彩風に、たかく翼ひろげて 31


「俺が、出入りから帰ってこねえんじゃないかって、それを心配してるんだな」
 亮が目を見ひらき、憤りに顔を歪める。
「まさか、そんなこと、考えちゃいません。けれど親分に何かあったとき、白城組はどうなるんです」
「何かあったときってぇのは、どういうときだ」
 亮が口をつぐむ。亮の心配は隼珠にもわかった。怪我だけではない。出入りに向かえば、大騒ぎになり警察も動く。
 その困惑した顔を見て、迅鷹が不敵に笑う。
「おめえは本当に、白城組が大事なんだなあ」
「……」
「だったら、そんときは、亮、おめえが白城を継げ」
「えっ」
 亮が目をむいた。
「おめえが跡目だ。留守番して後の始末をしろい」
「……」
 言葉をなくした亮が、信じられないというように迅鷹を見すえた。
「誰も異存はねえだろ」
 迅鷹が周囲を見渡して告げる。子分らは目配せしあって、小さくうなずいた。けれど言われた本人は全く喜んでなどいなかった。
「……俺には、無理です」
 震えながら首をふる。
「俺には、できません」
「そんなことあるもんか。おめえ意外に誰がいるよ。一の子分なら誰も文句は言わねえ」
 それでも、亮は頑なに拒否をした。
「白城はあなたが親分じゃないと駄目だ。それが先代の願いでした。あなたが死ぬなんて、俺は思ってなんかいない。だから俺では、できません。せめてあと数日。人足らが泊まれる別の宿所を手配して、工事が無事に開始されるまでは。その後には、赤尾に出入りをかけて下さっても結構です。準備を整えて、仇討ちに行ってください。俺は留守番します。ですから、どうかお願いしますっ」
 膝を折り、地面に頭をこすりつけて懇願する。その姿には、白城組を預かる者の責任以上の何かがあらわれていた。
「赤尾は叩き潰さねばならんでしょう。俺たちの矜恃にかけて。けれど、白城を守ることも考えて下さい。先代が苦労して築いた組を、あなたの代で無くすようなことだけはどうかしないで下さい……っ」
 亮の必死の頼みに、迅鷹も黙りこむ。
 しばらくじっと土下座する亮を見つめていたが、工事にたずさわる人の多さが身に染みてきたのか、亮の説得に理解を示したのか、顔つきが次第に冷静になっていった。
 やがて根負けしたように、ひとつ大きなため息をつく。
「畜生め」
 厳しい顔で長い髪をかきあげ、周囲を見渡した。
「今日中に宿所になる場所を探す。それで明日の夜明けには赤尾を攻める。武器蔵をあけて、準備をしておけ。それ以外は聞かん」
 言うと、踵を返して群れから外れた。
 迅鷹が焼け跡の片付けに取りかかったのを見て、子分らも動きだす。
 亮はいつまでも土下座したままだった。ピクリとも動かず、頭をたれている。皆が離れていった後もそのままだった。
 隼珠は亮が気になって、その場から動けないでいた。
「おい、隼珠。こっちに来て手伝え」
 子分のひとりに呼ばれて、振り返る。
 その足に、コトリと何かがあたった。
 落ちていたのは焼け焦げた酒瓶の欠片だった。隼珠は不思議に思いながらそれを見おろした。
 ここで酒を飲むのは迅鷹が禁止していたはずなのに、どうして酒瓶が落ちているのだろう。誰かが寒さに我慢できず、こっそり持ちこんだのか。
「隼珠、早く来い」
 怪訝に思いつつも、子分にもういちど呼ばれた隼珠は、急いでその場を後にした。


◇◇◇


 源吉ら四人の亡骸は、白城の屋敷に運ばれた。
 座敷に布団を敷いて遺体を横たわらせると、子分が遺族の元へ連絡をしにいく。家族がいない者は白城から葬式をだすことになった。隼珠は白城の菩提寺へ子分のひとりと共に向かい、住職と葬儀の手はずを整えて、また屋敷へ戻った。
 その間、迅鷹と年配の子分らは、街の中を宿所の代わりを探して駆けずり回っていた。宿屋という宿屋にかけあって、人足を受け入れて欲しいと相談をしに行く。しかし、どこからも色よい返事はもらえなかった。
 やってくる人足は、多くが博徒である。そんな人間を長期間預かるということに、皆が不安を覚えているようだった。博徒は酒を飲むし、博奕もする。喧嘩も日常茶飯事だ。もめ事が起こらないわけがない。白城組を襲った災難には同情するが、だからといって自分の店を差しだすのには抵抗がある。迅鷹らは色街の妓楼にもかけあった。けれど、どこも同じ理由で貸しだすのを渋った。妓楼は特に、大事な商品に何をされるかわからないといって怖がった。
 やがて陽がのぼり、現場に続々と人足が到着し始めた。皆、焼け跡をみて唖然とし、その場にいた白城の子分にどういうことかとつめよった。事情を説明するも、後から途切れずやってくる男たちに、話は全く追いつかなかった。
 隼珠は現場や屋敷を往復して連絡役をつとめたが、河原で立ち往生する人足らの空気は悪くなる一方で、隼珠もどうなるのかと不安で一杯になった。
 昼をすぎても受け入れ先は一軒も見つからず、痺れを切らした人足が「いつまでこのまま待たせるんや」と怒声をあげ始めた。これでは仕事はないだろうとあきらめて返ろうとする者も出てきたが、しかしそんな輩も、ここまでの足代はだせと文句を言った。
 このままでは今夜の宿泊先さえ確保できない。一体どうすればいいのか。けれど誰にも解決策は見つからないままだった。
 隼珠が亮への伝言を預かって屋敷に戻ると、亮はちょうど出ていて留守だった。
 走りづめで喉が渇いていたので、台所へよって水を飲んでいたら、廊下の先で迅鷹と子分らが話しているのに気がついた。迅鷹が子分に何か指示をだしている。彼らが急いで走り去ると、迅鷹は大きくため息をついた。
 しばしひとりで考えこんでいたが、ふと目をあげて、隼珠を見つけるとこちらにやってきた。
「俺にも水をくれ」
「へい」
 薬缶から湯飲みにくんで手渡す。迅鷹は受け取ると一気に飲み干した。空になった湯飲みを隼珠に返してつぶやく。
「ひでえ顔だ」
 誰もいない台所で、隼珠の顎をつかんで心配そうに言った。
「鷹さん、こそ」
 徹夜で火事の始末をして今日も朝から走り回っているのだ。食事もまともにとっていないのだろう。目の下には隈が浮いていた。
「ああ、こっちも難儀してるぞ」
 口元をゆがめると、そのまま唇を重ねてくる。隼珠は目を見ひらいてそれを受けとめた。 
 迅鷹の唇は冷たかった。外を駆けずり回り、そして冷たい水を飲んだせいか、入りこんできた舌先もヒヤリとしていて、隼珠は背中を震わせた。
 いっとき、迅鷹は隼珠から熱を欲しがるようにして、口の中をなで回した。性急に舌を絡め、奥まで侵入し、きつく舌先を吸う。
 隼珠は応えるように、舌を滑らせた。迅鷹の苦しみを少しでも楽にしてやりたくて。
 唇が離れたとき、迅鷹はわずかに微笑んでいた。



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