彩風に、たかく翼ひろげて 41(R18)
「八年前のあのとき」
いちど目を瞑って、瞼に力をこめる。ふたたび目をあけて、隼珠に視線を向けてきた。
「お前は知らなかっただろうが、俺はお前が預けられていた医者の所に、意識が戻った後も毎日、こっそり様子を見に行っていたんだ」
隼珠は瞳を瞬かせた。迅鷹は隼珠を見ながら、涙の痕のついた頬に指の背をあてた。
「怪我の具合が心配でな。治るまでは世話をしてやりたかった。もちろん、そのあとも生活の援助をしてやるつもりでいた」
それは初めて聞く話だった。
「あるとき、医者をたずねていったら、お前はお医者先生と話しているところだった。あいた戸口からお前と先生の姿が見えたが、ふたりとも俺には気づいていないようだった」
迅鷹の手はまだ、隼珠の頬に添えられていた。流れ落ちた涙の筋を消そうとするように、そっと擦られる。
「お前は布団の上で正座をしていた。繃帯を巻いた小さな背を丸めて、涙を懸命にこらえている姿は哀れだった。……お医者先生が『これからどうする』ときくと、お前はちっちゃな口ではっきり言ったんだ。『兄ちゃんの仇を討ちます』と」
隼珠の脳裏に、そのときの光景がよみがえった。確かに自分はそう言ったかもしれない。医者に聞かれて、怒りにとらわれていた隼珠は復讐を誓ったはずだった。あのときからずっと、自分はそのために生きていた。
「俺はその言葉をきいて、心臓になにか、杭のようなものが打ちこまれた心地がした」
迅鷹の指先がふととまる。そうして、ほんのわずか震えだす。
「あのころの俺は、蛇定に対する恨みだけで生きていた。自分がどれだけ冷酷になれるか、博徒らしくなれるのか、それだけを考えて日々をすごしていた。人が死ぬのはそいつが弱いからで、死にたくなければ強くなるしかないと信じていた。だから力のない堅気が喧嘩に巻きこまれて死んだとしても、露ほどの同情も持たないようにしていた。お前の兄貴に対しても、同じような気持ちしかなかった」
痛みをこらえるように話し続ける。けれど途中でやめたりしなかった。きれいごとで誤魔化そうともしていない。ただ、本当にあったことだけを包み隠さず伝えようとした。
「けれど、お前は違っていた。俺が捨てて、見殺しにした命を、なにより大切にしていた。小さな身体で、かないっこないだろうに、無念の闇に落ちた魂を仇を討つことで救おうとしていた」
男の瞳に影が宿る。
「その姿を見たときに、自分がどんな間違いをしていたのか気づかされたんだよ。あんな健気な子供を泣かせて、なにが仇討ちだ、なにが任侠道だってな」
懺悔するような話しぶりに、隼珠の胸も震えた。
「俺は自分の間違いを正すために、身元を明かさずお前を助けてやるつもりでいた。けれど、翌日医者のところにいったとき、お前の姿は消えていた」
「……」
「医者も、誰も、お前の行く先を知らなかった。ひどい怪我を負ったまま、お前は煙みたいに消えちまった。それから俺はお前を探し続けた。ちっちゃな子どもだ。すぐに見つかるだろうと考えていたが、消息はようとして知れなかった。どこでどうしているのか、死んじまったのか、そればかりが気になった。生きていて、そうして幸せになってくれていればとずっと願っていた。だから再会できたときは、偶然の運命に感謝したよ。今度こそ、大切にしてやらなきゃあいけねえと思った。仇討ちを望む願いをかなえて、堅気としての生活を取り戻してやって――」
「……鷹さん」
「けれど、お前は俺のそばで博徒として生きていきたいと言いやがった。俺のために死にたいと、好きだから離れたくないと。必死で訴える姿に、十のときから全然変わってねえんだと、心がねじられる思いがした」
「……」
「――隼珠よ。俺は、お前が普通に幸せでいてくれれば、人としてまともになれる気がしたんだ。背中の阿修羅に取りこまれることなく、ただ残忍なだけのゴロツキにならずにすむようにな」
