呪いの人形をこわしたら義兄が赤ちゃんになってしまいました。頑張って子育てします。 08
「宗輔さんちは、代々弁護士だったんですよね」
「ああそうだ。父も祖父もな。だから俺も家を継ぐ意味で、弁護士を選んだんだ」
「そうなんですか」
成善家に対する、宗輔の思いがわかるようだった。彼はこの家を、自分の祖先を大切にしているのだ。
「宗輔さんのお父さんって、どんな方だったのですか」
結太は、その人のことは何も知らなかった。
「親父か? 俺の親父は厳しい人だったよ。頑固で勤勉で。自分に厳しかったが、他人にも同じように厳しかった。……まあ、だから、母親もついていけなくなったんだろうがな」
最後はぽつりとこぼすように言う。その横顔は過去の寂しさをたどっているようで、結太の心はツクンと痛んだ。
宗輔の両親は、彼が六歳のときに離婚している。その後、母親は家をでたが宗輔はここに残された。跡継ぎだから父親が絶対に手放そうとしなかったのだと、後で結太は自分の父親から聞いた。
十三歳で彼の父が病死するまでの七年間、宗輔は実父とふたりきりで、この広い家で何を思って暮らしていたのだろう。宗輔が結太の家にやってきたとき、彼の表情は暗く荒んでいた気がする。自分を捨てたと思っていた母親と、新しい父と弟。考えてみれば、嬉しい状況などではなかったはずだ。だから、引き取られた後もあんなに頑なに結太たちを拒んでいたのだ。
――けれど。
けれど結太は知っている。本当は、宗輔がとても優しい一面を持っていることを。
宗輔が、結太の家にやってきて半年ほどたったとき、それがわかる出来事があった。
あれは九月の、とても暑い日のことだった。当時小学四年生だった結太は、学校の帰り道で一羽の傷ついたインコを草むらで見つけて、拾って帰宅した。
その日は母が家を留守にしていた。だから、幼い結太は手の中で動かない小鳥に何もしてあげられなくて、玄関先でひとりで泣いていた。それを中学から帰った宗輔が見つけたのだった。
『どうしたんだよ』
怪訝そうに問いかけられ、結太はしゃくりあげながら答えた。
『ひろった、の。このこ死んじゃうの? さっきまで、動いてたのに』
涙でぐしゃぐしゃになりながら、手の中の小鳥を見せる結太に、聡明な宗輔は瞬時に全てを理解したらしい。
すぐに、グイッと腕を引いて近くの動物病院へと連れていってくれた。
『泣くなよ。きっと助かるから』
診察中、待合室でまだグズグズ泣いている結太に、横に腰かけた宗輔はぶっきらぼうに言った。
ただその一言だった。それ以外はしかめ面だった。きっと泣き続ける結太をどう扱っていいのかわからなかったのだろう。けれど、その言葉は何よりも結太を元気づけてくれた。
あのときの宗輔はすごく頼もしかった。
そして治療の甲斐あって小鳥は無事に助かり、結太の家で飼うことになった。鳥籠や餌を買ってきて、毎日掃除をして。一番熱心に面倒を見ていたのは、意外にも宗輔であった。誰に頼まれずとも率先して小鳥の世話をした。
結太が小学校から帰ると、誰もいないリビングの隅で、鳥籠の前に座った宗輔が、インコに話しかけながら笑っていることもあった。それは見たこともないほどの優しい笑顔で、結太はこんな笑い方もするんだと、不思議なものを発見した気分になった。
小鳥も宗輔に懐いていたけれど、不運なことに二週間ほど世話をした後に、母親がマンションの掲示板に貼られていた『迷子の小鳥さがし』のチラシから飼い主を見つけてきてしまった。それで、元気になったインコは持ち主に返さねばならなくなった。
小鳥を返した後、宗輔はどこか寂しそうにしていた。せっかく懐き始めた小鳥を手放さなければならなくて、がっかりしたのかもしれない。
『何だよ。あいつ家族がいたんじゃん……』
まるで、鳥も自分も家族がいないような言い方をした。それを聞いて、結太は悲しくなった。宗輔にだって家族がいるじゃないか。自分や両親が。なのにインコにおいていかれたように悔しそうに言う様を見て、結太の心も同じように傷ついたのだった。
