彩風に、たかく翼ひろげて 28


◇◇◇


 隼珠が通う琉球カラテの道場は、夜の八時に練習が終わる。弟子は数人しかいないので、隼珠もつきっきりでみっちり鍛錬してもらえている。
 通い始めて一か月。蹴りも形になりつつあるから、仕事終わりの疲れた身体でいくのも苦痛ではなかった。
その日も稽古を終えて、胴着の入った風呂敷を背負って白城の屋敷に戻ると、帳場に子分たちが集まっていた。土間つづきの広い板間に二十人からの男衆が勢ぞろいしている。皆、いつもと違う緊迫した顔つきで互いに顔を見あわせていた。
 その真ん中に、腕組みをしてむっつりと押し黙る迅鷹がいた。
「……どうしたんすか」
 戸口の近くにいた源吉に小声で話しかける。「隼珠か」と顔をあげた源吉は、眉を曇らせてささやいた。
「赤尾の頭が死んだ」
「えっ」
「赤尾の親分、つまり卒中で寝たきりだった蛇定の父親だな。そいつが昨日の朝、死んだんだ」
「……」
 ということは、跡目の蛇定が、赤尾一家の新しい親分になるのか。
 隼珠の疑問に答えるように、離れた場所にいる迅鷹が口をひらいた。
「赤尾の親分の葬儀は今日だそうだ。赤尾には遺恨はあるが、死者は礼をもって送るつもりでいる。しかし、その後は別だ。蛇定が親分になることがあれば、赤尾は全面的に白城の敵になる。なにかあった場合には、いつでも応戦できるように、てめえら全員、覚悟して準備しておけよ」
 自分にも言い聞かせるように告げる。
 へい、と声をそろえる子分らをかき分け、迅鷹はこちらにやってきた。その横顔はいくぶん悔しそうで、焦れている様子だった。
「親分は、本当は蛇定を討ちに行きたくてしょうがねえんだ。けど、工事があるから亮にとめられている。だから機嫌が悪いのさ」
 源吉がこっそり耳打ちしてくる。
「メシだメシだ。腹が減ったぞ」
 迅鷹はことさらに大きな声をあげ鬱屈した雰囲気を飛ばそうとした。それにならって子分らも腰をあげる。皆、三々五々に散らばっていった。
 隼珠も夕食をとるために、食事部屋に向かおうとした。
「隼珠」
 それを源吉が呼び止める。
「へい」
「おめえ、今夜は現場の寝不番だろう。わしもだから、十時前に一緒に出かけよう」
「へい。わかりやした」
 皆とともに夕食をとった後、しばらくしてから隼珠は源吉に声をかけて、ふたりで屋敷を後にした。源吉は腰に長脇差を、隼珠は匕首を懐にさしている。見張り番は全員、武器を持つことになっていた。
「亮は慎重すぎるんだよなあ」
 河原まで一緒に夜道を歩いている途中で、源吉がこぼした。
 寒い夜だった。半纏の上に褞袍(どてら)を羽織り、それでもまだ足りなくてふたりとも襟をかけあわせ震えながら暗い道を急いでいた。
「博徒なのに慎重がすぎると、単に意気地がないだけに見られちまう。ありゃあそのうち他の子分からも不満がでるぞ」
 短いガニ股の足を繰りだしながら源吉がぼやく。
「たしかに受けた仕事はキチンとこなさなきゃならねえ。けれど、それを親分が考えていねえかってえと、そうじゃねえ。そこのところはちゃんと手を回していらっしゃるはずだ。現に、鶴伏のもう一軒の土建業の親方になにかあったら人足と飯場をよろしく頼むと連絡しているってえ聞いた。連絡係は亮になってるはずや」
「そうなんっすか」
「経営を優先するなんてぇのは、商人のすることだろうが。博徒が金勘定に走ったらもう任侠じゃあねえやな。――まあ、あいつは俺らとは違って、もともとは士族の出だっていうから考え方も違うんだろうけど」
「もとは侍だったんですか?」
 亮の話は初めて聞く。
「ああ。だからあいつは話し方もわしらと違うだろ。しかも親父は勘定方だったってえから、ソロバン好きなのかもしれんがな」
 確かに、亮は言葉使いも立ちふるまいも落ち着いているし礼儀もわきまえている。それは士族だったからなのか。
