呪いの人形をこわしたら義兄が赤ちゃんになってしまいました。頑張って子育てします。 05
◇◇◇
「おい」
「んん」
「おいコラ起きろ」
「う~ん、待ってもうちょっと。……って苦しい苦しい締まるっ」
パジャマの襟を締めあげられて、結太は心地よい眠りからいきなり目覚めさせられた。
「苦しいって、あれ、宗輔さん?」
重い瞼を持ちあげると、昨日と同じ、裸の宗輔が目の前にいた。
「戻ったんですかっ、宗輔さん」
「お前。二日続けて俺に何をしたか白状しろ、この野郎」
ブチ切れ状態の宗輔が、視線を足の間に落とす。結太もつられて目を落とす。そこにはやはり紙オムツがあてられていた。
「お前、俺をおちょくってんのか、ええ? 今までの報復でもしてんのか」
「な、何を言ってるんです。そんなことする訳ないじゃないですか。俺は、たぶん、お世話したんですよっ」
「何の世話だこの野郎っ」
とにかく落ち着いて、と言って、興奮気味の宗輔をなだめる。そうして、少し冷静になったところで結太は昨日と同じ質問をした。
「宗輔さん、自分に何が起こったのか、憶えていないんですか?」
宗輔は腕を組んで、眉間に深い皺を刻んだ。
「憶えていない。昨日は、長野で仕事をすませて新幹線にのりこんで。ノートPCをひらいたところで意識が途切れた。そして気づいたらこの有様だ」
あぐらで座る股間には、小さすぎて破れた紙オムツが絡まっている。結太の視線がそこに注がれていることに気がつくと、忌々しげに脱ぎすててシーツに叩きつけた。
全裸になった宗輔に、結太は居心地の悪さを感じてしまった。中学から続けていた水泳できれいに引き締まった身体が目の前に存分にさらされて、目のやり場に困ってしまう。けれど宗輔のほうは怒りと困惑に頭が一杯らしく、羞恥などどこかにいってしまっているようだった。
「……実は、宗輔さん、記憶をなくしている間に、どういう訳か変身して、赤ん坊になってしまってた、と言ったら、信じてくれます?」
「は?」
「多分、そうなんだと思うんですけど、宗輔さん、赤ちゃんに戻ってしまってたんです」
昨日に引き続き、今日も朝になると赤ん坊が消えて、紙オムツをあてた宗輔がベッドで寝ていたのだからきっとそうだ。というか他の理由が浮かばない。全くもって理解の範疇(はんちゅう)を越えた現象ではあるのだが。
「お前。俺が憶えてないからってふざけたことを……」
「嘘だと思うのなら、高崎駅前交番に電話して聞いてみてください。俺、昨日、赤ちゃんになっちゃった宗輔さんと荷物を高崎まで取りにいったんですから」
こっちも困り顔で、むぅ、と反論する。あんなに大変な思いをして迎えにいって、ヘトヘトになりながら戻って世話をしたのに。礼のひとつもなく疑われたままだなんて。結太はベッド脇にあったスマホを手に取って、高崎駅前交番に電話をかけた。それを宗輔に渡す。宗輔は怪訝な表情をしたものの、スマホを受け取り警察官と話しだした。
通話を終えると、どうにも納得のいかない表情でため息をつく。
「何がどうなってるんだ……」
「それは俺にもさっぱり」
そして、ハッと顔をあげた。
「俺の荷物は」
「ありますよ。ちゃんと持って帰ってきました。玄関においてます」
「まずい。今日は浜松にいって証人に会わないといけない」
宗輔はベッドをおりて玄関まで走っていった。そしてそこで、また袋に入った皺くちゃの背広を発見した。
「濡れてる」
「ですからそれは」
「……」
この世の終わりみたいな顔になった宗輔に、結太は同情を感じて声をかけた。
「俺の服、着ます?」
◇◇◇
数時間後、結太は、実家に戻り新しいスーツを着た宗輔と共に、浜松ゆきの新幹線にならんで座っていた。
「どうしても、俺がついていかなきゃならないんでしょうか」
「そうだ。俺に万一のことがあったら、お前が世話をするためだ」
「まあ、今日は日曜だからいいですけど」
と言いながらも、実は結太は宗輔と一緒にでかけられることを嫌がってはいなかった。