それから結太は、宗輔のことばかり考えるようになった。いつも部屋にこもって孤独にすごす宗輔を、どうしたら楽しませてあげることができるのか。一緒に仲良く暮らすにはどうしたらいいのか。冷たくされても彼のことが嫌いになれなかったから、結太は関係をよくする努力をしてきた。
――宗輔さんと、仲良くなれますように。
もしかして、あの木像は、本当に結太の願いを聞き届けてくれたのかもしれない。
十四年来の、結太の想い。それが叶うように、子供の宗輔を連れてきてくれたのかもしれなかった。
「不思議な出来事だけどな。だったら、責任持って育てなきゃ」
過去から託された宗輔を、ちゃんと理解してあげないと。彼の心の頑なな部分を、今度はきちんとわかってあげたい。
「おい結太、荷物をつめるの、手伝え」
廊下の奥の部屋から呼ばれて、結太は「はい」と明るく返事をして宗輔の元へと向かった。
◇◇◇
そして宗輔と結太の、一時的な同居生活が始まった。
毎日、日の入りの時刻になると、宗輔は事務所を早退して結太の幼稚園までやってくる。そこで小さく変化すると、結太は彼を着がえさせて、おぶって仕事をした。帰宅後は食事をさせて風呂に入れて就寝。翌朝は大人に戻った宗輔に朝食を作って送りだす。
最初は生まれたてだった宗輔も順調に成長し、ハイハイ、つかまり立ち、言葉もしゃべりだすようになった。
赤ちゃんの宗輔は本当に可愛くて、結太は毎晩張り切って世話をした。まるで母親になったみたいに手作りの離乳食を食べさせ、いそいそと紙オムツをかえて寝かしつけて。チビ宗輔の可愛さに夢中になっていた。
けれどそれが、大人の宗輔のプライドを傷つけてしまっているということに、結太は楽しすぎて全然気づけていなかったのだった。
「チビ宗輔さん、本当に可愛いですよ。昨日は一緒に、夕食のあと、お歌も歌ったんです」
「へえ」
「この動画見てください。ほらほら。ああ、もう、笑顔が最高でしょ。本当に素直でいい子なんですよ。元気だしいつも笑顔だし、よく食べてよく寝るし」
「……」
休日の朝だった。呪いがかかってから今日は十一日目。ふたりで朝食を終えたところだった。
結太は撮りためた動画を宗輔に見せて、チビ宗輔がどれほど可愛いかを力説していた。
「はぁ、可愛い……。もうずっと宗輔さん育てていたい」
うっとりしている結太を横目に、宗輔は自分の幼い姿を冷静な目で見ていた。
「ていうか、この生態観察記録は何なんだ」
「育児日記です」
結太は毎日、育児記録もつけていた。机の上に広げていたそれを見て、宗輔が眉根をよせる。
「ここにあるバナナ豆腐とは一体なんだ」
「つぶしたバナナと豆腐を混ぜたものです」
「そんなおぞましいものを食わされてるのか」
ウッと口元を押さえてうめく。大人は食べたいと思わないメニューかもしれないが栄養価も高い人気の離乳食だ。
「チビ宗輔さんも大好物です」
「二度と食わすな」
バタンと育児日記をとじてしまう。眉間には深く皺が刻まれていた。
いつものことだが宗輔は今朝も寝起きから機嫌が悪い。脱いだ紙オムツは隠すようにゴミ箱の一番下に捨てられていた。
どうも宗輔は、赤ん坊の自分と大人の自分の落差に感情がついていかないらしい。人は誰でも子供時代はあるし、その間は保護者の世話になるのは普通のことなのだが、昼間は弁護士として一人の自立した大人として働いているためか赤ん坊の自分をひどく嫌う。結太にしてみれば、チビ宗輔の世話は楽しいことでしかなかったのだが。
そしてその楽しさが宗輔をメンタル的に追いこんでいることに、鈍感な結太は思い至っていなかった。
食事を終えた宗輔が居間へ戻っていく。結太は台所を片づけながら洗濯機を回した。
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