白金狼と、拾われた小犬の花嫁 03


 目をギュッととじて床に寝転ぶと、地面から振動が伝わってきた。たくさんの獣の足音。狼族の軍隊が街に到着している。
 彼らはきっと、まず、街の入り口にあるとざされた門の前から、領主に門をあけるように言うのだろう。そして怯えた犬族の領主が門をあけると、全てのオメガを差し出せと命令するのだろう。同時に狼の軍は街中を駆け抜けて、隠れている犬族オメガを探し始めるのだ。
 やがて街の全てのオメガ犬が、発情期の白金王のフェロモンにあてられて死滅するころ、王はこの町には運命の番はいなかったと悟って、次の都市へと移動するのだろう。
 彼の運命の番が見つかるまで、この蛮行は終わらない。
 欲情で朦朧とした頭で、ロンロは自分はいつまで生きていられるのだろうかと考えた。
 生まれてから今日まで十八年間、誰かに愛されたことはない。愛したこともなかった。物心ついたときに奴隷商人からここに売られて、ずっと下働きだけをしてきた。街から出たこともないし、孤児だから家族もない。
 チビで貧弱で、見た目もよくなくて、いつも邪魔者扱いされていた。それでも生きていられるだけましだと思っていた。なのに今、愛情も知らぬまま、ここで見知らぬ狼の欲望に、番を求める本能に、虫けらのように殺されなければならないのか――。
 バキバキッと木の扉が軋む音がした。そして、ガンカンッと蹴る足音。
 驚く四人の前で、蝶番がはじけ飛び、扉が砕かれる。
 バンッ、とあけ放たれた入り口から、ランタンを口にくわえた大きな狼が一匹、部屋に入ってきた。
「ここにもいたぞ」
 その後ろから、わらわらと狼兵たちが続いて侵入してくる。見るからに立派な体つきの狼の群れが目を光らせてこちらに迫ってきた。
「……ひ、ぃ」
「オメガだな。間違いない」
 フェロモンに苦しめられている四人は、逃げることもかなわなかった。
「全部、外に連れ出せ」
 額に玉石の飾りをつけた、ひときわ威厳のある狼が、後ろの狼に命令する。控えていた狼らが一歩踏み出そうとしたとき、上階から大きな声が響いてきた。
「陛下! 御自ら出向かれる必要などございませぬ! このような薄汚い場所に、お入りにならないで下さい!」
 空気が蜂蜜に変わってしまったかのようだった。甘く重苦しい熱の塊は、もう吸いこむことさえできない。
 大きく喘いだその瞬間、白金に輝く、美しい姿が目前に現れた。
 それは一匹の大狼だった。額に金の飾りをつけ、背に金銀刺繍の施されたマントを羽織っている。瞳は銀色、ふさふさした毛はけぶる白金色だ。誰に言われずともわかる。この狼が、白金王だ。
「見つけたぞ」
 威容にあふれた、けれど涼しげな声が白金狼より発せられる。
「我が運命の番だ」
「なんと!」
 控えていた、多分、家臣であろう狼が驚愕の声をあげた。
「どれだ? 私の花嫁は?」
 狭く薄汚い倉庫で、身をよせあって苦しむ四人に顔を向け、王が吠える。ロンロは苦痛も忘れて、その華やかな姿を見上げた。
「……わたくしで、ございます、王様」
 四人の中から、ララレルが這うようにして皆の前に出た。
「わたくしが、貴方様の、運命の番で、ございます。さあどうか、わたくしめを、抱いて下さいませ……」
 媚びを売る笑顔で、王を見つめる。王は鼻に皺をよせて、いぶかしむような表情をした。そして一歩を踏み出す。
 ララレルの匂いを嗅ぎながら服の首元をくわえ――と、思ったらいきなり部屋の隅に投げ捨てた。
「ひやっ」
 ララレルはコロコロと転がっていった。
「違う。これではない」
 一言告げて、残りのオメガの所にやってくる。怯える三人に順番に鼻をよせて、いきなり歯をグワッと剥いた。
「これだ」
 そして、ロンロの服の胸元に食いつき、力任せに引っ張った。王がぐるりと首を回したので、ロンロは部屋の真ん中にコロンと放り出された。
「これが、我が運命の番だ。やっと見つかったぞ」
 その言葉に狼たちがどよめく。おおおっと低い声が部屋に響き渡った。
 しかしそれは喜びの声ではなかった。驚愕と、落胆と困惑と、さらにロンロに対する憎しみがこめられていた。
「そんな馬鹿な! これは犬族の中でも最底の位の雑種ですぞ! 北の大陸に君臨する狼国の王の番が、このような、こんな下賤の者が、番など、あり得ませぬ!」
「陛下、これは何かの間違いです。我ら王国五百年の歴史の中でも、こんなことは一度も起こりえませんでした。民は許さないでしょう、犬の、しかも薄汚い、しかも、男娼などとは」
 狼たちの吠え声に、ロンロは恐ろしくなって身を竦ませた。一体、何がどうなっているのか訳がわからない。
「――殺しましょう」
 狼の群れの中から、冷酷な声がした。
「そうすれば、次の番を探しにいけます」
 ザワリとざわめいたのも一瞬で、すぐに、そうしよう、そうしましょうという賛同が重なる。ロンロは恐怖に泣きそうになった。

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