彩風に、たかく翼ひろげて 34


「……」
 布をかけ直す前に、そっと眠る顔をのぞきこむ。血の気の失せた白い面差しに、布をつかんだ手が震えた。
「源さん」
 ここにきてから、ほんの短い間だったけれど親切に世話をしてくれた姿が思いだされる。自分のことをいつも『隼珠坊、隼珠坊』と子供のように呼んでくれたことも。仕事や食事を共にしていたから、隼珠もいつのまにか源吉に懐いていた。
 昨夜、交替を待つ間にもしも隼珠が用足しに行かなかったなら。そばにいたのなら。助けられただろうか。それともここに共に横たわっていただろうか。死に顔を見ていたら、自分だけが生き残ってしまった自責の念に襲われた。
「……ごめんなさい、源さん」
 何もしてあげられなかった。世話になるばかりで。
「俺だけ生き残ってしまいました。役立たずでごめんなさい」
 静かな死に顔に返事はない。隼珠は握りしめていた布をそっとかけ直した。
「お別れです。お世話になりやした。ありがとうございます」
 通夜には出られない。葬儀にも。だから、ここで頭をさげた。
 死が世のあたわりなら。残されたものはそれを背負うしかない。自分が、できることを死者のためにしよう。
 そうして、隼珠は源吉が最後に言ってたことを思いだした。
 ――わしをゆるしとくれ。それから親分を、恨まんでやってくれ……。
 ――ありゃあ、わしが、わしが悪かったんやからな……。
 死に際に残した台詞の意味は、一体なんだったのだろうか。
 隼珠に心あたりはなかった。考えても思いあたるふしはない。枕元で俯いていたら、いつのまにか隣に亮がきていた。
「どうした、隼珠」
 心ここにあらずの体でいたので、心配してくれたのかもしれない。
 亮はいつも子分や迅鷹に細やかな気配りを見せてくれる。その優しさも今日までと思えば、隼珠は少しだけ頼りたい心境になった。
「源さんに、許して欲しいって、言われて」
 か細い声に、亮が眉をひそめる。
「鷹さんのことも、恨むなって、死ぬ前に、俺に、言ったから……」
 その意味が分からない。源吉は、隼珠が焚火を離れる前に、『後で話がある』と言った。
 源吉が話したかった内容と、最後の言葉は関係があるのだろうか。けれどどちらももう確かめるすべがない。
「そりゃあ、源さんも、あのことは心残りだったんだろう。隼珠。お前にとっちゃつらいかもしれないが、もう源さんを許してやれないか」
 亮が隼珠の肩に手をおいて言った。隼珠は、亮の台詞に振り向いた。
「亮さんは、知っているんですか?」
「え?」
「源さんが、俺に、なにを謝りたがっていたのかを」
「そりゃあ、お前――」
 言って、途中で言葉を飲みこむ。
「まさか、知らなかったのか」
 しまったという顔で、こちらを見返してきた。
「親分から、聞いてなかったのか」
「聞いてません。なにも、俺、知らない。どうして源さんが謝って、鷹さんを恨むなって言ったのか」
 そうだったのか、と亮が呟く。隼珠から目をそらして口をつぐんだ。
「教えて、もらえませんか」
 亮の顔をのぞきこんで頼んでみる。しかし亮は隼珠を見なかった。
「親分に直接、聞いたほうがいい」
「けど、俺はもう……」
 迅鷹には会えなくなるだろう。彼を裏切って黙って出ていくのだから。
「鷹さんにはきけない。だから、亮さんが教えてくれませんか。亮さんから聞いたことは誰にも言いやせんから」
 隼珠が重ねて頼むと、亮は視線を外したまま言った。
「いや、俺からもれたことは言っても構わないが……」
「出入りがあれば、どうなるかわかりません。その前に、教えてくだせえ」
「む」
 亮の顔に、一瞬、稲妻のような痛みが走る。それが次第に広がって苦渋の表情を作っていった。
