呪いの人形をこわしたら義兄が赤ちゃんになってしまいました。頑張って子育てします。 07


◇◇◇


 結太の勤める夢が丘幼稚園は郊外の高台にある。園児数九十名の私立幼稚園だ。そこで結太は勤めて三年目の幼稚園教諭をしている。
「吉原先生、お電話かかりましたよ」
「はい、すいません」
 園長先生みずからの呼びだしに、卒園式用の飾りつけを作っていた結太は恐縮しつつ職員室へいき電話を取った。
 時刻は午後五時すぎ。宗輔からいつ呼ばれてもいいように準備だけはしていた。
『吉原結太さんですか。私、宮本法律事務所の宮本と申します。宗輔くんから異変があったらすぐにあなたに連絡するように言われているのですが』
 相手の声は中年男性で、いささかうわずった喋り方をしていた。それで、何が起こったのか予測はついた。
「了解しました。すぐに向かいます」
 詳細は聞くまでもなくわかっている。そして園長に早めに帰らせて欲しいと前もって伝えてある。
 結太は必要なものをつめたマザーズバッグと、同僚から急遽借りたベビーシートを手に、自家用車にのりこんだ。宗輔の勤める法律事務所は幼稚園から車で三十分。駅近くのそのビルに着くと、急いで二階の事務所に飛びこんだ。
「お待たせしました」
 事務所には三人の所員がいた。皆、困り顔でソファの上を見つめている。そこには昨日よりまたちょっと成長したチビ宗輔がスーツの中いた。
「失礼します」
 紙オムツと子供服をバッグからだして、手際よく着がえさせる。
 アブアブと上機嫌の宗輔を抱きあげると、それを見ていた壮年の男性がおっかなびっくりの顔で話しかけてきた。
「いや、宗輔くんから事情は聞いていたけれど……本当に変わっちゃったんだね。信じられないよ、驚いた。あ、僕はここの所長の宮本というものだが」
 名刺をだされて、抱っこしたままの手で受け取った。
「弟の吉原結太です。兄がお世話になっております」
 事務員の女性がお茶を持ってきてくれたので、ソファに腰かけて宮本と詳しい話をした。
「出張にいったときも警察から電話があって驚いたんだが。まさかこんな不思議なことが起こるとは」
 どうやら宗輔は変身のことを隠さず宮本に伝えていたようだ。仕事に支障が出ると周囲に迷惑をかけてしまうからだろう。
「本当にその通りです」
 結太はお茶を飲みながら、事務所内をぐるりと見渡した。広めのフロアには事務机が並び、奥に会議室が見える。繁盛しているのか清潔感があって、落ち着いた雰囲気に設えられていた。優良な弁護士事務所のようだった。
「しかし、信じられんことだけれど、これが現実となると……彼の担当する事件は他の人に任さないといけなくなる。こんな調子でいきなり子供になられたら仕事にならない」
「す、すみません」
 思わず謝ってしまう。けれど原因は自分にある。このことで宗輔がクビになってしまったらどうしようかと心配になった。
「どうか、兄を辞めさせないでください」
 頭をさげると、宮本はいやいや、と手を振って結太の頭をあげさせた。
「宗輔くんは、僕の大事な友人の息子さんだから。簡単に辞めさせたりするつもりはないよ。彼はとても優秀だしね。まあ、とりあえず当分の間、様子を見ることにして今後のことはまた彼が大人になったら話しあおう」
「はい、ありがとうございます。兄をどうぞ、よろしくお願いいたします」
 もういちど、深く頭をさげて礼を言う。宮本は親切そうな弁護士だった。それに安心する。
「強面も赤ちゃんになると可愛いわねぇ~」
「やっぱり昔からイケメンだったのね、成善さんは」
 妙齢の女性事務員らが、代わる代わる抱っこしてチビ宗輔をあやしてくれる。その姿を見ながら、結太は宗輔が『異変があったらすぐに結太に連絡するように』と宮本に伝えておいた理由を理解した。
 なるほどこの女性らに紙オムツをあてられる事態になったら、自分でも恥ずかしくて死ねるなと、納得する。
 結太は女性事務員から宗輔を受け取ると、彼女らと宮本に挨拶をして事務所をでて、宗輔と荷物を車につめこみ、その日は家へと戻ったのだった。


◇◇◇


「昨日の変身は午後五時三十七分だったな」
「でしたね。それが何か?」
「日没の時間だ」
「はあ。ということは」
「ああ、俺は日が沈むと、なぜか赤ん坊に変身してしまうらしい。で、日の出とともに元に戻るというシステムだ。この三日、時間通りに変わっている」
「なるほど」
 結太は車を運転しながらふむふむと聞いていた。助手席には宗輔が座っている。
 呪いがかかってから六日目の今日は祝日。ふたりは結太の車で宗輔の家に向かっていた。毎日、夕方になると宗輔が赤ちゃんになり、翌朝大人になって目覚めるので、もういっそのこと呪いが解けるまでは一緒に暮らしたほうがいいんじゃないかという結論にお互い達したからだった。それで、着がえなどの当面の必要物資を、彼の実家まで結太の車で取りにいくところだった。
 車で一時間ほどの距離を、今後のことを話しあいながら移動する。
「赤ん坊の俺は、毎日少しずつ成長した状態でやってくると、お前は言ってたな」
「はい。今は一歳半くらいじゃないでしょうか」
「ということはつまり……」
 宗輔はちょっと目をとじて、考えこむ表情になった。顎にあてた指の先を、タクトのように何度か小さく振ってみせる。
「呪いがかかってから六日で一歳半。この計算でいくと、多分、百日前後で今の年齢に追いつくことになる」
「ということはつまり」
「つまり何だ?」
「すいません。考えてませんでした」
「お前」
 信号待ち中、横から頭をグリグリされた。
「つまり、百日間の魂の浄化というのは、その間に今までの人生を振り返って、反省すべき部分を更生しろってことなのかもしれん」
「なるほど」
「別に俺は、振り返る必要はないんだがな」
「ならなぜ呪いが」
「お前のせいだろがっ」
 またグリグリされた。痛くはなかったが。
 あれから、壊れた木像は、接着剤を使って丁寧に修復して居間に飾ってある。けれど、宗輔の変化はおさまらなかった。きっと直しただけでは呪いはなくならないのだ。しかし他に呪いを解く方法はわからない。
 そうしていたら宗輔の生家に着く。結太はここにくるのは初めてだった。
 住宅街の奥にある古くて立派な一軒家。結太の住むマンションの五倍の広さはありそうだ。この家に宗輔はひとりで暮らしている。何でも曽祖父の代からここに住んでいるのだという。職人によって丁寧に作られた日本庭園と、がっしりとした造りの日本家屋。今は少しさびれているが、時代をへた風格が感じられる。
「車はそこにとめろ」
 と言われて、庭の横の車庫に停車した。
 大きな引き戸の玄関をくぐり、中に入る。長くて広い廊下を通って、奥の宗輔の部屋へと向かった。途中の部屋の襖があいていたので、ちらとのぞくと、そこは書庫らしく大量の本がつめこまれていた。ほとんどが黒い合皮の表紙で括られた分厚い冊子だ。
「あれは何なんですか」
 前を歩いていた宗輔にたずねてみる。
「ああ。あれは判例集だな。判事の定年退職後に弁護士になった曽祖父が集めたものだ。今はもう、調べるのもパソコンですませられるから使わないが」
「へええ」
 天井まで造りつけられた棚いっぱいに、黒い本はびっしりつまっていた。



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