笑顔の成分 12(R18)


 ◇◇◇

 ふたりでそのまま、長い時間、話をした。
 的野は今まで自分のことはほとんど話さなかったけれど、枷が取れたせいか、過去の出来事もこだわりなくしゃべるようになった。
 小学校のころの思い出話から、離れていた中学高校時代のこと、そうして、再会してからのこと。雪史も自分の神戸での生活を、あのころ思っていたことを包み隠さず話した。
 話している間に、雪史は心の中にわだかっていた長年の悲しみが、やっとほぐれて流されていく気がした。わかってくれる相手に聞いてもらえて、はじめて、悲しみは癒されていくようだった。それは的野も同じだったのだろう。自分の抱えていたものに耳を傾けてもらえるという嬉しさが、言葉の端々に感じられた。
 日が暮れて真っ暗になるまで、的野は助手席に移動してきてシートを倒し、せまい空間で額を寄せてささやきあった。
 やがて腹もすいてきて、山を降りてふもとまで来ると、『とっておきの隠れ家』にしているというラーメン屋に連れて行ってくれた。
 店を出たのは、午後九時すぎ。暗くて人気のない駐車場で、的野は雪史の手をとって、指をからめてきた。
「これから、どする?」
 車までの短い距離を、手をつないで歩く。指先に、ぎゅっと力を込めてきた。
「もう帰る?」
 少しそっけない言い方だった。けれど反対に、五本の指は、帰したくない、と言ってきている。
 雪史だって、このまま帰りたくはなかった。的野と離れてひとりになりたくなかったし、的野をひとりにもしたくなかった。
「……まだ、帰らない」
 見上げれば、的野は淡く笑っている。
「じゃ、ふたりで、どっか、ドライブいこう」
 車に戻りしな、的野が確認するように訊いてきた。
「一晩中でもいい?」
 キーを手に、ルーフ越しにたずねてくる。
「……うん。ばあちゃんに連絡いれれば……いい、と思う」
 的野は了解、というように頷いた。助手席に戻った雪史は、スマホを取り出し、園子に「今日は友達の家に泊まるから」と電話をした。
 通話を終えて、ポケットにスマホをしまうと、運転席の的野がからかう様に言ってきた。
「なんか、女子高生とかが、親に外泊の言い訳してるみたいだったな」
 ニッと歯をみせて、エンジンをかける。雪史は、恥ずかしくなって言い返した。
「的野はお母さんに連絡しなくていいの?」
 その言葉に、軽くいなすように答えてくる。
「俺はオトコだから。親に連絡なんていれなくていーの」
 さらりと言ってハンドルをまわす。けれど、その台詞に、雪史は的野が自分をどんなふうに扱いたいのかを、察知した。
 的野は、雪史を女の子のように扱いたがっているのだ。これから先の時間を、自分がリードしていきたいんだと、暗に頼んできている。そういうことなのだと理解した雪史は、黙ってそれ以上は言葉をはさまずにおいた。
 的野がそうしたいのなら、自分はそれでいい。的野が主導して、自分は受身でついていくのでも、ぜんぜん構わなかったし、むしろそれでいいとさえ思えた。
「そういやさ、以前、俺んちにユキが来たとき、俺の母さん、ちょっとヘンだったと思わんかった?」
「え?」
「ラーメン食べに行こって誘って、車とりに行ったとき。母さん、よそよそしくなかった?」
「ああ……」
 言われてみれば、そうだったかもしれない。あの時、雪史は丁寧に対応されて、家にあがってと勧められもした。
「あれさあ、絶対、ユキのこと、俺の好きな相手か、恋人とかと勘違いしたんだと思う」
「……そ、んな」
 まあ、はずれてはなかったんだけどな、と的野は小さく笑って言った。
「ふたりっきりになれるところに、行こう」
 広い国道に出ると、的野は車を飛ばした。
 時間をかけて、知らない街へと移動する。とりとめのない話題も、中身に少しずつ、互いの緊張がまざり始めていった。
 夜のとばりが降りて、まっすぐな道が遠い場所へとふたりをいざなう。誰も知らない果ての国に向かっているような気がした。
 二時間ほど流してから、的野は駅前ちかくにあるビジネスホテルに車を入れた。チェックインをすませて、ホテル脇のコンビニでペットボトルの飲み物や替えの下着をなどを買ってから部屋に入る。ビジネスホテルに泊まるのは初めての雪史は、珍しげに部屋の中を見渡した。
 窓は小さく、そこからは知らない街の明かりと、ほんの少しの星明りが見えていた。