「そうだな」
 出入りになれば、誰かが死ぬかもしれない。そうなれば隼珠は何も知ることができないままになることも考えられる。亮はその可能性を憐れんだのかもしれなかった。
 片膝ついていたのを座り直して正座になると、亮は腕組みをしてしばし宙の一点を見つめた。そして深くため息をついた。
「知っておくべきことだろうと思う。そうでなくとも、いつかは知れることかもしれん。けれど」
 途中でいちど、言葉を切る。
「親分が言えずにいたのなら、その心情は察して欲しい」
「へい」
 何を言われるのか分からなかったが、亮の言葉を心に刻んだ。
「八年前の、お前の兄が斬られた事件」
「へい」
 隼珠も正座の膝に両手をおいて聞く。
 厳しい顔で、亮は言った。
「あのとき、俺たちは、あの近くにいたんだ」
「……え」
「親分と、源さんと俺、そしてあと子分三人。藪の中に潜んで、お前たちが斬られるのを、見ていた」
 口を真一文字にに引き結ぶ。隼珠はその顔を呆然と眺めた。
「……見ていた?」
「ああ。そうだ」
 亮はまだ視線を避けたままだ。
「見ていて、助けなかった」
 憂いの表情を浮かべて、亮は続けた。
「あの祭りの日、俺たち白城の人間は、蛇定が祭礼賭場に来ることを予想して、待ち伏せて斬ろうと計画した。蛇定の行状は目に余るものだったし、白城は先代の仇討ちに燃えていた。張りこみのかいあって、蛇定が子分を連れてやってきたのを見つけたとき、親分らは襲う機会を狙って後をつけた」
 その日のことを思いだすようにして瞳を伏せる。
「朝から雲の厚い、暗い日だった。夕方になって雨が降りだして、皆が祭りから帰るころ、蛇定は弟連れの男に因縁をつけて、そいつを近くの雑木林へと連れこもうとした。俺たちは機会が来たと思った。雑木林なら邪魔は入らないし、弟連れに気を取られている間に近づけるからな。俺たちはその後を、こっそりつけることにしたんだ」
「……」
 そこでやっと、隼珠にちらと目をくれてきた。
「堅気のふたりが無事にすまないことは予想できた。斬られるかもしれないと分かっていた。けれど、そこで源さんが言ったんだ。『あれを餌にしましょうや』とな」
 隼珠は血の気が引いていく気がした。 
「親分はそれに黙ってうなずいた。誰も反対しなかった。つまり、俺たちは、お前らを見殺しにする方法を取ったんだ」
 亮の声は硬かった。感情を押し殺し、事実だけを違わずに伝えようとしている。
「思えば、あのころの親分は鬼だった。背中に背負った阿修羅そのもので、のり移られているかのように冷酷だった。俺らも赤尾との対立に殺気立っていて、堅気の人間がふたり死のうが、なんとも思わないほど感覚は麻痺していた」
 言い訳めいた口調ではなかったが、悔やんでいることは感じられる。隼珠はその横顔をじっと見つめた。
「予想通り、蛇定はお前の兄貴を斬った。お前も斬られた。どのみちとめる暇もないほどの、あっという間の出来事だった。俺たちは背後から近づき、蛇定たちに襲いかかった。しかし奴らは、卑怯にも逃げだしやがった。こっちと対峙しなかったんだ。多分、人数が負けていたからと、酒でも入っていたんだろう。奴ら尻まくって逃げだしたんだ。俺たちはすぐに追いかけた。斬れると踏んだからな。けど、そこで親分が立ちどまったんだ」
 そうして目をとじた。
「あのまま追っていたら、必ず蛇定は仕留められていた。間違いない。けれど、親分は走りだしてすぐに、その足をとめたんだ。それはなぜかって言うと、泥の中に倒れていたお前に、まだ息があったからだ」
「……」



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