呪いの人形をこわしたら義兄が赤ちゃんになってしまいました。頑張って子育てします。 11


◇◇◇


 ――悪かった、反省している。
 宗輔が結太に無体なことをして謝罪した後、彼の態度はがらりと変わった。
 以前と違い、気づかわしげなものになったのだ。
 前のような意地悪な態度は少なくなり、食事の準備や洗濯に感謝するようにもなった。手伝いさえしてくれるようになった。
 宗輔の変化に結太は戸惑ったけれど、彼との距離が縮まったのは嬉しかった。
 休日には居間でスナック菓子をつまみながら映画も観たりして、初めての打ち解けた関係に、結太は嬉しくて舞いあがった。そして数日後にはチビ宗輔の紙オムツも無事卒業し、ストレスの元から解放された宗輔は機嫌もよくなった。
 ――このまま、宗輔さんとずっと、暮らせればいいのに。
 段々とそう望むようになってきている。
 しかし宗輔と親しくなるのとは反対に、チビ宗輔は結太の元にやってくるたび、精神が不安定になりつつあった。それはきっとチビ宗輔が六歳に近づいていたせいだろう。六歳は、彼の両親が離婚した歳であった。
「え? まだきていませんか?」
 夕刻の幼稚園。いつもならとっくに宗輔がきている時間なのに、その日はまだ現れていなかった。
「おかしいな……何かあったのかな」
 宗輔の事情を知る同僚らにたずねてみても、知らないと言う。時計を見れば、日没まであと十分であった。
 呪いがかかってから二十五日目。今日のチビ宗輔は六歳、小学一年のはずだ。
 心配になった結太は、園長に断って自分のスマホをチェックした。するとそこには、メッセージが届いていた。
『電車が人身事故でとまった。間にあわないかもしれない』
「まずい」
 結太は青くなった。人の多い電車の中で、子供に変わってしまったら大変なことになる。騒ぎになるだろうし、チビ宗輔も不安がる。
「すいません、ちょっとださせてください」
 園長に早退を頼んで、車で駅に向かった。途中、信号待ちのときにスマホをチェックすると『動きだした。ギリギリ間にあうかもしれない』とある。『車でそっちに向かってます。駅前ロータリーにいて』と打ちこむ。変身まであと三分。結太は急いで車を走らせた。
 駅に着いて、ロータリーをぐるりと一周してみる。が、宗輔の姿はなかった。結太はあいたスペースに車をとめて、駅付近をウロウロと探し回った。時刻は午後六時。
「やばい」
 タイムリミットだった。宗輔が子供に戻ってしまっている。結太は大急ぎで駅の構内や駅前の通りを走って回った。けれどそれらしき子は見あたらない。
 駅前交番に駆けこんで、迷子がきていないかたずねるも、そんな届け出はないと言われた。迷子がきたら連絡くださいと告げて、また駅周辺を探す。電車がとまっていたせいか、改札やバス停にはいつもより人が多く行き来していた。宗輔はバスにものれなかったろう。
 だったらタクシーかと、タクシーのり場に走る。そこにも人が多くいた。よく見るとのり場の前に設置されたベンチに、見覚えのある荷物がおかれている。近づいていけば、それは宗輔の鞄と上着だった。
「こっ、これ、どうしたんですかっ」
 客がのりこもうとしていたタクシーの運転手を掴まえて大声できく。
 運転手は、ああ、という顔をした。
「近くに落ちていたんだよ。今、警察が取りにくるはず。あんたのだった?」
「いえ。違うんですが。持ち主、探してて」
「さあ。それしかなかったから、持ち主は知らないよ。後は警察に聞いて」
 運転手は客をのせると、手をあげて発進してしまった。
 残された結太は、呆然と荷物を抱えて立ち尽くした。やってきた警察に、荷物は兄のものだと言って迷子の捜索をお願いする。服装をきかれて、大人のスーツを着ているはずと伝えると怪訝な表情をされた。
 日が沈み、宵闇が迫ってきている。六歳の宗輔はどこへいってしまったのか。不審者にでもさらわれてしまったらどうしようと、いても立ってもいられなくなる。結太は真っ青になって、駅前の通りを何度も何度も往復した。
