彩風に、たかく翼ひろげて 39


 そう思ったとき、隼珠の身体はグイッととてつもなく強い力で引っ張られた。蛇定からはがされ、移りそうになった炎は刀でなぎ払われる。蛇定だけが火に包まれ床に転がった。
 見あげれば、隼珠を抱いているのは太刀をふたたび手にした迅鷹だった。
「ひぃぃぃっ」
 蛇定の絶叫が部屋に響く。
 跡目が炎にまみれたのを見て、赤尾の子分らがどよめきたった。悲鳴をあげて混乱しはじめる。
 その中で迅鷹は子分らにさがれと命令した。火の回りは早い。あっという間に襖や祭壇に燃え広がっていく。
 部屋を後退しようとしていた迅鷹の腕の中で、隼珠はのたうつ蛇定が、ガバリと起きあがったのを見た。
 蛇定は炎に身を焦がしながら、長脇差を手に執念で立ちあがった。目も焼かれているだろうに、その焦点は明らかに隼珠と迅鷹を捕らえていた。
「白城のオオォァ」
 雄叫びとともに、刀を振りおろしてくる。迅鷹はそれに気づくと、左手で隼珠を守るように抱え、右手のみで蛇定の刀を受けた。鋼のぶつかる音が響く。全身を焼かれている人間とは思えない強い力で、蛇定が迅鷹を圧する。迅鷹は歯を食いしばり、片手でそれを跳ね返すと、上段に太刀を構えた。
「地獄に落ちろ、蛇定ッ」
 そう言うと、肩から胸へとバッサリ斬りおろした。
「オオォァァ――……」
 人とは思えぬ叫びをあげて、蛇定は畳にのけぞりながら倒れていった。
 呆然と見おろす隼珠と、迅鷹の前で、今度こそ仇だった男は動かなくなった。
 その周囲からやがて火は這うように広がっていく。赤尾の子分らは逃げだした。
「出るぞ」
 迅鷹も隼珠を抱きかかえると、白城の子分を促して外へ向かった。


◇◇◇


 迅鷹ら白城組は、怪我をした仲間を助けながら庭へ出た。赤尾の子分は、散り散りになって逃げまどい、一部は敷地の外へと走って行った。
「追いますかい?」
 子分のひとりがきいてくる。
「いや。今はいい」
 白城の連中も傷だらけだ。迅鷹も小さな切り傷がいたるところにあった。
「それより、欠けている者はいるか?」
 迅鷹が、隼珠の紐と縄を切りながらたずねる。
「全員、揃ってやす」
 子分が仲間の顔を確認しながら答えた。
 そのとき、母屋のほうから大きな音が聞こえてきた。バキバキと木が崩れる不気味な音と共に、周囲が昼のように明るくなる。火の手が屋敷中に回ったらしい。
「巡査が来ねえうちに戻るぞ。亮が待ってるだろうからな」
 迅鷹は怪我のかるそうな男を選んで言った。
「白城の屋敷に戻ったら、医者を呼んで皆の手当をさせろ。それから明日の朝は、元気な者でいつも通りの仕事をするんだ。何事もなかったようにな。警察が来ても俺が戻るまで相手にするな。知らぬ存ぜぬで通せ」
「親分は、どこに行かれるんで?」
 言われた子分が不安そうな顔をする。このまま逃走するのかと思ったらしかった。
「俺はまだやらなきゃならねえことが残ってる。心配するな。ちゃんと戻る」
「そうでやすか」
 ホッとした表情を見せる子分に、「さあ、行け」と促す。ぞろぞろと門に向かって歩き始めた集団を見送り、隼珠に声をかけた。
「隼珠。お前は俺についてこい」
「へい?」
 腕を引かれて、子分らから離される。
「お前とはまだ、終わってねえことがある」
 怒ったような表情で言われて、隼珠は動揺した。勝手に白城を出たことを責められるのか、それとも出入りが終わった今、今度こそ堅気に戻れと言われるのか。
「鷹さん……」
 迅鷹は隼珠の手を引いて門の潜り戸を出ると、子分らとは反対方向に歩きだした。遠くで半鐘の音がする。村の者が火事に気づいたらしかった。少しずつ屋敷の周囲に人が集まり始める。迅鷹はそれを避けて、里山のほうへ歩いていった。手にはまだ太刀を握りしめていた。
 やがて道は上り坂となり、段々と細くなっていった。周りの雑草も背が高くなる。草に覆われた暗い夜道を、迅鷹は隼珠の手を握ったまま歩いていった。
 里山は燃料用に木が伐採されて禿山となっていたが、神社の裏の鎮守の森だけは手つかずのまま木々が残されていた。山の三分の一を覆う雑木林の中を迅鷹は歩んでいく。奥の獣道に入ると、歩調をゆるめ、あたりの気配をうかがった。
「赤尾の残党はここにはいねえようだな」
 森の中は音もなく静かだった。
「こんなときに邪魔はされたくねえからな」
 そう言うと、歩調をゆるめた。
「隼珠」
 少し前を歩く迅鷹が呼ぶ。
「へい」
 隼珠は大きな背中を見つめながら答えた。足元で枯葉のざくざくという音がする。
「お前、なんで白城の屋敷を出た」
「……」
 問われるだろうと予想していたことをきかれる。隼珠はどう答えればいいのか迷いながら歩いた。
「工場と交換に、沢口に身を売るつもりだったのか?」
  弾かれたように顔をあげる。全部、知られていたのか。
 迅鷹が振り返り、困惑する隼珠の表情を確認して同じように憂いた顔になる。気を悪くしているのがありありとわかった。
「……すいやせん」
 謝るしか言葉がない。
「沢口が工場を貸してくれるなんて言いだしたからな。おかしいと思ったんだ」
 迅鷹は足をとめなかった。隼珠の手を取って引きよせ、歩きながら話を続けた。
「あの野郎はお前のことで俺のことを恨んでいた。それがわかってたから、あの提案には首をかしげたんだ。奴は賃料を取ったとしても、俺に貸すつもりなんか絶対にないはずだろうからな」
 隼珠を横に並ばせて説明する。
「しかも、工場が解放された夕刻からお前の姿が消えた。どこを探してもいやしねえ。屋敷に戻ってみりゃあ、荷物がすっかり消えてるじゃねえか。それでピンときた」
 憮然とした表情でこちらを見おろす。隼珠は胸が苦しくなって目を伏せた。
「女中が、伊助親分のところにお前が呼ばれて行ったって言うから、すぐに伊助親分のところに行ってしめあげてやったのさ。そうしたら案の定、沢口に身売りしたっていうんで、社長んところの洋館に駆けてったんだ」
 隼珠がまた顔をあげる。
 迅鷹と目があう。強い力を持つ瞳の奥には、哀しみがあった。



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