彩風に、たかく翼ひろげて 30


「源さんっ!」
 隼珠が駆けよると源吉はまだ息があるらしく、「うう」と唸った。
「大八車を持ってこい! 医者に運べ」
 誰かが背後で叫ぶ。隼珠が助け起こすと、源吉はその手に縋ってきた。
「隼珠……隼珠か」
「うん、俺だ。源さん、誰にやられた」
「……赤尾や。赤尾が……やりおった……」
 後ろにいた子分が、鬼の形相になる。
「赤尾の野郎かっ! おい、親分を呼んで来い!」
 消火作業に走り回る迅鷹を誰かが呼びに行く。
「隼珠、隼珠、おるか」
「いるよ、ここにる。今、医者のとこ連れてってやるから。頑張れ、源さん」
「いや、いい。わしゃ、もうだめや。それよか、隼珠よ」
「なに?」
 源吉は震える手で、隼珠の半纏をつかんできた。
「おめえに、言っとかなきゃ、ならんことが……ある」
「なに」
「おめえに、わしゃあ、謝らんと、いかん、ことが……あるんや」
「謝る?」
 背後の騒々しい音のせいで、源吉の声は聞き取りにくい。隼珠が顔をよせると、その耳に振り絞るようにして源吉は言った。
「わしをゆるしとくれ。それから……親分を、恨まんでやってくれ……」
「……え」
 源吉の目の焦点がぼやけていく。命の灯が消えようとしていた。
「ゆるす? なにを?」
「……ありゃあ、わしが、わしが悪かったんやからな……」
 意識が朦朧としていくなかで、それだけは伝えなければいけないと言うように源吉は口を動かした。
「親分を恨むって、なんのことですか?」
「すまん、隼珠」
 それだけ言い切ると、源吉の手がガクリと落ちた。そのままもう動かなくなる。
「源さん、源さんっ」
 声をかけても応えない。隼珠は小柄な身体を抱きしめ名を呼び続けた。
「隼珠、爺さんを車にのせるぞ」
 声をかけられて振り向く。すると、そこには迅鷹も立っていた。
 隼珠と源吉の姿を見て顔を青くする。
「……鷹さん」
 泣きそうになっている隼珠を促して、子分らが蓆に源吉の遺骸を移した。
「鷹さん、源さんが……」
 源吉が残した言葉を、迅鷹は聞き取っただろうか。迅鷹の表情は、怒りと煤にまみれていてよくわからない。
「親分、正次も向こうで斬られてやした」
 隼珠も混乱して、どうしていいか分からないでいるところに別の子分が伝えてくる。
「死んだか」
「へい」
「残りのふたりは」
「……多分、中だと」
 そう言って、目を宿所に向ける。迅鷹は押し黙ったまま炎に顔を向けた。
 二階建ての建物は今まさに、崩れ落ちようとする瞬間だった。柱がゆがんで折れる不気味な音が、周囲に響き渡る。
 夜空を焼くように火炎と火の粉が舞いあがり、激しいきしみがひときわ高くとどろく。
 野次馬らが悲鳴をあげる中、大音響と共に、宿所は火の海に崩れていった。 


◇◇◇


 火が収まったのは、夜明け前だった。
 それまでには食堂も詰所もすべて焼け落ちた。
 現場は灰燼と汚れた白城の人間と、白々と明ける空の蒼さで異様な徒労感に包まれていた。
「宿所には火薬と油が使われていたようだな。だから一瞬にしてあれだけ燃えたんだろう。火付けは赤尾の仕業だと言うことらしいが、目撃者は死んでいる。他に見たものはいないか、こちらでも調べていく」
 消防と警察の調べが終わると、燃えた建物の中から二体の焼死体が運びだされた。医者の検死で姿の消えた子分と判断される。
「赤尾にも話を聞くが、まあ、奴らから真相を知るのは難しいだろうな。そっちでも証拠になるものがあれば提出して欲しい」
 警察はそう言い残して、消防とともに引きあげていった。
 彼らが帰っていくとすぐに、迅鷹は子分らの前で言った。
「出入りだ」
 下帯一枚の姿で、一晩中消火活動をしていた迅鷹は、泥まみれの恰好だった。
「蔵をあけて武器を全部だせ。すぐに赤尾に殴りこみをかけるぞ」
 それに、同じように煤と泥だらけの子分らが「おおッ」と吼えた。
「出入りだ」
「仇討ちだっ」
「赤尾の奴らは皆殺しにしてやるっ」
 薄汚れた姿で、しかし目だけはギラつかせた男たちが雄叫びをあげる。しかし、そこに冷静な声がかけられた。
「待って下さい、親分」
 振り向くと、顔を強張らせた亮が立っていた。煤で真っ黒になりながらも、その顔からは血の気が引いているのがよく分かった。
「あと数時間で、手配した人足らがやってきます」
「それがどうした」
「彼らがこの燃えた跡を見て、親分がいないと知ったら、どうなりますか」
 迅鷹が亮を睨みつける。亮は、震えを抑えながら言った。
「工事を放り出して、復讐の出入りに行ったと知れれば、ここは大騒ぎになります」
「……」
「人足の大半は、地方の親分に頼みこんで用意してもらった博徒です。彼らがおとなしく出入りが終わるのを待ってくれるとは思えません」
 親分に意見するという大胆な行為に、周りの子分らもひたりと口をとじた。
「彼らは不安になるでしょう。工事はきちんと行われるのか、仕事にありつけるのか、賃金は払われるのかと。仕事をあきらめて帰ってしまう輩も出ましょうし、ここまできて手ぶらで帰らねばならないのかと、怒る奴も出ましょう。そうなったら、明日からの堤防工事ができなくなります」
「……」
「ここは、こらえて、親分に采配を振るってもらわないと、収まりがつかなくなります」
「堤防工事を優先して、そのために四人も子分が殺されたのを黙って見てろってのか」
「それは痛いほど分かっています。黙ってるわけにはいかんでしょう。しかし現場が混乱すれば、地方の親分やお役所の顔を白城が潰すことになります」
「そりゃおめえに言われなくとも分かり切ってる。だが、俺らは堅気の人間じゃねえ。火付けされて身内が殺されて、それでもこらえて仕事に励むなんざ、そっちほうが許されるはずがねえだろ。博徒にとっちゃあ、堤防より矜持のほうがずっと大事だってことはおめえだってわかってるはずだろうが!」
 拳を亮に突きだして叫ぶ。しかし、亮も怯まなかった。
「赤尾の連中はきっと、迎え撃つ準備をしているはずです。蛇定は鶴伏に戻ってきてから地元の無頼どもを集めているという噂があります。こっちは二十数人。向こうは五十人を超えていると聞きました。今行けば奴らの思うつぼでしょう」
 そうしてから、迅鷹を睨みつけた。
「……万一の、場合を、考えてください」
 亮が、言ってはならないことを、致し方なくというように口にする。それに迅鷹が怒りをこめて見返した。
「俺が死ぬってぇ言いたいのか」
「……」
 周りを囲む子分らも黙りこんだ。急に場がしんとなる。歯ぎしりする迅鷹が亮と額をつきあわせた。



                   目次     前頁へ<  >次頁