が、生姜ジュースを飲みながらたずねてくる。建翔はBRAKINAとラベルされたビールを半分まで飲んでから答えた。
「テレビの情報番組に、あの小学校の屋上が映ってたんだ。鮮やかな青色で、プレラのブルーだと思った。それで急いでここまできたんだ」
「本当に? そういえば、日本のテレビ局がボランティアの取材で、二ヶ月ほど前にきていたみたいだったけど。ただそれだけでここまできたのか」
 驚きに目をみはる。無謀なことを、と呆れたのかもしれなかった。
 建翔と羽純は、この村に一軒だけという食堂の店先に設置された、藁と木で作られた日よけの下で夕食をとっていた。
 夕方になっていたが、気温はまださがっていない。けれど湿気はなく木陰はすごしやすかった。
 飲み物の他にリソースというこの国の料理も注文した。米の上に野菜と川魚、それにスープがかかったものだ。腹が減っていたので、建翔はそれもガツガツ食べた。味は悪くない。
「羽純はこんなところまで、プレラの営業をしに?」
「まさか」
 ふっ、と控えめに笑う口元は昔と変わっていなかった。けれど日本を発ったときより肌は焼けて小麦色になっているし、仕草も少しラフになっている。人間らしさが戻ってきているようで、建翔はその姿に安堵した。
「この国は今は乾季だけど、来月から雨季に入るんだ。そうすると物凄いどしゃぶりの雨が降る。あの小学校は古くて雨もりがひどいって校長が言ってたから、プレラの在庫を、工場の古い知り合いに頼んでこっそり送ってもらって塗ってみたんだ」
「そうだったのか」
「耐久実験みたいなもんだな。ついでに周辺の建物にも塗ってやった」
 羽純がジュースを飲みながら、営業職の顔で笑う。
 それに建翔は、かつて一越技研の駐車場で、ブルーシートで覆わた在庫の山を目撃したことを思い出した。
「まさか、俺んときに世話になったプレラの在庫がまだ残ってるとかじゃないよな」
 罪悪感もよみがえり、そんなことを言ってしまう。
 建翔の言葉に、羽純が不思議そうな顔をした。
「あんとき、お前の会社の片隅に、プレラの在庫が大量に雨ざらしになっているのを見かけたんだよ」
「いつ?」
「お前を、会社にレンタカーで送ってったとき」
「ああ……」
 羽純はあまり表情を変えずにうなずいた。建翔の言葉遣いがどうして苦いのか、あのころのことを回想しつつ考えていたようだ。ジュースのグラスに手を添えて、飲みはせずにフッとかるく笑う。
「配合条件を聞き出したことを、悪いと思ってるんだ?」
 今更感を覚えさせるような笑い方だった。しかし、あのときのことを思い返せば、建翔は安易に笑い返せない。自分のしたことで、どれほど一越技研に損害を与えたのかと考えれば、恥と後悔もよみがえる。
「気にしなくていいよ。元々、さほど価値のあった情報じゃない」
 言って、羽純はジュースを飲んだ。
「え?」
「お前に渡したのは、確かにうちの製品の情報に間違いはなかったんだけれど、あの後すぐ、うちのプレラは品質改良した新製品を出したから」
「そうなのか」
 知らなかった情報に驚く。
「中身のマイナーチェンジだったから、どこにも発表してなかった。だからその切り替えのときに、古いロットで在庫が出たんだろう。お前が見たのは、多分それだよ」
「まじか……」
 羽純の説明に、建翔は肩から力が抜けていく気がした。長年、心にわだかまっていた罪の意識が少しかるくなる。もちろん、それで全てがなくなる訳ではないのだが。
「当たり前だろ。製品の中身や製造法なんて、一番の社外秘だ。そう簡単に教えるわけがない」
 さらりと言う声には、かつて跡取り息子として忙しく立ち働いていた名残がある。
 羽純は会社に対する責任感をちゃんと持っていた。暴走はしていたが、芯の部分には理性が存在していたのだ。
「たしかに、お前んとこが防水事業に進出してきて、プレラの売り上げは落ちたけれど、今でも品質はうちがずっとトップだよ」
「ああ、その通りだ」
 一越技研の製品は、業界内でも信頼が厚い。良い製品をコンスタントに提供しているからだ。品質管理面でもしっかりしていると聞く。  
 建翔は自分が無理を言って得た情報が、羽純と一越技研をさほど苦しめていなかったことに安堵した。
 同時に、自分はもしかして気づかぬところでこの男にいいようにあしらわれていたのではないかとも考える。けれどそれも、今となっては嬉しい発見であった。
 ジュースを飲みながら、羽純がきいてきた。
「お前は、まだ朝日化学で働けているのか」
「働いてるよ。職場は変わっちまったけど」
 片頬だけ持ちあげて苦く笑う。詳細は話さずコメをかきこんだ。
 羽純も詳しくはたずねずに「なら、よかった」とだけ答える。
「それで、そっちは、この五年間、どこにいたんだ? ずっとこの村にいたのか?」
「いや。世界中をブラブラ回ってたよ。バックパッカーみたいにさ。モンゴル、ブータン、ロシア、ペルー、アフリカ……人のいない自然ばっかりの場所を探して旅してた。この村にも、住んでいるわけじゃなくて、滞在しているだけだ」
 そう言うと、夕暮れの景色に顔を向ける。使い古したサングラスには小さな傷がいくつもついていた。
 きっと顔を隠しながら旅をして、自分の生きられる場所を探していたのだろう。
「食ったら、俺んち、くる?」
 ジュースを空けた羽純がたずねてくる。
「うん。泊まるとこないしな」
 食事を終え、店をでると村のはずれまで歩いていった。乾いた風が、黄色い土埃を舞いあげている。藁ぶき屋根の小屋や泥塀がバオバブの木々の間に散在し、家の前では鶏が鳴いていた。その一角に、セメントでできた小さな建物があった。
「ここだよ。以前は医者が住んでいたらしい。そこを借りたんだ」
「へえ」
 中に入ると、それなりに広い室内にはベッドとテーブルと椅子があり、床には茣蓙(ござ)のようなものが敷かれていた。
 部屋は三つで、居間と台所と物置となっている。ベッドにはマラリア対策だろう、青い蚊帳が吊るされていた。
「この村は電気はきていない。水も井戸。そこで汲んでくるから、外で水浴びをしよう」
「おう。手伝うぞ」
 バッグをテーブルにおいて、後についていく。家の裏には緑のしげる庭があった。その片隅に井戸がある。ふたりで井戸水を汲みあげて、庭にあった大きなタライに満たして一緒に水浴びをした。
「脱げよ」
 羽純に言われて、全裸になる。その横で彼もまた服を脱ぎ捨てた。羽純は旧知の親友みたいに、からりとした仲のよさだけを見せていたが、視線は微妙にこちらを避けていた。
 その様子に、まだ自分ことを想ってくれていたらいいなと考える。早くキスをしたかった。



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