呪いの人形をこわしたら義兄が赤ちゃんになってしまいました。頑張って子育てします。 12


 また目に涙をジワリと浮かべたので、結太は横に座って、色々と気を紛らわせるように話しかけた。
 そうしているうちに、あることがわかってきた。
 チビ宗輔は、前日までの変化の記憶をいっさい持っていなかった。昨日の夕刻、どんな風に変身して、夜の間、結太と何をしてすごしたのかを、まったく憶えていない。
 つまり、毎日、新しい宗輔がやってきているのだ。
 この幼い宗輔は、一体どこからくるのだろう。過去から飛んでくるのか、それとも大人の宗輔の心の中にある彼の幼い存在が具現化しているのか。もしも過去からくるのなら歴史が変わってしまうから、たぶん後者のほうなのだろう。
 毎日、結太は宗輔の成長をたどり、そして彼がどんな経験をして、何を感じてきていたのかを目の前で見せられている。小さな宗輔の細い髪をなでながら、こんな姿の彼に会えたことを嬉しく、そして愛おしく感じていた。
 その晩は、座敷に布団を敷いて、ふたりで一緒に眠った。パジャマ代わりに大人用のTシャツを着せられた少年宗輔は、ギュッと結太にしがみついて、胸に顔を埋めるようにしてきた。
「お兄ちゃん、明日もいる? また一緒に遊べる?」
 たずねてくる幼い声に、胸が一杯になる。
「うん。明日も、明後日も、また会えるんだよ」
「そっかぁ……」
 結太の言葉に、チビ宗輔は安心しながら目をとじたのだった。


