呪いの人形をこわしたら義兄が赤ちゃんになってしまいました。頑張って子育てします。 03
店は閉店五分前だった。急いで紙オムツコーナーまでいき、新生児用を手にする。赤ん坊を抱いたまま会計をすませていると、三角巾を頭に巻いて白いエプロン姿のレジのおばさんが、何とも言えない奇妙な顔をしてきた。
「生まれたばっかりじゃない? その子」
「はあ、多分」
おばさんは目を見ひらいた。
「タオルなんかでくるんで。ちゃんと服着せてあげなさいよお父さん」
「はあ」
お父さんじゃないんですがと訂正する余裕もない。
サッカー台に移動して、バスタオルの赤ん坊をおいていたら、おばさんがレジを出て、近くによってきた。どうやら彼女の母性本能を刺激してしまったらしい。
「早くおしめあててあげて」
バスタオルの上で全裸の赤ん坊が寒そうに震えている。結太は慌てて紙オムツの袋を破いてあけた。
「あらああ!」
おばさんが悲鳴に近い声をあげる。みると、また赤ん坊が噴水をあげていた。
「おしりふきおしりふきっ!」
「ああ、買ってないですう!」
おばさんが走って売り場までおしりふきを取りにいく。赤ん坊が寒くて泣きだす。
もうパニックだった。
紙オムツをあてて、売り場の新しいバスタオルで包んで会計をすませて店を出ようとしたら「ミルクはあるの?」ときかれた。
「ああ、ないですっ」
そしてミルク缶も買い足して、疲れ果てて家へと帰った。
しかし宗輔は戻ってきていなかった。
「どうなっちゃってるの」
「ふにゃあ、ふにゃああ」
赤ん坊が腕の中で泣きだす。仕方なくミルクを作ろうとして、哺乳瓶がないことに気がついた。買い忘れた。日ごろ仕事で赤ん坊は相手にしているはずなのに混乱しまくっている。
もういちど店にいく気力はなかったので、ミルクを作ってチャック式ポリ袋に入れた。底にほんのちょっと穴をあけて、赤ちゃんの口許へとあてる。赤ん坊は口をふるふる動かして、ポリ袋に吸いついた。
「……はあ、よかった」
どこの誰の子かは知らないが、手にしてしまった以上、世話をする責任はあるだろう。親の許に返すまでは何とかしなければ。
明日の朝までに宗輔が戻らなかったら、この子は警察に届けるか。それとも宗輔がくるまでは面倒を見るべきか。彼も自分も、頼れる親戚は近くにはいない。
「まあ……明日の朝にまた考えればいいか。それまでには宗輔さんもさすがに連絡くれるだろ」
ぐったりしながら夕食をすますと、料理の残りを密閉容器に移して冷蔵庫に入れた。宗輔に食べてもらえなかったことを残念に思いつつ、赤ん坊を抱っこしてどうしたら仲良くなれるのかなあと考えた。
十四年前、結太の父と義母が再婚したとき、宗輔は義母ではなく実の父親と暮らしていた。けれど、不幸なことに宗輔の実父は、義母の再婚したその日に病気で亡くなっていた。再婚から三か月後、宗輔がこの家に引き取られてきた日、結太は兄ができることに喜んで、彼を歓迎するため色々と準備をしてワクワクしながら待っていた。お菓子、ゲーム、漫画に自分の宝物。やってきた四つ上の男の子は、背が高く目鼻立ちも整ったイケメンだった。その恰好よさに、結太は心臓をドキンと波打たせ、頬を赤くした。相手は同じ男なのに。
まるで恋する少女のように、結太は義兄に憧憬の感情を持ったのだった。
『ぼく、結太です。よろしくね。一緒にあそぼお兄ちゃん』
そう言った結太に、宗輔は氷のような目を向けて一言返した。
『死ね』
最初の言葉がそれだった。宗輔は一緒にいた義母にめちゃくちゃ叱られて、けれど絶対に謝ろうとはしなかった。むっつりと押し黙り、何に腹を立てているのか、その後今日までずっと気難しい顔を結太に向けている。
「仲良くしたいのに」
どんなに冷たくされても、結太は宗輔を嫌いになることはできないでいる。それは、彼の怒りの中に、どうしてか寂しさも感じ取ってしまうからだ。きっと大好きだった母親を取られてしまった憎しみと、実父を亡くした悲しみから、彼の心は頑なになってしまっているのだ。思い返せば初めて会ったとき、彼の目は数日泣き腫らしたかのように赤く、唇は何かに耐えるように強く引き結ばれていた。
宗輔と仲良く暮らせたら。それはどんなに楽しい毎日だろう。そう思って、木像にも願いをかけたのだった。
「あ、木像」
壊れた像は、床に散らばったままになっている。結太はゴミ袋を持ってきて、かけらを拾って中に入れた。
「時間を見つけてきちんと直さなきゃな」
父に送られた最後の品でもある。結太は袋をリビングの隅におくと、赤ん坊を抱きかかえた。赤ん坊は小さな手で眠そうに自分の頬をこすっていた。
それを見ていたらこちらも眠たくなってきた。今日は仕事が終わってから買いだしと料理、その後の騒動で忙しく動き回りすぎた。
結太は自分も寝る用意をすませると、自室に入って赤ん坊をベッドにおいて、横で一緒に眠りについたのだった。
◇◇◇
翌朝、結太はベッドの横で何かモゾモゾと動くものを感じて、目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。
「……ん」
何だろうと、重い瞼を持ちあげると、隣に裸の男の背中が見えた。
「え?」
目をぱちぱちとさせる。よく見るとそれはベッドに座った宗輔だった。
「……あれ? 宗輔さん?」
宗輔はなぜか、俯いて固まっていた。どうして彼が服も着ないで自分のベッドにいるのかと不思議に思いながら起きあがろうとしたら、いきなり胸ぐらを掴まれた。
「おいっ」
こめかみの血管がブチ切れそうな形相の宗輔がたずねてくる。
「これは何だっ」
「苦しい苦しいですっ」
「お前、俺に何をした?」
「何だって、何ですかっ」
パジャマをグイグイつかまれて、息も絶え絶えに問い返した。ふと、視線を落とすと、宗輔の股間に破れた白い紙のようなものが絡まっている。そして、その隙間から彼の立派なものがこぼれでそうになってた。
「え? はえ?」
思わず凝視すると、また締めあげられた。
「って、宗輔さん? あれ? どうして? 赤ん坊は?」
「何訳のわからんことを。これの説明をしろ。何で俺がこんなものをつけられてる」
「っていうか、宗輔さんは一体今までどこにいってたんですか」
そのとき、枕元の目覚まし時計がけたたましい音をたてて鳴りだした。ふたりの動きがとまり、目が時計に注がれる。
「あ、起きる時間だ」
時間は午前七時を指していた。
「俺もだ。くそっ、今日は長野に出張の予定だ。遅刻する」
宗輔がベッドから飛び降りる。するとその拍子に絡まっていた紙が落ちた。それは新生児用の紙オムツだった。
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