 やがて七時になり、八時もすぎて、九時になると焦りもピークに達し、不安すぎて気分まで悪くなってきた。警官も駅周囲やステーションビルに問いあわせたりして探してくれたが見つからない。小さな宗輔が、いくとしたらどこだろう。知らない場所に放りだされて、彼が向かいたくなるところと言えば……。
「もしかして」
 ハッ、と気づいた結太は、急いで自分の車に戻った。
 エンジンをかけて発進させると宗輔の実家に向かう。まさかとは思うが、けれど、自分が宗輔だったらまず家に戻りたくなるだろう。駅から宗輔の実家までは駅三つ分ある。そんな距離を子供がひとりで歩いていけるとは思えなかったが、一縷の望みをかけて車を走らせた。
 焦りつつ、人通りも少なくなった住宅街を抜けて、三十分ほどで宗輔の家に着くと、車を路上にとめて花崗岩でできた立派な門柱を通り抜けた。
 真っ暗な玄関先に、小さくうずくまる影がある。結太は安堵に泣きそうになった。
「……宗輔さん」
 声をかければ、小さな頭が動いてこちらを見る。不安そうな小声で、影はたずねてきた。
「……お母さん?」
 ゆっくり近づいていき、怖がらせないように優しく喋りかける。
「お母さんはね、ちょっとでかけてるんだ。お兄さんが、宗輔くんを見てくるように頼まれたんだよ」
「嘘だ」
「え?」
「お母さんはもう帰ってこないよ」
「……」
「でていっちゃったから。お父さんとリコンして。僕をおいてどっか、……いっ、ちゃ、……っ」
 急に涙声になったかと思ったら、宗輔は声を殺して泣き始めた。きっと結太がここにくるまでも泣いていたのだろう。子供特有のやわらかな、けれど悲しみでいっぱいの泣き声が、糸を引くようにか細くあたりに響く。
「宗輔さん」
 結太は思わず、宗輔を抱きしめていた。小さな肩をギュッと包みこんで、そして一緒に泣いてしまっていた。
「俺が、今夜は一緒にいるから。宗輔さんをひとりにしないから。ごめん、寂しかったよね。迎えにくるのが遅くなって、本当にごめん」
 宗輔は涙をシャツの袖で拭きながら、顔をあげてきた。
「お兄さん、誰……?」
「宗輔くんの親戚なんだ。宗輔くんと仲良くなりたくて、遊びにきたんだよ」
「……そうなの」
 真っ暗な中で抱きあったまま話しかける。宗輔は少し不審そうに、しかし離れもせず腕の中でじっとしていた。
「ここじゃ寒いし、お腹もすいたろ? そこに車あるから、お兄さんちこない?」
「……いかない」
「え」
 幼い宗輔は聡かった。
「知らない人だもん、お兄さんは。お父さんが帰ってくるの、ここで待ってる」
「そ、そっか。そうだよね普通」
 宗輔の実父はもう亡くなっている。いつまで待っても帰ってはこない。
「それじゃあ、家の中で待とうか。こんなところで待ってたら風邪ひくしね」
 結太は車に戻って、宗輔の鞄を持ってきた。中に家の鍵が入っていることは知ってる。すいません入らせて頂きます、と心の中で断りを入れてから鍵をあけた。家に入るとまず、警察に見つかりましたと連絡を入れる。それから持ってきた子供服に着がえさせた。チビ宗輔はシャツとネクタイしか身に着けていなかった。下にはいていたものは歩いてくる途中で脱げてしまったのだろう。下着も靴下さえもなかった。そして、足の裏には擦り傷を負っていた。
「痛かっただろ」
 きれいに洗って、とりあえずラップを巻いた。
「お腹すいた?」
「うん」
 抱っこしてダイニングテーブルまで運んで、椅子に座らせた。広い台所に入って、何か食べ物はないかと探してみたが、宗輔は料理をしないのでカップラーメンくらいしか見つからなかった。仕方なくそれを作る。
「……おいしい?」
「まずい」
「そっかあ」
「……お母さんの、ほうがおいしい」
「だよね」



                   目次     前頁へ<  >次頁