呪いの人形をこわしたら義兄が赤ちゃんになってしまいました。頑張って子育てします。 02


「お前と仲良くする義理はない。用がそれだけなら俺は帰る。忙しいからな」
 踵を返して、ダイニングをでようとした宗輔の腕を掴んで引きとめる。
「宗輔さん、天国の親父たちも悲しんでますよ。俺らが仲良くしないと。だって、お母さんだって、いつも宗輔さんのこと気にしてたんですから」
「気にしてた親が、子供を捨てて、でていくものか」
 掴んだ腕を振り払われる。
「あいつは自分の幸せだけを欲しがって、勝手に家をでていったんだ。そうして新しい男を見つけて結婚した。お前の親父とな。けど、それはもう俺には関係ないことだ。親が死んだ今はお前とも他人。弟みたいな顔するな」
「そんな。せっかく家族になれたのに」
「家族」
 冷淡に呟く。結太はめげずに宗輔の腕を掴んだ。
「じゃあせめて、食事だけでもしていきません? 俺、宗輔さんのために、宗輔さんの好きなもの、いっぱい作ったんです。ほら、見てください。グラタンに海老も入れたんです。海老好きでしたよね?」
 海老のグラタン、という言葉に、宗輔が一瞬だけグッと顎を引く。しかしすぐに表情を変えた。
「夕食はすませてきた」
 そうは見えないが、宗輔は口を引き結ぶ。
「一口だけでも、味見していってください。自信作なんですよ」
 宗輔が鬱陶しそうな目で見おろしてくる。
「しつこいな。何でお前はいっつも俺にそうやって世話焼きの主婦みたいに構ってくるんだ。縁も切れたんだし放っておけばいいだろうが」
「放っておけませんよ。だって、宗輔さんのこと、心配なんですから」
 宗輔はここから三駅離れた場所でひとり暮らしをしている。そして彼は料理をしない。きっと外食ばかりなのだろう。前に会ったときよりもまた痩せた気がする。仕事柄、忙しくて自分の時間などほとんどないに違いない。いらぬお節介だとはわかっているが弟としては心配だった。
「迷惑だ。お前の心配などいらん」
 取りすがる結太の手を大きく振りほどく。反動で、結太が後ろによろめいた。
「――あっ」
 捕まる場所を探そうとして、カウンターに手を伸ばす。その拍子に、おいてあった木像に腕がぶつかった。木像がぐらりと倒れて床に落ちる。パリン、と乾いた音がして像がバラバラに砕けた。
「ああっ、大変」
 そう叫んだとき、木像の中から、黄緑色の不思議な煙が立ちのぼった。黴と埃の塊のような、いやもっと不気味なまるで意思を持ったかのような影がゆらりとわく。
 それは素早く動いて、――驚く間もなく、横にいた宗輔の口の中に入ってしまった。
「うっ、何だこれは」
 宗輔は急いで咳きこんで、その塊を喉からだそうとした。ゴホゴホとむせて息をはく。けれど煙は奥に入りこんでしまったのか、もうでてこなかった。
「だ、大丈夫ですか」
 宗輔が前かがみになって膝をつく。
「変なもの吸わせやがって。……ううっ、気持ち悪い」
 手で口を押さえて、まだ咳きこむ。結太はその背をさすってやった。
「父に届いた民芸品なんです。古いものだったから、埃でもたまってたのかな」
「親子そろって、俺に恨みでもあるのか」
 ヨロヨロと立ちあがると、鞄を手にして部屋をでようとした。
「気分が悪い。帰る」
「ああ、待って。だったら、料理を持ってってください。せっかく作ったんだから」
 結太は台所に入ってプラスチックの容器を棚から取りだした。ダイニングテーブルに戻って料理をつめていると、玄関ドアがバタンとしまる音がした。
「宗輔さん」
 手早く蓋をして玄関まで走る。ドアをあければ宗輔は外廊下の先でよろめきながらエレベータにのりこもうとしているところだった。
「待って待って、これ持ってって。唐揚げと生春巻とグラタン」
  ちらとこちらを見たその顔は真っ青で、今にも倒れそうだった。煙に何か悪い成分でも含まれていたのか普通ではない様子になっている。
