白金狼と、拾われた小犬の花嫁 06


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 王都の北にある狼城の石造りの窓から、眼下を眺める。
 城下町は故郷の街よりも何倍も大きく、たくさんの人で賑わっている。そこに住むのは全て狼族だ。
 ロンロは刺繍が大量に施された重い胴衣に、耳飾りや首飾りをつけて、さらにヴェールをかぶり窓のそばの椅子に腰かけていた。
 目の前のテーブルには、菓子や果物が大量に盛られている。
「ロンロ、食べないの?」
 対面の椅子に座っているララレルが、菓子をパクパク食べながらきいてくる。
「……うん。いいよ、もうお腹いっぱい」
 身体の小さなロンロは食事量も少ない。それにさっき朝食を終えたばかりなので何も食べたくはなかった。
「しっかし、狼族の暮らしってのは、贅沢なんだねえ。俺も娼館でそれなりの暮らしをしてきたつもりだけど、ここの豪華さは比べものにならないよ」
 ララレルが部屋を見渡し、やれやれと首を振る。
 ふたりが今いる部屋は、城の南に位置する、二間続きの広い住房だ。贅沢な趣向を凝らした飾りつけがなされ、居間と寝室に分けられている。王妃となるべく、この国に連れてこられたロンロのために用意された居室だった。
 犬族が暮らす街で、ロンロが王に見初められてから一ヶ月が経っていた。
 娼館での出来事の後、王は数日間ロンロを休ませ、その後馬車に乗せて自分の国へと運んできた。狼国の妃として迎え入れるためだ。
 何もかもが慌ただしく進む中、出発当日、ロンロのもとにララレルがやってきて言った。
『僕も連れてって』
 ロンロの両手を握って、瞳を潤ませる。
『友達だった君と別れるのはさみしいよ。それに君だって、狼の国にひとりで行くのは不安だろ? 僕がついてって助けてあげるよ』
 ララレルがこんなにロンロに優しくしてくれるのは初めてのことだ。ロンロは感激して、『ありがとう』と頷いた。ララレルの言うとおり、知らない国にひとりで行かなければならないのは不安だし、狼たちはロンロを嫌っている様子だ。だったら友達がいてくれれば心強い。
 王が反対しなかったので、ロンロはララレルも一緒に狼国に連れてきた。ララレルは今、従者としてロンロのそばについている。
 奴隷だったロンロは、人つきあいの方法も、礼儀作法も何も知らない。その点、娼館でも売れっ子だったララレルは処世術にも長けていて、何かとアドバイスをしてくれる。ロンロよりもお妃にふさわしいほどの働きぶりを見せてくれているのだった。
 ふたりで狼国について話をしていたら、部屋の入り口に誰かがやってきた。
「ロンロ」
 呼ばれて振り向くと、白金王が立ってる。
 今日の彼は、ヒトの姿をとっていた。白金のまっすぐな長い髪に、同じ色の耳。瞳は銀色、背は高く、顔立ちは眉目秀麗なうえに優しげで魅力的だ。歳は二十三と聞いているが、落ち着いた物腰と、威厳に満ちた雰囲気はとてもその歳には見えない。王に相応しい貫禄があった。
「おはようございます、陛下」
 ララレルと共に椅子から立ちあがって挨拶をする。王はロンロのもとにやってきて灰色の髪を優しくなでた。
「私のことは名前で呼ぶようにと言っただろう。グラング・ロドリング。それが私の名だ。そなたはもうすぐ私の妃になるのだから」 
「はい。……グラング」
 言われたとおり、少し遠慮がちに名を呼ぶと、グラングは満足げに微笑んだ。
「どうだ、ここでの生活は。慣れたか? なにか不都合があれば、私に直接言うのだぞ」
 王自らの勧めに、ロンロは恐縮しつつ頷く。
「はい。とても恵まれた生活をさせてもらってます。何も不満はありません」
 美味しい物をお腹いっぱい食べさせてもらい、寝床も服も与えられている。これ以上望むものはない。
「そうか。ならばよかった」
 ここに来てからというもの、グラングはロンロのことをすごく大事にしてくれている。身体を気遣い、いつも優しい言葉をかけてくれる。初めて会ったときは怖い人なのかと思ったが、発情していないときの彼は穏やかで物静かな王だった。
「陛下、そろそろお時間です。謁見の間に人々が集まり始めております」
 部屋の外から、控えていた家臣が声をかける。
「ああ、わかった」
 グラングはそう答えると、ロンロの髪にかるくキスをした。
「夜にまたくる」
 光り輝く笑みを見せてから、部屋を去る。ロンロはその美しさにボーッとなった。
「ホントに、素敵な王様だよねぇ」
 横で見ていたララレルも、ほうっとため息をつく。
「なんで、あんな立派な王様が、貧相な雑種犬などを妃にすることになっちゃったんだろうね」
 ララレルが全く不思議でしょうがないというように、首を傾げる。
「それは僕も、同じように思ってるよ……」
 どんな運命のいたずらか、自分のような孤児の犬を番にしなければならなくなるなんて、もしかしてとんでもなく不幸な王様なのではないか。
 王が部屋を去ると、入れ違いにひとりの知的な老人が入ってきた。長いローブをまとい、手には本と文具を抱えている。ロンロ専属の学師だった。ロンロがあまりに無知なので、妃になるための知識をつけさせるために王が用意した教師だ。
「学びの時間です、ロンロどの」
 厳めしい顔つきの老人は、部屋の真ん中にあるテーブルに羊皮紙と羽根ペン、インク壺を並べておいた。そして、手本となる本を広げてロンロを手招く。
「はい。よろしくおねがいします」
 ロンロはテーブルに移動し、学師の見守る前で羽根ペンにインクをつけて羊皮紙に字を練習した。ロンロは読み書きができない。今まで学ぶ機会がまったくなかったからだ。
 ペン先をギリギリとしならせて、ゆっくり慎重に線を伸ばしていく。丸めたり、点を打ったり。一通り文字を書くと、ふう、と息をついて、学師に見せた。
 すると老人は、眉間に深い深い皺を刻んだ。

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