彩風に、たかく翼ひろげて 38


「白城がきたぞ」
「武器蔵をあけろっ」
 男たちは、隼珠がいる蔵の、隣の蔵に走ってきた。「早くしろ」「銃をよこせ」という声にまざって金属のぶつかる音がする。銃や刀、槍を取りだしているらしい。
 ――出入りが始まった。
 白城組が、赤尾に殴りこみをかけにきたのだ。
 迅鷹が、ついに蛇定に仇討ちを挑みにきた――。
 隼珠は身体がぶるぶると震えだした。
 自分も行かなければ。あの人の助けにならなければ。
 けれど、つながれたままでは一歩も動くことができない。
 窓を見あげ、もう一度「鷹さんっ」と叫んだ。それに応えるように、遠い場所から声が聞こえる。
「隼珠、どこだ――」
 と、呼ぶのは、間違いなく迅鷹の声だった。
 しかし相手に隼珠の声は届いていないようだった。ここの壁は厚くて、迅鷹のいる場所からはずっと離れている。
「鷹さあんっ」
 声の限りに大声をだしても、蔵の外は騒然としていて隼珠の声はそれに紛れてしまう。
「くそおおっ」
 縛られた身体をよじって、隼珠は悔しさに見悶えた。
 外の男たちはそれぞれの武器を手にすると、屋敷のほうへと駆けていった。しばらくするとまた不気味な静寂が戻ってくる。残された隼珠は悔し紛れに柱に身体を打ちつけた。
「……鷹さん、鷹さんっ」
 迅鷹のために闘うと決めていたのに。
 自分は最後までここに取り残されて、役立たずで終わるのか。
 うなだれて悔し涙をこらえていたら、戸口からガタンという音がした。
 それに気づいて、ハッと振り向く。鉄製の扉がひらき、蛇定が再びあらわれた。右手に長脇差をさげている。左手の袖は切られ、血が滴っていた。目は血走り爛々と燃えている。
 蛇定は隼珠の前まで来ると、長脇差を振りあげた。いきなりのことに、隼珠は人形のように動けなかった。刃が自分の背後におろされる。スパリという音と共に、柱と首をつなぐ縄が斬られた。
「ついてこい」
 隼珠の腕をつかんで、蔵から出そうとする。
「餌の時間だ。鷹の首を取ってやる」
 無理矢理に引っ立てられて、隼珠は身をよじった。
「……いやだ」
 出たくない。餌になんかなりたくない。
「いやだいやだ。行きたくない」
「うるせえ。行くんだっ」
 蛇定の力は強く、隼珠は引きずられるまま蔵の外へと連れだされた。
 痺れ果て、ほとんど感覚もなくなった左腕をねじりあげられ、暗い敷地を歩かされる。離れた母屋からは、男たちの雄叫びが聞こえてきた。間断なく刃のぶつかる音や、襖を蹴破る音がする。喧嘩の真っ最中らしい建物の裏手から、蛇定は刀を右手に、左手に隼珠を抱えて入っていった。
 行く手の廊下には血まみれの男らが倒れ、呻いていた。白城の子分もいる。赤尾の連中もいた。
「数じゃこっちのほうが勝ってるってえのに。どうして仕留めることができねえんだっ」
 いまいましげに蛇定が吐き捨てる。斜め切りにされて倒れかけた障子を蹴ると、中の部屋へと踏みこんだ。
 そこは広い座敷だった。十二畳の部屋がふた続きになっている。奥に葬儀用の祭壇がもうけられていた。赤尾の先代のものらしい。その前で数人の男が対峙していた。
 真ん中にいるひとりを囲むように、四、五人の男が腰を落として刀を突きだしている。中心にいるのは、紺飛白に博多帯、股引脚絆に白鉢巻き襷姿の迅鷹だった。手には長脇差ではなく、もっと長い太刀を握っている。迅鷹は祭壇を背に、男たちを睨みつけていた。