 ベッドに腰を下ろせば、本当に、ふたりきりのこの小さな部屋は外界から切り離されて、世界の狭間に放り出されてしまった心地がした。ここにいることは誰も知らないし、ここで過ごす時間は、きっと誰も知ることがないんだろう。
 的野が先にシャワーを使って、それから雪史がユニットバスでひとり準備をした。Tシャツに下着だけの格好でバスから出ると、ベットの端に座っていた的野が手招きしてきた。そばまでよっていって、前に立つ。心臓がうるさく跳ねて、口から飛び出そうになっていた。
「……的野」
「うん?」
 見上げてくる的野の瞳は平静で、すごく落ち着いて見える。緊張しているのは自分だけかと、雪史は心細くなってしまった。
「お、おれ」
「うん」
「こ、こういうの、は、初めてだから……」
「俺も、初めてだよ」
 その答えに、驚いて目を瞠った。
「だ、だって、彼女がいたやんか」
「いたけど、恋人の振りしてただけだから。そういうことは、なんにも、してないよ」
 的野が手をのばして、雪史の手のひらを握ってきた。すごく熱くて、そうして、少し震えていた。
「俺ら、きっと、ヘタクソ同士だ」
 よく見れば不安そうな笑顔に、緊張しているのは自分だけじゃないんだと、雪史は悟った。
 手を引かれて、隣に腰かける。部屋にはオレンジ色の淡い明かりしかなかったから、的野の表情も翳っていた。頬の片方だけが、暖かな光に照らされている。
 あらためて、相手の顔をじっと見つめてみた。睫は長く、瞼にはくっきりと二重の線が走っている。綺麗な形の眼だった。鼻筋は通っていて、唇はうすい。口の端は、さっき殴られたせいだろう、赤紫に腫れあがっている。そこを避けるようにして、的野は唇を寄せてきた。
 キスも手のひらと同様に熱かった。雪史が目を瞑ると、舌を差し入れてくる。他人の舌を自分の舌先で感じるのは、奇妙な感覚だった。舐めることしかしない部分を舐められている。ゆっくりとなでられて、背筋にへんな疼きがきた。
 肩を抱かれてベットに押し倒され、Tシャツのすそから、的野が手を忍び込ませる。わき腹が反射的に引きつれた。
「……っ、あ……」
 思わず出てしまった喘ぎに、的野がひたと動きを止める。雪史の顔をのぞき込むようにして、心配そうな声を出した。
「ユキ」
 名を呼ばれて、こちらも不安げに見上げてしまう。
「脱がせてもいい?」
 的野の手のひらは、雪史の腰のあたりに添えられていた。そこから、相手の熱が伝わってくる。瞳を合わせながら、雪史は慄くように頷いた。
 的野は身体を起して、ベッドサイドのボタンを操作すると部屋の明かりをさらに落とした。自分が先にベッドに乗り上げて、雪史の腕をとる。誘われるまま、シーツの真ん中にふたりで横になった。
 的野は雪史と向かい合って、抱きしめてきた。首元に顔をうめ、そこに唇をよせる。食むように口づけながらTシャツをまくくりあげ、胸の小さな尖りを重ね合わせて、かるく揺すった。くすぐったいような官能を刺激するような感触に肩をすくめると、的野はそれに深いため息をもらした。
 そうしてから、腹と腰をくっつけてくる。的野も痩せているし、雪史も薄っぺらい身体をしている。たがいの腰骨の出っ張った部分が当たると、そこがちょっと痛かった。
 ふたりともTシャツにボクサーパンツだけだったから、下半身が反応し始めれば、すぐに相手に伝わってしまう。的野は雪史のシャツを脱がせると、自分もそれを脱ぎ捨てた。
「全部」
 そう言うと、雪史の下着に手をかける。いまさら恥らうのもみっともないかと、雪史は自分から進んで下ろした。的野もならって、ふたりそろって、下着を放り投げる。ピンと張ったシーツの感触が肌寒かった。
 視線を下腹に落とせば、暗い茂みに硬く反り返る的野のものが見えた。自分のそこも同じように興奮している。頬を赤くしながら遠慮がちに視線を向けると、的野が肩をつかんで仰向けに倒してきた。
 雪史の腿の間に足を入れてのしかかってくる。根元のあたりを擦り合わせて、ひたとくっつけてきた。相手の体温が、そこからゆるく流れ込んでくるのがわかる。
「俺の方が長い」
 俯いて、にっと口角を持ち上げた。雪史は上体を起こして、重ねあわされた互いの分身を観察した。



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