 結太がエレベータ前に着くと、扉はしまり下降していくところだった。けれど階段でおりればまだ間にあうはずだ。結太は急いで非常用階段を駆けおりた。六階から一階まで走り、エントランス横のエレベータにたどり着く。ちょうどそのときチンと音が鳴り、扉がひらいた。ゆっくりとあくその中から、兄がおりてくるのを期待して――。
「え?」
 あいたドアの前で、結太は立ちどまった。
「えなにこれ?」
 四角い箱の中の光景は、にわかには信じがたいものだった。
 白い電灯の下、まるで溶けたかのようにぐにゃりと床に広がった宗輔の背広。その脇に通勤鞄。そして服の中には。
「ふみゃあ」
「え」
 泣き声がした。
 恐る恐る箱にのりこみ、服を見おろすと、もぞもぞと動くシャツの襟から、小さな、ほんの小さな赤ん坊が顔をのぞかせていた。
「ええ、ええ? え?」
「ふみゃああ」
「ええええええ」
 あたりを見渡すも、宗輔の姿はない。
 一体どういうことか。これは何なのか。オロオロとエレベータの中や外をいったりきたりしていたら、そこに仕事帰りの男の人がやってきた。エレベータの周りで挙動不審に動く結太に訝しげな目を向けてくる。
「あ、どうもすいません」
 とりあえず、意味もわからないまま邪魔になるといけないと思い、荷物と服と、その中の物体を手にしてエレベータをおりた。
 チン、と軽快な音を立てて上昇していく箱を見送りつつ、茫然となる。
「一体これどういうことなの……」
 腕の中で芋虫みたいに動くものを、もういちど確認する。それはやっぱり赤ん坊だった。しかも生まれたてらしい。真っ赤な顔で目もあいていない。手も足も折れそうにか弱く、頭もほぼハゲだ。職業柄、一歳くらいの赤ん坊は世話をしたことがあるが、これはどうみても手に負えるような代物ではない。
「宗輔さん……どこいっちゃったんですか。これは何なの」
 手に抱えた宗輔の私物には、靴に靴下、下着もある。しかもまだ温かい。
 服の中にこの赤ん坊がいたということは、本人は全裸でどこかにいったことになる。彼に何が起こったというのか。
「あ……。え? いいっ?」
 手に生温かな感触を覚えて、服を持ちあげてみれば、背中から水がもれてきていた。
「って、水じゃないしこれっ」
 まじか、と大慌てて抱き直して、荷物と一緒に階段を駆けあがった。部屋に戻り、玄関先に赤ん坊をおろす。
「ちょっと、待ってて」
 洗面所からバスタオルを持ってきて、赤ん坊を包み直した。
「あでも、またすぐにもらしちゃうよこれ」
 アワアワとなりつつ、宗輔に連絡を、と考えてスマホを取りにダイニングにいく。急いで宗輔に電話をかけるも、呼びだし音は宗輔の濡れた背広からしてきたのだった。
「えええ。どうしよう」
 この子は一体誰なのか。宗輔の隠し子か。それとも彼がエレベータで産み落としたのか。
「エレベータやタクシーで間にあわずに産んじゃう人って結構いるからな。さっき顔色も悪かったし……いやいや、宗輔さん男だし」
 混乱しすぎて、何がなにやら訳がわからない。しばらく廊下をウロウロしていたが、そうしていても埒があかないことに気がついた。
「警察に持っていくか。でも、その前に宗輔さんに事情をきかないと。もしかしたら、彼の子供かもだしな」
 おいていったのには何か理由があるのかも。
「とにかく、紙オムツあてないとやばいことになる」
 仕方なくバスタオルの赤ん坊を抱きあげて、居間に財布を取りにいった。
 季節は早春。二月の末だった。結太はコートを羽織って、その中に赤ん坊を入れて家をでた。
 鍵はかけないでおいた。全裸で戻ってきた宗輔が家にすぐに入れるようにと。幸い歩いて十分の所にドラッグストアがある。まだあいていることを願いつつ、早足で店に向かった。



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