「……鷹さ……」
 思わずこぼした呟きに、蛇定の甲高い叫びがかぶさった。
「白城の鷹ァ」
 迅鷹の視線がちらりとこちらに向けられる。隼珠を認めて、目に稲妻のような怒りが走った。
「隼珠ッ」
 しかしその一瞬の隙を狙っていたかのように、赤尾の子分が迅鷹に跳びかかった。
 受ける迅鷹は冷静だった。刃を鮮やかに切り結び、そのまま流れるように男を斬り捨てる。太刀さばきは名のある流派によるものなのだろう、ただ闇雲に振り回す赤尾の博徒とはまったく動きが異なっていた。次に襲いかかった男も素早く斬り捨てる。あっという間に男らは畳の上に転がされた。痛みに呻く男らを踏みこえて、迅鷹はまっすぐに蛇定と隼珠の元へと向かってきた。
「それ以上は近づくなっ。来たらこいつを斬るぞっ」
 蛇定が隼珠の首を腕でしめあげて叫ぶ。長脇差を隼珠のあごの下にひたりと押しあてると、迅鷹の足がとまった。
「蛇定っ」
 うなるように吼えると、刀を中段に構える。距離を保ったまま、攻撃態勢を崩さずこちらに目をすえた。
「刀を床におけ」
 蛇定が命令する。
「でないと、こいつの首をたたっ斬るぞ」
 隼珠の首をのけぞらせ、刃を見せつけるようにした。長脇差を横に引けば、隼珠の命はないだろう。蛇定の言葉に、迅鷹が鬼の形相になる。しかしそれ以上は動かなくなった。思案する迅鷹に、隼珠は自分の身の危険も顧みずに叫んだ。
「斬ってくだせえ」
 迅鷹が刀をおけば、その瞬間にひかえている子分らが襲いかかるであろうことは明白だった。部屋にはまだ数人の赤尾の子分が、長脇差を手に様子をうかがっている。部屋の入り口には、同じように武器を持つ白城組もいたが、手がだせず周囲に目を配っていた。
「俺に構わず、こいつを斬ってくだせえっ」
 隼珠は声のかぎりに叫んだ。動きをとめた迅鷹は、銃の標的にもなってしまう。自分のせいで命を落とす迅鷹など絶対に見たくない。それぐらいなら自分が犠牲になったほうがずっとましだ。
 迅鷹は迷わなかった。刀の柄を持ち変えると、くるりと回し床に太刀を刺し立てた。トン、とかるい音がして、切っ先が畳に埋まる。
「鷹さんっ」
 隼珠は悲鳴をあげた。
「鷹を仕留めろっ」
 蛇定が命じる。迅鷹は一歩さがったかと思ったら、隼珠に視線をあわせてきた。
 その瞳が、一瞬、もの言いたげに眇められる。――『やれ』とでも言うように。
 隼珠は、その意図を明確に読み取った。
 蛇定が隼珠の首から刀をはずす。子分らと共に迅鷹に襲いかかろうとする。その瞬間を、隼珠は見逃さなかった。
 つかまれた手がゆるみ、ほんの少しだけ身体が自由になる。隼珠は足場を固めた。
 そして上半身を思いっきり左右に揺すると、蛇定の手を振り払い、一歩離れて、その場で大きく跳躍した。
 空中で回転しながら、鞭のように右足をくりだす。渾身の力を振り絞って、蛇定の首筋に、己の足の甲を閃光のようにぶつけた。
「ぐぅっ」
 蛇定は何が起きたのか分からなかったろう。それほど、隼珠の動きは素早かった。
 ふたり一緒に吹っ飛び、絡まりながら壁に身体を打ちつける。しかし倒れた場所が悪かった。
 ゴロリと転がったその先には、煌々と輝く座敷ランプがおかれていた。体あたりしたランプのガラスが割れる。瞬くまに石油がもれて、蛇定の着物に火が回った。
 ――焼かれるっ。




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