呪いの人形をこわしたら義兄が赤ちゃんになってしまいました。頑張って子育てします。 04


「え? 何で?」
「何でこんなもんを俺に」
 怒りもあらわに、長い脚で紙オムツを蹴りとばす。驚く結太を放って、宗輔は素っ裸のまま寝室をでようとした。
「俺の服はどこだ?」
「え、服?」
 結太も慌てて、後を追ってベッドをでた。
「昨日着ていたスーツなら、玄関の袋の中にありますけど……」
 言い終わらないうちに、玄関に走っていった宗輔は、袋からぐしゃぐしゃになったスーツを取りだした。
「濡れてる」
「あ、それおもらししたからですよ」
「誰がっ」
「誰って」
 顔をあげると、しかめ面の宗輔と目があう。結太も昨日の出来事が信じられず眉根をよせた。
「……まさか」
 宗輔がはかされていた紙オムツのことを思いだしたらしい。端整な顔に絶望の色が広がる。
「宗輔さん、昨日はどこにいたんですか」
「憶えていない」
 青くなった顔でこめかみに指を押しあてた。
「昨日、ここにきて急に気分が悪くなって、エレベータにのったとたん意識が遠のいて、気づいたらお前のベッドで寝ていた」
「ええ、まさか」
 そういえば、あの赤ん坊はどこへいった? 昨日の夜、自分の横に寝かせておいたはずのあの子は。目をパチクリさせる結太に、宗輔は慌てた様子で続けた。
「とにかく、これじゃ仕事にいけない。いったん家に戻る。おい、お前の服を貸せ」
「あ、はい。わかりました。けど、サイズがあうかどうか」
「恰好など構わん、タクシーを呼ぶ」
「あら、リッチですね」
「薄給だ」
 結太は寝室に戻ると、クローゼットから宗輔が着られそうな服を取りだした。サイズが違うせいか、ちんちくりんな服装になってしまったが、宗輔は気にせず急いで身に着けて、スマホでタクシーを呼んだ。
 十分ほどして、マンション前にタクシーがやってきた。『つきました』と電話が入ったので、宗輔は慌ただしく荷物をまとめると、玄関に向かった。
 ドアをあけて外にでるときに、ふと思いだしたように手をとめて振り返る。
 結太に向かって、ぼそりと「世話になったかもしれん」とだけ、きまり悪そうに言い残して去っていった。
 玄関先で見送った結太は、宗輔が礼のような台詞を残していったことに一分ばかり呆然として、ハッと自分も仕事があることを思いだし、急いで準備に取りかかった。


