白金狼と、拾われた小犬の花嫁 07


「何ですかこれは……。ひどい、ひどすぎる」
 ありえない、と言うように目をとじて天を仰ぐ。
「自分の名前もまともに書けぬ王妃など、前代未聞」
「すいません……」
 ロンロは、しゅんと耳をたらしてうなだれた。
「学師様、僕のも見て下さい、ほらほらこれ、すごいでしょう」
 横からララレルが自分の書いた羊皮紙を学師に差し出す。従者なのに、ララレルも一緒に勉強をしていた。まるで王妃になるための準備をしているかのようだ。けれどひとりでこんな苦行を受けるよりは、ララレルがいてくれたほうが随分と気持ちが楽になる。
「そうだな。お前はそれなりに、きれいに書けておる」
 ララレルが鼻の穴を大きくして、「ふふん」と言った。
「だって僕は、血統書つきの家柄なんですから。これくらい、どうってことないですよ」
 学師はララレルには構わず、ロンロに恐い顔を向けた。
「さあ、せめて読める代物に仕上げなさい。犬で奴隷で、字も書けぬなど、狼国の王妃としては認められませぬ」
 そしてロンロは、指にタコができるほど字の練習をさせられた。
 次には休憩も挟まず、狼国の歴史について学ばされる。
「……この地、北の大陸に狼族がやってきたのは今から三千年前。狼国が建国されたのは五百年前。大陸には七つの狼の国があるが、我が国が一番領土が広い。それは白金王の努力の賜である。この大陸の狼の毛は、銀、灰、黒、茶と様々であるが、白金の毛色を持つ狼は王ただひとり。それは、我が国の伝説と重なっている」
 初めて知る昔話に、ロンロもララレルも聞き入った。
「昔々、この地に、ひとりの虹色の毛をもつ雌狼が天より降りたった。彼女は地に住む雄狼と恋に落ち、結婚した。虹色狼は白金の美しいアルファ狼を生んだ。それが、王家の始まりである。虹色の狼は、女神として今もこの国に祀られている。そして代々、白金狼は運命の番であるオメガ狼を求める。それのみが、跡継ぎとなる白金狼を産むことができるからだ」
「では、僕は」
 学師はそこで話をとめた。全く信じられないというように、首を振る。
「犬族が、王妃に迎えられたという記録はない。もしかしたら、何かの間違いかもしれん」
 そうであってほしいのだが、と老人はこぼす。ロンロも同感だった。
「犬だって、狼と元は仲間みたいなもんだろ。だから、交わって子だって成せるのだし。狼だからって偉そうだよな。犬を差別しすぎ」
 ララレルが顔をよせてきて、不満そうに呟く。
「王のなさることに間違いはないと思いたいが、この国の民は誰ひとりとして、納得していない。王は婚礼の儀を急ぎたがっておられるが、家臣や教会は、そろって声荒く反対しておる。話しあいは膠着状態じゃ」 
「……」
 ロンロは自分の知らないところで、何か大変なことが起こりつつある予感に、不安を覚えて小さな身を震わせた。
「全く、厄介なことだ。運命の番などと」
 学師がまたため息をつく。
「運命の番を解消するにはどうしたらいいんでしょうかね」
 ララレルが横からたずねる。
「どちらかが死ぬまで、解消はされぬ。オメガが死ねば、アルファは新たな番を探しにいけると聞くがの。しかしそうなれば、また花嫁捜しの大騒ぎが始まるのかと思うと、それはそれで気が重い」
 老いた学師はやれやれと耳を寝かせた。
 ロンロとララレルが顔を見あわせていると、部屋にグラングが側近と共にやってきた。
「どうだ、勉学ははかどっているか?」
 グラングがテーブルの横に立ち、優しげな微笑みを浮かべる。ロンロが羊皮紙を隠そうとすると、それを取り上げられた。
「ひどいものです」
 学師がぼそりと嘆く。
「そうか? とてもうまく書けていると思うが」
 グラングにほめられて、ロンロは恥ずかしさに顔を赤くした。
「陛下、陛下、僕のも見て下さい」
「これ。礼儀知らずの従者め」
 学師に叱られても気にせず、横からララレルが自分の書いたものを差し出す。グラングはそれにチラと顔を向けるとすげなく言った。
「ロンロのほうがうまい」
「えええええっ」
 ララレルがショックを受ける。
「頑張っているな。偉いぞ、ロンロ。ほうびは何が欲しい」
「何も、いりません」
 ブルブルと首を振ると、王はまた微笑んだ。
「さあ、学びの時間は終わりだ。私も今日はもう仕事をしない。ベッドにいこう」
 グラングからは甘い官能の匂いがする。かつては広い範囲に振りまかれた香りは、今はロンロだけが嗅ぎ取ることのできるものとなっている。番になると、互いにしか匂いが判別できなくなるのだ。
 胸をときめかせる芳香に、ロンロの下半身も、はしたなく呼応してしまう。恥ずかしさに頬を染めるとロンロからもオメガの香りが匂い立つのか、グラングが口元をほころばせる。
「お前たちはもう下がれ」
 命令されて、部屋から皆が出ていく。グラングはロンロを横抱きにすると、居間の隣の寝室へと運びこみ、毎夜のことだが、朝まで執拗に愛したのだった。

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