呪いの人形をこわしたら義兄が赤ちゃんになってしまいました。頑張って子育てします。 06


 何かあったら必ずこいよ、と目顔で命じる宗輔に、了解と頷く。そうして框に腰かけて夫人に用意してもらった茶と菓子を食べながら待機した。時刻は午後三時。ちょうどいいおやつどきだった。
「……長いなあ」
 それから二時間半ほど、話がこじれているのか待たされた。いい加減座っているのにも飽きて、スマホの電池も尽きかけたので立ちあがって伸びをする。
「弁護士の仕事って大変そう」
 壁にかざられた絵画などを暇つぶしに眺めていたら、突然、奥の座敷から「ひぃぃっ」という引きつった叫び声が聞こえてきた。
「きたかっ」
 結太は靴を脱いで、バッグを手に廊下を駆けていった。
「何なのこれ、せ、先生っ」
 という声がする襖を、「失礼します!」と声をかけてあける。するとそこには、やはり赤ん坊になってしまった宗輔がいた。座布団の上で、背広を纏わせた赤ん坊が手足をウバウバと動かしている。
「な、な、何なんですかこれは」
 大きな卓の、対面に座っていた夫婦が驚愕の表情で抱きあっていた。
「いやあの、先生は手品の達人でもありまして。ときどき気を抜くとこうやって技がでてしまうのです」
 とでまかせを言い、てきぱきと服を脱がせて紙オムツをあててバスタオルで包んだ。
「先生は、どうなってしまったのですか」
「心配なさらないでください。時間がたてば戻ります」
「本当にマジックなんですかこれ?」
 混乱する夫人に言われて「魔術です」と神妙に頷いた。
「話しあいは、終わられたのでしょうか」
「はい、ちょうどさっき」
「では、詳しい説明は、後日、先生より聞いてください。種明かしをしてくれると思います、多分」
 卓上に広げられた書類やノートPCを鞄にしまい、背広は自分のバッグにつめて、ポカンとなった夫婦に「ではこれで」と挨拶をして玄関をでる。駅までの道を急いで歩きつつ、昨日よりも確実に成長している赤ん坊に、華奢な結太は体力の限界を感じ始めた。
「やばい、重い」
 この重量では、家までたどり着けない気がする。
 結太はスマホを使って、近くにベビー用品店がないか調べてみた。ベビーカーとついでに子供服も買おうと思ったのだ。幸い、駅の近くに子供用品の有名チェーン店があった。
 そこまで何とかいき着くも、ベビーカーの値段の高さにビックリする。一万、二万はざらで、中には五万円を超えるものもある。
「まじ? 俺の安月給じゃ結構痛いなあ」
 子供服も下着も買わなければならない。仕方なくベビーカーはあきらめて抱っこ紐を購入することにした。レジをすませ、サッカー台でタオルから子供服に着がえさせる。両手に荷物を抱え、胸の前に赤ん坊をぶらさげて、ヒイヒイ言いながら帰路に着いた。家に到着したときは、赤ん坊は空腹でギャン泣き状態だった。
「……わかったわかった」
 ミルクを昨日の倍量飲ませて、やっと一息つく。結太もぐったりだ。
 居間の真ん中に敷いたラグの上に赤ん坊をおいて、自分も夕食を簡単にすませて、風呂の前にスマホの充電をと思って、ふと気がついた。
「そうだ。証拠の動画とっとこ」
 そうすれば、宗輔も納得してくれるだろう。満腹で赤ん坊は機嫌がよくなったのか、手足を持ちあげてバタバタ嬉しそうに振り回していた。
「きゃわわだな~」
 のぞきこむと、にっこりと笑顔を返してくれる。本物の宗輔にも笑ってもらったことはないのに。赤ん坊の彼は素直でものすごく可愛い。
 結太はチビ宗輔の動画や写真を撮りまくり、そしてその夜は満足して眠りに落ちたのだった。


