笑顔の成分 03
「えっ、あ、ああっ?」
ええ? とこっちを見て目をみはるのは、作業着姿の同級生だ。
雪史は慌ててバスタオルで前を隠した。けれど、タオルだけじゃ隠し切れない部分もある。下肢を押さえて腰を引けば、ものすごくみっともない格好になってしまった。
「ああー……。ああ、えっと。……悪い……」
的野はドアの前で固まった。昨日と同じく、不意をつかれて口をひらいたまま呆然となる。
こっちも同様に、彫像みたいに動けなくなった。
「……あ、あのさ、聞いてない? 今日から、風呂場がリフォームだって」
「き、きいて、ない……」
「あ、ああ、そう」
ふたり向き合ったまま、お互い視線が外せずに、上の空のような会話をする。的野の後ろから冷たい空気が流れ込んできて、雪史は思わずぶるっと身体を震わせた。それに、的野が釣られたように肩をひくっと痙攣させた。
「おい、好樹どうした? 何してる。先に洗面台から取り外すぞ早くしろよ」
的野の後ろから野太い声がする。ハッと振り返った的野は、声の相手を力まかせに押し戻した。
「すっ、すいません。ちょ、ちょっと待ってもらえますか。い、いま、家の人が風呂使ってたみたいで」
「ええ? まじか」
的野はちらりと雪史を振り返ると、すぐに廊下に出て、音をたてて扉を閉めた。その顔は、困惑で赤らんでいるように見えた。こっちは反対に蒼白だ。的野に裸の、しかも恥ずかしい状態になってしまっているところをモロに見られてしまった。
けど落ち込んでいるヒマはない。廊下を行き来する足音が増えてくる。雪史はシャワーを諦めて、急いで服を身につけた。どのみち下半身はとっくに冷めていた。
そっとドアをあけて廊下に顔を出すと、現場監督と思われる人と園子がそこにいた。
「すいません、うちのもんがいきなりドアあけたらしくって」
大柄な男性に、すまなそうに頭を下げられる。
「あ、いえ、大丈夫です。こっちこそ知らなくて」
「けど、杉山さんじゃなくてよかったですよ。好樹のやつ、あんなに慌てて。こっちは女の人が入ってるのかと勘違いしてびっくりしましたよ」
「雪ちゃん、ごめんね。おばあちゃんがちゃんと伝えてなくって。まさか昨日の夜に入ったのに、また朝からお風呂入るなんて思ってなかったから」
「……う、うん」
「最近の若い子はおしゃれなんで、朝も風呂に入るんですよ。うちの娘もそうですから」
「あらそうなんですか」
監督が園子に説明して、ふたりが話し始めたので、雪史はその場をはなれて仏間へと戻った。
途中、縁側を通ったとき、外で作業をする的野が目に入った。真剣に仕事をしていて、こちらには気付いていない。的野の横顔を見たとたん、雪史は顔に熱が昇ってきて、また身体が火照ってしまいそうになり、それから逃げるように部屋へと駆けていった。
◇◇◇
時折、的野の声が、窓の外から響いてくる。
雪史はそれを聞きながら、二階の自分の部屋でベッドの組み立てに四苦八苦していた。通販で届いたシングルベッドとスチールラックは、ひとりで組み立てるには、だいぶ苦労しそうだった。手元の説明書にも、『ふたりで組み立て』と書いてある。階下には、腕っ節の強そうな職人の声が行き交っていたが、さすがに手伝ってくださいとは言えない。かといって園子に力仕事をさせる訳にもいかなくて、仕方なく雪史はひとりでベッドの部品と格闘することにした。
ベッドボード部分にあたる大きなフレームを抱えて、ボルトを手にする。さてどうやって留めようかと思案していたら、部屋の扉がノックされた。扉はあけっぱなしになっている。顔を上げれば、廊下から明るいブラウンの髪が半分、顔を出していた。
「……」
うかがうように、ドア枠から、そっと二重の切れ長の瞳が現れる。遠慮がちなその表情を見ていたら、先刻の恥ずかしさは消えてなくなった。
「……さっきは、ごめん」
落ち込んだ声で謝られる。
けどよく考えたら、男同士なのだし、別に恥ずかしがることでもないのだ。気にするほうがおかしい。雪史は的野に特別な感情があるにしても、的野からしてみれば、友達が風呂に入ってるところに間違えて来てしまっただけだ。しかも仕事で。的野に非はない。お互い、タイミングが悪かっただけなのだ。
「謝る必要なんてないよ。こっちこそ、リフォーム入ってるって知らなくて。迷惑かけたよ」
ごめん、と答えれば、的野は部屋の入り口に立って、所在なさそうな顔をした。目を床に這わせて、ダンボールや梱包材が散らばったままの家具の部品を見やる。
「ひとりで組み立ててんの?」
「うん」
「こんなん、ひとりでやってたら大変やろ」
