彩風に、たかく翼ひろげて 29
煙草に火をいれたところに、遅れて三人の子分がやってくる。
「ご苦労さん。そろそろ交替の時間や」
隼珠は見張りにつく前に用足しをしようと立ちあがった。
「どこ行く、隼珠」
「ちょっと、交替前に用を足してきまさ」
「ああそうか」
土手の草むらのほうへ行こうとして背を向けると、また「隼珠」と呼びとめられる。振り向けば、材木に座った源吉が何か言いたげな顔をしていた。
「なんですか」
首をかしげた隼珠に、源吉は少しためらうような様子を見せた。
「……いや、なんでもない」
「へえ」
「あとで、ちょっと話がある」
「へい」
なんだろうと思いつつ、交替の時間もあったのでそのまま暗い土手のほうへと歩いていく。枯草をかき分け、奥へと進んでいった。
細い月の出ている晩だった。雲が空の八分を覆い、ほとんど闇夜といっていいほどで星明りも見えなかった。隼珠は土手際まで行き用を足した。そのまま夜に導かれるように土手を登る。
対岸は、低い里山を背にしていくつかの街の灯が見えていた。こちら側よりも少ない橙色の光は小さくて、けれどどれも暖かそうだった。
あのひとつひとつに、市井の人が暮らしているのかと思うと、羨ましいような切ないような感傷に襲われる。
昔はあのひとつに自分もいたのだ。
しかし、昔のような生活に戻りたいかときかれれば、そうしたいのか隼珠にもよくわからなかった。平穏な生活は、貧しくとも小さくとも幸せだろう。かつての自分もそうだったから。博徒の暮らしは明日をもしれない。出入りがかかれば、斬られて死ぬ覚悟がいる。
迅鷹は、隼珠に堅気に戻れと言った。街中に家を用意してやるから、そこで商いでもして暮らしを立てればいいと。そうすればきっと安穏な生活が送れるだろう。迅鷹に守られて、危険から離れて、自分だけささやかながらも幸せを与えてもらえる。
隼珠は静かな音をたてて流れる川面に目を移した。
けれど、自分はそんな暮らしは欲しくはないのだ。死ぬと分かっていながらも、迅鷹のそばから離れたくない。博徒の世界に身をおきたい。
たとえ短くとも、人生のすべてを、あの人と共に精一杯使いたいのだ。迅鷹のために生きて、彼のために死にたい。彼にすべてを捧げたい。
――あの人が、恋しい。
その言葉が、ぽうっと身体の内から生まれてきた。ひとつの灯のように、心のよりどころのように。
今までは全く縁のなかった、隼珠の知らない気持ちだった。けれど今それが一番しっくりくる気がする。
生きていく命の糧のようだと思った。迅鷹の存在は、隼珠にとって。
さわさわと冷たい風が吹いてきて、血の気ののぼった頬に触れていく。
しばらく心地よい寒風に身を任せたあと、隼珠は源吉に話があると言われていたことを思いだして、土手をおりていった。
◇◇◇
土手と飯場は一町ほど離れている。
枯草を踏みながら、隼珠は焚火を目印に引き返した。
ちらちら揺れる火から少し距離をおいたところに宿所があり、その隣に食堂、そして平屋の詰所がある。そちらもぼんやりと眺めつつ歩いていたら、宿所のガラス窓に、チカリと光るものが見えた。数秒おいて、またチカリ。
なんだろう、と思った。目をこらして窓を見つめる。宿所の中に誰かいるのかもしれない。けれどランプの灯ではなさそうだ。隼珠は気になって宿所のほうへと足を向けた。
少し早足で、建物に近づく。すると中から誰かが出てきた。ひとりではない。
誰だろうと目をこらしたとき、宿舎の中が、真昼のように明るくなった。
それも一瞬で、次にその光はありえなく膨らんだ。
目が閃光をとらえた瞬間、ドオンという耳をつんざく音と共に、爆風が迫ってきた。衝撃で草の中に倒れこむ。パラパラと何かがふってきた。木切れや、ガラスの破片だった。
隼珠は慌ててそれを払いのけた。起きあがれば、目の前にはごうごうと音をたてて燃える宿所があった。
「――」
呆然と見つめていたが、すぐに我に返った隼珠は、焚火に向かって走りだした。
「源さん! 源さんっ!」
焚火の周りには誰もいなかった。もぬけのからだ。隼珠はどうしていいか分からず、宿所の周囲を仲間を探してウロウロした。しかし誰も見つからない。
宿所は炎をあげて燃え続けている。
ひとりではどうにもできないとわかると、隼珠は白城の屋敷へ駆けだした。途中でさっき別れた子分らを見つけて、大声で呼びとめる。
「てえへんだっ! てえへんだ、宿所が、燃えてるっ」
「なにっ」
「急に、火を噴いた」
「今の音かっ」
夜空の下、河原の方角が明るいのに、皆が目をこらす。
「隼珠、お前は急いで親分にしらせろ」
「へい」
大慌てで引き返す子分らと別れて、隼珠は屋敷へと飛んでいった。入口の門を叩くと、中から子分が出てくる。
「どうした隼珠」
「宿所が、宿所が燃えてるっ!」
「なに」
屋敷は大騒ぎになった。浴衣姿の迅鷹が寝所から飛びだしてくる。
「宿所が火事だって? 見張りはなにしてやがった」
皆、夜着のままで斧や手桶を手に河原へと向かった。
現場は騒然としていた。どこからか住人が集まり、川から水をくんで消火をしたり、離れて怖ろしげに見物したりしている。
子分たちもすぐに火消しにかかったが、火の勢いは凄まじく、手桶で水をかけてもまさに焼け石に水の状態だった。
炎が食堂に回りこんでいる。隼珠は詰所に行って、棚や荷物を運びだす作業を手伝った。火の届かない場所へ書類などを移していると、宿所の裏から大きな声がした。
「源爺さんが倒れてるぞ!」
隼珠は大急ぎで、声のするほうへ走った。
そこには、斬られて枯草に横たわる源吉の姿があった。
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