◇◇◇


 翌朝、障子窓からさしこむ淡い朝日にとろとろと目を覚ました結太は、腕の中に大きな身体があることに気がついて、驚いた。
 大人に戻った宗輔が、子供のときそのままに結太に抱きついていたのだ。片手が結太の背中に回され、こしのある黒髪が顎に触れている。結太は寝起きの瞼をぱちぱちさせた。
「……宗輔さん?」
 見おろすと、宗輔の目はあいている。起きているのだ。
 結太が目覚めたことに気がつくと、宗輔は無言でのそりと身体を離し布団からでていった。
 何も言わずに、大きな背中だけを見せて座敷を後にする。
「俺とひっついてたのが嫌だったのかな」
 朝の挨拶もなくいってしまった宗輔に、結太はちょっと落ちこんだ。
 子供の宗輔は懐いてくれたけど、大人の彼は結太と一緒の布団に寝るのは嫌だったのかもしれない。今夜からチビ宗輔が眠ったら布団を別にしたほうがいいな、と考えながら結太も起きて布団を押し入れに片づけた。
「おはようございます。昨日は大変でしたね」
「ああ」
 宗輔は洗面所で顔を洗っていた。歯をみがき髭を剃っている。その横で、結太は昨日、何が起こったのかを話して聞かせた。
「それで、この家に泊まらせてもらいました」
「ああわかった」
 話は聞いているが、目はあわせてくれない。どうしてかな、と思いつつ結太も仕事があるので、急いで支度をした。家を出て、宗輔を車にのせて駅まで送る。その間も宗輔は窓の外だけを見て、憂いた表情をしていた。
「宗輔さん、どうしたんですか」
「何でもないよ」
 取りつく島もない、素っ気ない返事をされる。駅に着くと、宗輔は「いってくる」とだけ言って車をおりていった。
「どうしちゃったのかな……」
 不思議に思いつつ、自分も幼稚園に出勤した。
 その日から宗輔は、以前に戻ったように結太と打ち解けなくなってしまった。朝も会話がほとんどなくなり、さっさと出勤していってしまう。休日も仕事があるからと事務所にいく。まるで結太を避けているような様子に、こちらも訳がわからないまま気落ちした。せっかく仲良くなれてきたのに、一体どうして元に戻ってしまったのか。
 そして、同様に、子供の宗輔も毎日どんどん暗くなっていった。
 六歳から十三歳までの宗輔は、父親とふたり暮らしをしていた時期だ。家事は通いのお手伝いさんがしてくれていたそうだが、食事は高血圧の父親にあわせて味気ないものだったらしく、少年宗輔はいつも家政婦のご飯がおいしくないとこぼした。だから結太は心づくしの料理をふるまうのだが、味つけは母親似のせいか、時折彼は食べながら涙ぐんでしまうのだった。宗輔が多感な時期をこんなに寂しくすごしていたとは全く知らず、結太は心を痛めずにはいられなかった。
 宗輔が仕事ででかけてしまったある日曜日、結太は夜にやってくる少年宗輔のために、ケーキを焼き始めた。
 少年宗輔は甘いお菓子もあまり与えられていないようで、ケーキをだすとすごく喜ぶ。今日は彼の好きなフルーツロールケーキを作ることにして、スポンジを焼きながら果物を洗っていると、ダイニングの扉がひらく音がした。
「あれ? 宗輔さん? お帰りなさい。まだ昼間ですよ」
 宗輔が入口で、不思議そうな顔で鼻をクンクンさせている。
「忘れ物を取りに……。この匂いは何だ?」
「あ、ケーキ焼いてるんです」
「……ケーキ」
 宗輔は手にしていた鞄を床におくと、台所へとやってきた。
「チビが毎日食ってるデザートは、もしかしてお前が作ってるのか」
 ケーキが気になったのか、珍しく宗輔のほうから話しかけてくる。
「え? はい、そうですよ。チビ宗輔さん、甘いもの好きみたいで」
「そうだったのか」
 ちょうどスポンジが焼けたので、オーブンから取りだす。四角くて薄い生地は冷めたらフルーツと生クリームで包む予定だ。キッチンにふわりと卵と砂糖のいい香りが広がった。
「おい、それ、俺にも少し食わせろ」
「へ?」
 いつの間にか、宗輔が真横にきていた。焼きたての生地をジッと見ている。
「宗輔さん、甘いもの好きだったんですか」
 子供の宗輔が好きなら、大人の宗輔が好きであってもおかしくはない。しかし、今までそんなそぶりは見せたことがなかったから驚いた。
「焼きたてのケーキは食ったことがない」
「わかりました。じゃあ、ロールケーキは変更してトライフルにしますね」
 宗輔が食べたがったことが嬉しくて、結太は手早くカスタードクリームを作り、生地を小さな四角にカットしてフルーツや生クリームと共に皿にもりつけた。コーヒーも淹れて一緒にテーブルに持っていくと、宗輔はフォークを手にしてすぐにケーキを食べ始めた。
「……うまっ」
 手を口にあてて、感動的な声をあげる。
「事務所でもケーキをもらったときに食べるが、こんなんじゃないぞ。全然ちがう。何でだ」
「手作りで焼きたてだからだと思いますよ」
「卵の香りがすごくする。それにクリームも濃厚でミルク感が強い」
「動物性クリーム使ってるんで」
 宗輔はあっという間に一皿たいらげてしまった。空になった皿を持って台所にやってくる。もっと欲しかったようだ。
 結太はチビ宗輔のためにフルーツの飾り切りをしていた。
「これ終わったら、足しますね」
「ああ」
 宗輔はチマチマと作業をする結太の横にきて、兎型のリンゴや星型のキウイを眺めた。
「結太」
 集中して切りこみを入れていたら、隣で声がした。
「はい?」
 顔をあげると、妙に相手が近くにいて驚く。
「お前は、何で……」
 ポツリとこぼし、少し考えこむ。
 男らしい端整な顔は、今日もまだ少し憂いを含んでいるように思える。結太が言葉を待っていると、やがてまた口をひらいた。
「何でこんなに、俺に一生懸命に世話してくれるんだ」



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