「うん……」
的野は発砲スチロールやナイロン袋を掻き分け、横までやってきた。手を床につき、どれどれと説明書に目を通す。
「仕事は?」
横に腰を下ろした相手に訊いてみる。
「いまちょうど、職人さんがバスタブ外してるとこだから。新しいの設置するまで、しばらくは大丈夫だろ」
そう言うと、立ち上がってボルト類の入った包みを破く。腰に下げた工具差しからひょいとドライバーを抜き取り、枠を手にした。
「ここ、持ってて。そっちから留めちゃうから」
「あ、……う、うん」
「ふたりでやりゃ、すぐにできるよ」
流されるようにして、いつのまにか言われた通りに手伝っていた。てきぱきと仕事をこなす的野は、手馴れていてあっという間にベッドができ上がっていく。
「よし。できあがりっと。んじゃ次は、スチールラックか。こっちはもっと簡単だな」
ベッドを部屋の脇に設置し終えると、今度はラックの組み立てに取りかかった。
「すごいね」
「え? なにが?」
スチールの長い棒に留め具を通していた的野が顔をあげる。
「仕事が手早くて。おれひとりじゃこんなにうまくできなかった」
それに、あったりまえよとばかりに口元を持ち上げた。
「これくらい、ガキの使いだよ。いつも、もっと難しい仕事もさせられてるし」
そうなんだ、と目をみはれば、こちらをうかがうような興味ありげな視線を向けてくる。
「……加佐井はさ」
「うん?」
何か訊かれるのかと、反対側の棒を支えながら見返せば、的野はその表情をじっと観察してきた。
「……なに?」
切れ長の瞳が、真面目な様子になっていたので、思わず瞬きを何度か繰り返す。
「あ、いや。なんつーか」
肩を竦めて、やりかけの作業にもどった。
「昔とあんまりかわってないんだな、って」
ぼそりと洩らしてくる。昔と変わらず、要領が悪くてぼんやりしていると言われたのかと思ってしまった。
「的野は変わったよね」
茶色いふわふわした髪に視線を移して、チクリと刺すように言ってみる。それに相手は気にすることもなく笑ってきた。
「中学高校の頃はヤンチャしてたからなあ。その名残りかな。あ、でも今は更正したから」
ドライバーをくるくる回しながら、明るく告げる。隠すことなく『ヤンチャ』と言ったけれど、雪史は中学時代の的野がどれほど荒れていたのかも知っていた。
小学校の頃は、学校から帰った後の公園で、カードゲームやポータブルゲームを頭をくっつけるようにして仲良くプレイしたものだったけれど、中学に入ると的野は急に生活を崩し始めた。
髪を金色に染めて、大人の言う事を聞かなくなり、学校をサボって夜中に出歩くようになった。喧嘩沙汰に巻き込まれたことも何度かあったらしい。
伝聞でしか知ることができなかったのは、その頃ちょうど、雪史のほうも家庭が大きく変化していたからだ。雪史も自分のことで精一杯で、的野が何故そんなふうに変わっていってしまったのか、本人に訊く機会もなく、やがては転校の日を迎えてしまった。
引っ越しを数日後に控えたある日、夜遅く、雪史はひとりでコンビニに買い物に出たことがある。梅雨に向かう六月の夜、人気のない夜道をひたひたと走っていくと、道路わきの植え込みに腰をおろしている人影を見つけた。おそるおそる、離れた場所から確認してみれば、それは頬に大きなあざを付けた的野だった。
的野は中学一年のくせに、どこから手に入れたのか煙草を吸っていた。ぼんやりと闇を見つめながら、ひとり煙をふかしている。その、寂しげな横顔に、雪史は声をかけることもできずに立ち竦んだ。
的野が変わってしまった理由はなんなのだろう。どうして、こんなに荒んでしまったのだろう。訳は知ることなく、数日後には転校した。だから雪史はずっと、彼のことが気にかかっていたのだった。
「ほいできあがり」
スチールラックも楽々と組み立てると、腰に手をあてて満足げに見上げた。
「ありがとう。助かったよ」
「これぐらい。いつでも言ってくれたら手伝うから」
そこにちょうど、一階から現場監督が的野を呼ぶ声が聞こえてくる。
「やべ、戻らないと」
大量の梱包材とゴミを手際よくまとめると、的野は「またな」と言って部屋を出ていった。
「あ、そうだ。地元に残ってる奴らに、加佐井が戻ってきたこと知らせといたから。今度、みんなでメシでも食いにいこ」
廊下で振り返り、ついでのように付け足して笑う。
えくぼを刻んだ笑顔が、小学生の頃と変わっていなくて、雪史は安堵しながら頷いた。
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