「亮は維新の後、食うに困って撃剣会で剣術の見世物をしてたんや。そのとき、質の悪い興行主にだまされて試合中に殺されそうになってな。それを先代が助けてやったのさ。以来、先代に惚れこんで白城に居ついたんや。だから先代の残した白城組に、誰よりも情が入ってるんだな。先代が死んだときも、ひどく悔しがって男泣きしてたからなあ」
「そうなんすか……」
「亮は先代に恩義を感じているんや。だから組の誰よりも白城を大切にしとる。まあそれはええことなんやがなあ」
 歩いているうちに、前方に明るい焚火が見えてくる。二階建ての大きな宿所の影も見えてきた。
 現場の見張りは、最初はふたりだけだったが今は五人に増やしている。まもなく始まる工事に備えて警備を強化しているのだった。
「よう、ご苦労さん」
 焚火にあたっていた子分が、ふたりを見て挨拶する。
「後の三人は、遅れてくるはずや」
 源吉がそう伝えて、近くに転がっている材木に腰をおろした。
「そうかい。なら、残りがきたら俺らはあがるか」
 酒は飲めないので、皆、茶をすすっている。隼珠も薬缶に入った茶を湯飲みにくんで源吉に渡した。
「明日から忙しくなるな」
 子分らが手持ちぶさたに話をふってくる。
「第一弾が、五十人。午前中には到着するそうや」
 源吉がそれに答えた。
「最終的には百人ほどの人足が集まる予定やそうだ。それを班分けして班長を割り振って……。忙しくなりそうやな」
 焚火で手をあぶりながら男たちは会話を続けた。それを聞きつつ、隼珠は懐に菓子を入れていたことを思いだして包みを取りだした。
 懐紙に包まれていたのは金平糖だった。使い走りによく訪問する材木問屋のおかみは、隼珠を子ども扱いして行けば必ず菓子を持たせてくれる。菓子を食べる生活は幼い時以来だったので、久しぶりの甘味は隼珠も嬉しかった。
 ぽりぽりと金平糖をかじっていると、それに気づいた源吉が笑ってきた。
「なんや。隼珠坊は。菓子が好きか」
「へえ」
 源吉にも差しだしたが、「わしは酒のほうがええ」と言って手をだそうとしなかった。
 焚き木の炎を見ながら茶を飲み、甘い菓子を食べていると身体も温まってくる。パチパチとはぜる火の粉が、時折、闇へと舞いあがるのをぼんやりと眺めた。
「おめえは、そうやってると歳より幼く見えるな」
 茶を飲み終わった源吉が、湯飲みを足元において、しみじみした口調で言う。
 そういう源吉は今年六十のはずだが、家族はなく、屋敷の離れに独身の子分らと共に部屋を与えられて暮らしていた。この年になるまでどうやって生きて、どうして白城にたどり着いたのか隼珠は知らなかったけれど、まるで子供か孫のように隼珠に世話をやいてくれる源吉にはきっと過去にそういう人間関係があったのだろう。自分も失くした家族がいるだけに、隼珠はそれを考えるとちょっと淋しくなるのだった。
 黙ったまま金平糖を食べる隼珠に、源吉は微笑んだ。
「金平糖、うまいか」
「へえ」
 まざりけのない単調な甘みは、かつて、これを食べさせられたときのことを思い起こさせる。
 金平糖は、八年前、刀傷で生死の境をさまよい熱に浮かされていたときに、隼珠の口に入れられた菓子だった。
「これを食べていると、お医者先生のことを思いだすんでさ」
 舌の上で欠片をとろかせながら、あのとき自分の唇を押さえてくれた指先のことを考える。
「なんや。医者がどうした」
 源吉は帯につけた煙草入れをごそごそと探った。
「俺が、蛇定に斬られて死にそうになってたとき、お医者先生がこれを口の中にいれて、『死ぬな、頑張れ』って、励ましてくれてたんでさ」
 キセルを取りだす手がとまった。
「なんやて?」
 隼珠の顔をまじまじと見返す。
「そりゃあ、おめえ……」
 何か言おうとして、けれど途中で言葉をとめる。源吉は渋い表情になって、刻み煙草をキセルにつめた。



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