元来、世話好きな性格なので困った人は捨ておけない。それに、今まで宗輔とはまともに話さえできていなかったのだ。彼のおかれた状況が、病気なのか超常現象なのか、それとも何かの呪いなのか、わからないけれど、自分で助けられることがあるのなら何とかしてあげたいという気持ちになっていた。
「……呪い?」
ふと、頭の中に浮かぶものがあって、結太は思わず呟いた。
「そういえば」
隣に座る宗輔に話しかける。
「宗輔さんがおかしくなったのって、もしかして、あの木像を壊した後からですか?」
「木像?」
結太は父親に送られてきた白魔術用の像の話をした。『百日間の魂の浄化』により願いを叶える像に、自分はとある祈りを捧げたこと。そしてその直後、像は壊れ、でてきた煙を宗輔は吸いこんでしまったこと。
「確かにあれを吸った後、ものすごく気分が悪くなって、エレベータの中で意識が途切れた……ということは、俺のこのありえない状況は全部お前のせいだってことになるのかええ?」
横から胸ぐらを掴まれた。
「痛い痛いです。けど、他に理由が思い浮かびません」
「俺にも心あたりはないぞ。だったらこれはアフリカの何とかの精霊の呪いか。おい、あの木像はどうした? まさか捨ててないだろうな」
「大丈夫です。ゴミ袋には入っていますが」
「帰ったらすぐに修理しろ。元通りに戻すんだ。元の、とおりに、な」
凄んだ口調で念を押され、結太はうんうんと頷いた。
「でも、木像が壊れたのは、宗輔さんが俺を押したからですよ」
あのときの状況を思いだしたのか、宗輔が「む」と眉をよせる。
「だから精霊が怒って、宗輔さんの中に入ってしまったのかも」
「……なら俺も修復を手伝ってやる。それでいいだろ」
不本意そうに言う。
「それで精霊が許してくれるといいんですが」
「でなきゃ俺は終わりだ。毎日紙オムツをつけて目覚める人生など人として終わっとる」
結太を放りだすと、嫌そうに目をとじて眉間に指を押しあてた。
「宗輔さん、弁護士なのにちょっと言葉づかいが悪すぎやしませんか?」
結太が乱れた服を直しながらこぼす。
「俺は素のときは昔からこういう喋り方だ。もちろん仕事のときは紳士的に対応してるぞ」
自分にも紳士的になって欲しいものだと思いつつ結太は言った。
「しかもすぐ手がでるし。暴力的な行為は職業上どうかと思いますよ」
上目で非難するような視線を向けると、宗輔はちらとこちらを確認してから呟いた。
「わかった。理性的に対応するように努力する」
「というか、どういう作用でいきなり赤ん坊に変身してしまうんでしょうね。何か、変身するきっかけみたいな事象があるのかな」
「俺にわかるか。お前が考えろ」
「宗輔さんのほうが頭がいいのに」
「確かに。俺が考えるわ」
あっさり言われて、密かに傷ついたが黙っておく。宗輔は昔から学業も結太よりずっと優秀だった。一緒に暮らした六年間、宗輔は部屋にこもって勉強ばかりしていた。もちろんそれは、家族と顔をあわせたくないという理由もあったのだろうけれど。
「おい、それから聞いておけ」
「はい、何ですか」
「これからいく家は、今俺が担当している事件の証人なんだが、守秘義務があるからお前を話しあいの場に連れていくことはできない。玄関先に残しておくから、もしも何か異変が起きたようだったら、そのときはすぐにフォローしにこいよ」
「つまり、赤ちゃんになってしまうかもしれないから、そのときは助けにこいと」
「そういうことだ」
「わかりました。大丈夫。紙オムツもおしりふきも持ってきました。準備万端です」
「……」
手際のよさを褒めてもらえるかと思ったが、宗輔は何とも言えない渋い顔をした。
浜松に着くと、ふたりはタクシーで目的の家へと向かった。宗輔はくわしいことは教えてくれなかったが、どうやら遺産相続でもめているらしい。それを宗輔は担当しているようだった。
どこにでもある普通の一軒家の、インターホンを押して待っていると、中から中年の夫婦がでてきた。結太は事務員だと紹介されて、先刻言われた通り玄関で待つことになった。
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