◇◇◇


 あの赤ん坊は一体どこにいってしまったのだろう。
 結太は宗輔を見送った後、寝室を探してみたのだが、それらしき物体はどこにも見あたらなかった。もしかして自分はとんでもなく不思議な夢を見てしまったのだろうか。
 首をひねりながら、自宅から自家用車で二十分の勤務先である幼稚園に出勤し、いつものように子供たちの世話をしてすごした。
「吉原先生、電話ですよ~」
 と、同僚の教諭に呼ばれて、職員室の電話を取ったのは、一日の仕事も終えた午後六時すぎ、帰り支度をしている途中だった。
「はい、吉原です」
『ああ、吉原結太さんですか。成善宗輔(なりよしそうすけ)さんのご家族の方ですよね。ええと、名刺の事務所に電話したら、あなたのほうにも連絡するようにと言われたもので。あ、私、高崎警察署高崎駅前交番のものですが』
「はあ」
 電話の声は中年男性で、どうやら警察官らしかった。
『実はですね、成善さんがですね、新幹線の中でいきなりお子さんを残して姿を消されてしまいまして』
「はああ?」
『荷物と、お子さんだけ残して跡形もなく消えてしまったんですよ。隣にいた人が言うにはですがね、煙みたいに消えたと。まあ、それは夢でも見たんでしょうが。とにかくそういう訳で赤ちゃんと荷物、預かってますので、今すぐこちらにきて頂けませんか?』
 そう言われて、結太は頭の中がひっくり返ったみたいに混乱した。
 とりあえず、また赤ん坊が出現したのならと、幼稚園の備品の中から紙オムツとバスタオルを借りてバッグにつめこみ園をでる。
 駅まで車で向かい、新幹線にのりこんで高崎駅まで移動した。三時間かけて高崎駅前交番に着くと、そこには警察官と駅員と、間違いなくまたあの赤ん坊がいた。
「もらしちゃったみたいで、一応、紙オムツ買って、あてときました」
 駅員に言われて、結太は恐縮しながらお礼を言った。
「ど、どうもすみません」
 なぜ自分が謝らなければならないのか、よくわからないままそれでも謝っておく。濡れたスーツの入った袋と他の荷物を受け取り、持ってきたバスタオルで赤ん坊を包んでいると警察官がきいてきた。
「ところでこの残された赤ちゃんは、成善さんのお子さんで間違いないでしょうか?」
「はい?」
「いや、実は成善さんの隣に座っていた女性が、瞬きする間に彼がいきなり消えて、この赤ん坊が残されていたと証言されたのですが、彼は最初、子連れではなかったとも言っていたんですよ。もしかしたら、彼に全く関係ない子供かもしれないので」
 言われてみれば、この子がどこからきたのか結太も知らない。それならば、赤ん坊はこのまま警察に預けたほうがいいのだろうか。
「……あの、隣にいた女性は、宗輔さんがいきなり消えたと言ったのですか?」
「ええ、そうですね、嘘みたいな話ですが」
 結太は昨夜のことを思いだした。宗輔はエレベータの中で突然消えて、代わりに服の中にこの子が残された。そして今朝、赤ん坊は消えて、新生児用の紙オムツをつけた宗輔がベッドの中にいた。
 宗輔が消えるとこの子が現れて、宗輔が戻れば、赤ん坊は消える。
 しかも、この現象は、今回で二度目だ。
 ということはまさか。
「いやいや」
 結太は自分の想像を頭を振って否定した。
 けれどアウアウと口を動かしながらつぶらな瞳で見あげてくる赤ん坊は、宗輔に似ていなくもない気がする。
「……まさか」
 そんなことがあり得るだろうか。この子供が、――彼だということが。
「もし、関係のない子供だったらどうなるんですか」
「本当の親を探さないといけないでしょう」
「見つからなかったら?」
 警察官は駅員と顔を見あわせた。
「そのときは、しかるべき処置を取って、まあ、どこかの施設にでも」
 結太はブルッと身体を震わせた。もしも、この子供が何かの超常現象で赤ん坊になった宗輔だったとしたら。そして、もしも、もう二度と大人に戻らなくなるとしたら。彼と離れ離れになってしまう。
「あの、この子は兄の子供です。兄が帰ってきたら遺伝子検査してもいいです」
 結太は慌てて言った。
「僕は彼の弟です。だから、この子は僕が引き取ります」
 結太は引き取りのための書類の処理を行うと、何度も礼を言って交番を後にした。
 自分の予想を疑いつつ、けれどそれ以外には考えられなくて、結太は帰りの新幹線の間中、困惑しっぱなしだった。
 大量の荷物を抱えて家路につく間、宗輔のスマホは何度もメッセージを受信して震えていた。きっと宗輔の勤める弁護士事務所からだろう。しかし、パスワードを知らないのででることもできなかった。
「ホント一体これどうなってんの」
 考えても答えはえられない。けれどこの赤ん坊は、多分、宗輔が変身した姿なのではあるまいか。とても信じられる現象ではないのだが。万一、そうではないとしたらそのときは宗輔が帰ってきてから相談すればいい。彼は弁護士なのだし、何かしらの対策を考えてくれるだろう。
「訳わかんないよ」
 日ごろ難しいことには使わない頭をひねりにひねったせいで、家に帰り着いたときには、ぐったりと疲れ果てていた。
「ふぎゃあふぎゃあふぎゃあああ」
 お腹がすいたのか、赤ん坊は途中から泣きっぱなしだった。
「わかったわかった今ミルクあげるから」
 クタクタの足を引きずって台所にいきミルクを作る。昨日と同じように飲ませると、赤ん坊は大急ぎで吸いついてきた。
「あれ?」
 んぐんぐと飲み干す姿に、違和感を覚える。
「昨日より、大きい」
 今日の赤ん坊は、明らかに昨日より大きい子になっている。まさか昨日とは違う子なのかと思ったが、顔立ちは同じように思える。
「どうなってんのこれ」
 結太には理解できない事柄が起きている。首を傾げつつ、しかし往復六時間の行程に疲労困憊だった結太は、昨日と同じようにベッドに赤ん坊を連れていくと、色々とよく考えることもできずに、そのまま一緒に眠りに落ちたのだった。



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