◇◇◇


 翌朝早く、結太は隣でうんうんとうなされる声を聞いて目を覚ました。
 見ると、大人になった宗輔が、子供服の狭い首周りに喉元を締めつけられて苦しそうにしている。結太は慌てて服を脱がせた。せっかく買った新品の服は所々裂けている。しまった、眠る前に脱がせておくべきだったと後悔しつつ、これは今夜にでも繕おうと畳んでベッドの横においた。そうしていたら、宗輔が目を覚ました。
「おはようございます、宗輔さん」
「……」
 宗輔の顔はいささか疲れている。寝起きなのに。
「亀甲縛りされる夢を見たぞ」
「そ、それは悪夢でしたね」
 むっくりと起きあがると、無言で紙オムツを脱ぐ。三日目にもなると慣れたものだ。
「宗輔さん、朝ごはん作りますから、食べてってください」
「……ああ」
「ついでに食べながら、話もしたいですし」
「そうだな。昨日はどうなったか、聞いておかないと」
 宗輔の背広はハンガーに吊るしてクローゼットにしまってあった。彼がそれを身に着けている間、自分は台所で朝食作りに取りかかった。トーストやハムエッグなど、定番のものを幾品か用意する。ダイニングにスーツ姿の宗輔がやってきたので、昨日撮っておいた動画を観てもらった。
「どうです? 可愛いでしょう」
「確かに、俺の子供のころに似ていなくもないが」
 宗輔がスマホをじっと見つめる。結太は木像と一緒に箱に入っていた手紙も差しだした。ふたりで朝食を食べながら書かれた内容を吟味する。
「百日間の魂の浄化、って何なんだ」
「何なんでしょう」
「木像に願いごとをしたのがお前なら、浄化はお前がするべきものじゃないのか。どうしてお前が赤ん坊にならない?」
「けど、あのとき、煙を吸ったのは宗輔さんでしたし」
「俺が像を壊さなかったら、本当はお前が赤ん坊になってたのかもってことか」
 憮然とした表情で言う。
「とんだ災難だ。で、お前は何を願ったんだよ」
 食事を終えた宗輔が、コーヒーを飲みつつたずねてくる。
「え、あっと、それは……」
「人には言えないような願いだったのか」
「いやそんなことないですが」
「だったら言えよ」
「はあ」
 エプロンの裾をもじもじつまみながら、ちらと宗輔に目をやる。訝しげな眼差しとあって、結太は仕方なく願いごとを口にした。
「宗輔さんと仲良くなれますように、って」
「はあ?」
 素っ頓狂な声を相手があげる。そんなにビックリしなくたっていいのに、と結太は恥ずかしくなった。
「子供かよ」
「だって、仲良くしたかったんですし」
「そんな願いごとのせいで俺はこのざまか」
「そんなって、俺にとっては、すっごく大切なお願いだったんですよ」
 結太が上目で、拗ねたように口を尖らせる。
 それに、宗輔が「む」と整った顔をしかめた。結太の言葉が思いがけなかったらしく、何となく居心地悪そうに視線をそらす。怒らせてしまったのか、目許がわずかに赤らんだ。
「馬鹿馬鹿しい。大体、お前は昔から馬鹿だった。仕事も子供相手ばかりしてるから思考も幼稚だ。何だよ、そんな単純な願い事。俺だったら世界征服ぐらい願うぞ」
「宗輔さん怖いです」
「もう事務所に出勤しないと」
 宗輔は壁時計を見て立ちあがると、通勤鞄を手にした。
「結太」
 いきなり名前を呼ばれてドキッとする。そういえば、下の名を呼ばれたのは初めてかもしれない。出会ってから十四年、お初の出来事に心臓が飛び跳ねた。
「は、はい?」
 ビックリしすぎて変な声がでる。それに、宗輔もどうしてかわからないが慌てたような顔になった。本人も無意識のうちに結太の名を呼んでしまい、言ってしまってから自分の行動に戸惑っているような様子だ。
「俺がこんなことになったのは、絶対にお前のせいだ。だから呪いが解けるまでは赤ん坊になった俺をお前が世話しろ。わかったな」
「あ、はい」
 それは全然構わなかった。何しろこっちは育児のプロだ。
「任せといてください。ちゃんと面倒は見ます」
 胸を張って約束すれば、宗輔は「あたり前だ」と恐い顔をする。
「何かあったらお前に連絡がいくようにしておく。呼ばれたらすぐに駆けつけろよ」
「わかりました。それで紙オムツをつけてあげればいいのですね。スーツにおもらししないうちに」
「締めあげるのは次の機会にしておいてやる。そうだその通りだ忘れるな」
 結太の目の前に人差し指を突きつけて念を押す。それから玄関に向かった。
「いってくる」
「いってらっしゃい」
 普通の家族みたいに送りだして、そうして普通に挨拶できたことに、結太はちょっと感動していた。



                   目次     前頁へ<  >次頁