エアキス 04


 仕事も人間関係もそつなくこなしてるくせに。皆のアイドルなのに。瀬田川は狩谷の中では特別な存在だった。なのにあんな最悪最低の上司に惚れやがって。
 竹林があいつの身体を好きにしていたのかと思うと、底知れぬ嫉妬がわきおこる。自分だってお見合いをしようとしていたのだが、それが吹き飛んでしまうほど、怒りの嵐が心の中に吹き荒れた。
 そうして自分が、本当は何者だったのかを知る。隠してきた本来の姿が、怒りと共に明確になる。
 自分は男が好きだ。
 そして中でも一番、瀬田川が好きだ。多分出会った頃からずっと好きだった。けれどその気持ちを封印して、ノーマルであることを自身に強いていた。
 なぜなら、相手もノーマルだと信じこんでいていたから。そして本当の自分を相手に見つけられて軽蔑されるのが嫌だったから。
 瀬田川には、いつも親しまれ信頼される同僚でありたかった。それ以上は望んでも手に入らないと思いこんでいた。
 なのに、いつの間にかあんな最低野郎に喰われてたなんて。
「ありえねえ」
 この現状が。自分の気持ちが。瀬田川の振る舞いが。すべてに現実味がない。
 暗い怒りにふつふつと炙られていたら、隣の男が足音もなく席に戻ってきた。自分のデスクの前に立つと、静かに荷物を片付けて帰る準備を始める。こちらに対する言葉はない。
 チラと横を見れば、さっきよりも目元が赤くなっていた。多分、人目につかないところで密かに悲しみをおさめていたのだろう。
 伏せた睫が、うるみを帯びていて、それが何とも嫉妬心をかき立てた。
「あいつクソ野郎だぞ」
 画面に目を戻し、思わず呟く。憤りに任せて出たのはそんな乱暴な言葉だった。
 瀬田川が顔をあげる気配がした。狩谷はムッスリとした表情で、ノートPCを睨み続けた。
「知ってる」
 素っ気ない、投げ捨てるような返事がくる。
 狩谷はエンターキーを押して、仕事を終わりにしながら言い足した。
「別れて正解」
「……」
 瀬田川は何も答えなかった。上司との関係がバレたことも取りつくろう様子はなかった。もしかしたら言い訳する余裕もないくらい、別れたことがショックなのかもしれない。
 狩谷はノートPCをとじて、椅子をクルリと回転させた。相手と向き合うと、瀬田川は少し首を傾げ、それから片付け途中だった手をとめた。自分も椅子を引いて、疲れたように腰をおろす。そして、はあ、と息をついた。
 肩を落として床をじっと見つめる瞳に感情はない。何もかもがもう、どうでもいいといった様子だった。
「贅沢なんだよな」
 狩谷はひらき気味にしていた膝に、両手をのせてボソリと言った。
「……え?」
「あんな奴に、瀬田川なんか贅沢すぎる」
「…………」
 相手が、何を言ってる、という目つきになる。
「お前はもっと、自分を高く売るべきだよ」
「……売る?」
 怜悧な顔に困惑が浮かぶ。
「俺は別に、あの人に自分を売ってたわけじゃないよ」
 言葉の意味を、曲解して受け取られた。
「あ、イヤ。売るって言っても、身体を売るとかそういう意味ではないんだ」
 慌てて言い足すと、瀬田川がさらに首をひねる。
「つまり、お前はすごくいい奴で、仕事もできるし、容姿も抜群にいい。だからもっといい相手と付き合った方がいいと思うんだ。もっと価値のある男とさ」
「……ああ」
 なるほど、と意味を理解して頷く。 
 それからまた目を伏せた。
「慰めてくれてありがとう。悪いな、気ぃつかわせて」
 同情されたのだと受け取ったらしい。そんなものは不要だと、拒否のしるしに肩をすくめる。そうして話を続けた。
「けど、自分の価値なんて、自分じゃわからんよ。恋愛経験皆無の三十ちかい男を、どこの誰が価値を認めてくれる?」
「え?」
 思わず声が出る。
「瀬田川、恋愛経験ないの?」
 それは別に、馬鹿にしていた訳ではなかったが、言い方はそんな風になってしまった。
 狩谷の言葉に、瀬田川が露骨にムッとする。
「うるさいし」
「いやごめん。俺、お前なら何回かはあるかと思ったから」
「ねえし」
 口調が悪くなって、ふてくされた顔になった。
「そっちと違って、こっちは環境が許さなかったんだよ。厳しい家で育ってたしさ」
「あ、まじか、すまん」
 見るからに品行方正な男は、家庭環境も謹厳実直だったらしい。
「姉が四人もいたんだ。もっのすごく口うるさくてプライバシーもない状態だったんだ」
「あそっち」
「そう。勝手に部屋入ってくるし、私物は持ってくし、俺の友達とは知らん間に仲良くなってるし。ずっとそんな毎日だったんだよ」
 頭痛をこらえるように額を手で押さえる。
「俺が女の子としゃべってるのを見つけただけで、探偵さながらに周囲に探りを入れるし。俺、末っ子だったから、家を出るまで姉たちのオモチャ状態だったんだ」
「まじか。それは厳しいな」
「だろ。それで、転職してひとり暮らしして、やっと自由になれて。……初めて、恋愛できると、思ったんだ……」
 そこにつけこまれたのか。
「まあ、慣れないことはしないほうがいいってことだな。恋愛とか向いてなかった」
 瀬田川は自嘲するように言うと、目を逸らした。
「そんなことないだろ」
「え?」
 強い否定に、視線がこちらに戻る。
「向いてないことないぞ。そんなにウブで素直だったら、いい男はすぐにお前に惚れる。これからいくらでも、探そうと思ったら相応しい相手は見つかるだろ」
「……狩谷」
 身を乗り出して力説すると、瀬田川も目をみはった。
「お前は可愛い。顔も性格も。しかも声もいいしスタイルもいい。悪いところなんかひとつもない。世界中で一番魅力的だ。嘘じゃない。鏡見てみろ。そこいらのアイドルよりずっと輝いてるぞ」
「……」



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