迅鷹の手のひらは熱い。
「さっき、お前はきいたな。情夫にしたのは負い目からかと。それだけを知りたいと」
「……へい」
その熱が頬を灼く。
「俺にとってお前は、大切な標(しるべ)だ。人らしく生きていくための。だから抱いたのは、そんな理由なんかじゃねえ」
「鷹さん……」
「懸命に生きるお前が、愛おしくってしょうがなかったからだ」
隼珠が手を伸ばすと、迅鷹は抱きしめてきた。広い背中に手を回せば、相手も両腕で隼珠の細い背を包みこんできた。
「鷹さん……っ」
傷だらけの身体に縋る。迅鷹は宥めるように隼珠の背をなでながらささやいた。
「お前は俺のひかりだった。闇夜を照らすな」
「おっ、俺――。俺っ、はっ……」
こらえていた涙があふれだす。
「俺はっ、……鷹さんのことがっ……」
力いっぱい抱きしめれば、相手も同様に返してきた。
「好きです、好き――」
涙声で、吐息の合間に訴える。迅鷹の瞳が微笑むように、けれどいくばくかの哀しみをたたえて見返してきた。
「隼珠、これからも、俺についてくるか」
「うっ、うん――、へえ」
「地獄の果てまでもだぞ」
「ついていきやす」
この人と共に。いつか無限の闇に落ちるまで。
「なら、俺も、お前に人生の全部をやるよ」
「鷹さん――」
隼珠の答えは、迅鷹の唇にふさがれた。息さえ飲みこまれそうに、深く口づけられる。相手の想いが流れこんでくるようで、隼珠は唇をあわせながら心の底から震えた。
迅鷹が今までにないほど深く長く、隼珠の唇を貪ってくる。
たかぶった感情は渦を巻いて、身の裡を焦がしはじめ、触れた場所からこらえきれないやるせなさが生じてきた。甘くて痛いその感覚は、迅鷹に毎夜、教えこまれたものだ。
隼珠は他の男の手を知らない。そのことが、自分のすべてが迅鷹だけのために在れるようで、とてつもなく嬉しかった。
この人のためだけに。これからの人生を生きていこう。
薄い舌を懸命にさしだして、迅鷹の想いに応える。
知らず触れあった下肢をよじっていた。迅鷹がそれに気づいて唇をはなす。腰に回した手をいきなりグッと強くした。
「……」
それで隼珠のものが育ち始めていることが伝わってしまった。
隼珠の欲望を読み取った迅鷹が、無言で微笑みながらのしかかってくる。狭い空間で、隼珠は欅の木を背にして押し倒されるようにして座らされた。
「……鷹さん」
「俺もお前が欲しい」
闘いのあとの高揚した気分がふたりともまだ抜けきっていない。自分の身体も熱くなっていたが、迅鷹の逞しい身体も同様に熱を放ちはじめていた。冬に向かい始める夜気は冷たかったが、それでも寒さは全く感じなかった。まとわりつく着物が邪魔だというように、迅鷹はもろ肌脱ぎになると隼珠の着物の前もはだけさせた。迅鷹の肌のいたるところから血の匂いがする。小さな傷がいくつもついているらしい。けれどその痛みも、迅鷹にとっては興奮のもとになるだけらしかった。
迅鷹の背後に、淡く翳る月が見える。そうして眼下には燃える炎が。右肩には翼を広げた猛禽が、隼珠を見つめる瞳には欲情の煌めきが。迅鷹が再び唇を重ねてくる。
大きな手のひらが、胸を包みこんだ。隼珠の小さな乳首を指の腹でキュッとつまみあげる。
「――……っ、あ」
思わずでた喘ぎに、迅鷹は口の端をあげた。精悍な容姿を少し悪くゆがめてから、かがみこんで、小さな尖りに唇をあてる。
「ぁ……ぁ、あっ」
きつく吸われて、全身に痺れがきた。繊細な神経が通ったところだから、舌先で弄られると、どうにも我慢できない気持ちよさに襲われる。
迅鷹の舌はいつも温かくてなめらかで、けれど動きは意地が悪い。小さな粒を唇で挟みこんで、歯と舌先でくすぐるのだ。
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