呪いの人形をこわしたら義兄が赤ちゃんになってしまいました。頑張って子育てします。 14


「僕、すぐに病院にいかないと。父には近い親戚がいないから、宮本さんっていう父の友達の弁護士さんがきて、色んな手続きしてくれるんです」
 宗輔が焦れながら言う。
「そうか。でも宮本さんとは連絡を取れているから、任せておいて大丈夫だよ。お父さんのことも心配しなくていい。それより、疲れているみたいだから、今夜は俺の家でゆっくり休むといいよ」
 その言葉に、改めて結太を見あげてくる。
「……お兄さんの家に?」
「そう。俺、宗輔くんのお母さんの親戚だから」
「母さん?」
 母、と聞いて、ふいに宗輔の唇がわなわなと震えだした。
「……母さん、どこにいるんですか」
 怒りと悲しみでいっぱいの表情になる。
「父さんが……昨日の夜、風呂場で急に倒れて意識をなくしてから……僕、ひとりでどうしていいかわからなくて、……何度も母さんに電話したのにでてくれなくって……それで、すごく、不安で……もう、父さんは呼びかけても返事しないし……死んじゃったらどうしようって、怖くて、怖くて……」
 宗輔はボロボロと涙をこぼし始めた。
「そうだったのか」
 宗輔の説明に、結太は愕然とした。
 結太は、宗輔の実父が亡くなったときの状況はよく知らない。なぜなら、両親が説明をしてくれなかったからだ。きっと当時まだ子供だった結太を刺激しないようにという配慮からだったのだろう。しかし結局、その後も詳しくしらされる機会はないまま両親は他界してしまった。
「母さんはもう、僕と父さんのことなんか、忘れちゃったんだ」
「そんなことはないよ。けど、……事情があって」
「事情って、何?」
 しゃくりあげる宗輔に、結太は言葉につまった。
 母親と連絡が取れなかったのは、彼女が、結太と結太の父の三人で、海外に新婚旅行にいっていたからだ。母親は携帯電話を持っていただろうが、結太の憶えている限り、現地にそんな電話がかかってきた様子はなかった。多分、家の固定電話にだけかけられたのだろう。
「それは、今は言えないけど、お母さんは、用事で外国にいっているんだ」
 苦しまぎれの言い訳だった。それ以外にうまい理由は思いつかない。自分の思考の貧弱さに落ちこんだが、少年宗輔は「そうなんだ」と何となくではあるが納得してくれた。
「さあ、家に帰っても誰もいないだろうから、今夜は俺の家に泊まるといいよ」
 できるだけ優しく言い聞かせる。宗輔は、ぼんやりと結太を見あげ、心細そうにコクリと頷いた。
 仕事が終わった後、宗輔を車にのせて家へ帰る。そして心づくしの夕食をふるまい、父親が死んだ経緯を話してもらった。
 宗輔の実父は心臓発作で亡くなっていた。風呂に入りにいった父がいつまでたってもでてこないので、様子を見にいくと、脱衣所で裸で倒れていたという。そのときの彼の驚きは幾ばくのものだったろう。救急車を呼ばなければと思いつつも、そんなことはしたことがなかったために、混乱してただ母親に救いを求めて電話をした。けれど、何度かけてもつながらない。不安に押しつぶされそうになりながら、仕方なく救急に連絡をした。救急車がきたときには手遅れだったらしい。宗輔は病院で、たったひとりで実父を看取った。そして一晩、遺体と共に病院ですごしたのだった。
 宗輔のそのときの孤独と心細さは、どれほどのものだったか。たった十三歳の少年が、頼る者もなく父親を失い、泣くしかなかった状況とは。
 話している間中、涙は枯れることなく、何度も宗輔少年の頬を濡らした。
 結太は彼を温かい風呂に入れて、自室のベッドの下に布団を敷き、一緒の部屋で寝ることを提案した。宗輔を結太のベッドに寝かせて、自分は布団に入り電気を消す。けれど、ぐすぐすと鼻を鳴らす宗輔はなかなか寝つけないらしく、そのうちに「……お兄さん」と話しかけてきた。
「うん、何だい?」
「……そっち、いっても、いい?」
「うん、いいよ。おいで」
 布団を持ちあげると、ごそごそと音がして宗輔がやってくる。中に入るとギュッと結太にしがみついてきた。
「お兄さんは、母さんの親戚の、人なんだよね」
「そうだよ」
「だからかな。何か、安心する」
「そっか」
 結太は宗輔の頭をなでてやった。
「お兄さん、明日も、一緒にいてくれる? 僕、ひとりになるのは嫌だよ」
 グスッと鼻をすする音がする。
「うん、いるよ。ちゃんといるから」
 安心させるように、背中もさすってやる。そうしていたらやっと、宗輔も落ち着いてきたらしく、しばらくして穏やかな寝息が聞こえてきた。
 十四年前、結太と両親が新婚旅行を楽しんでいる間、宗輔はひとりでこうやってすごしていたのだ。知らなかったとはいえ、今更ながら彼に対して申し訳なく思ってしまう。
 結太は宗輔が眠った後も離れがたくて、いつまでもまだ幼い身体を抱きしめ続けた。


◇◇◇


 翌朝起きたとき、布団に宗輔はいなかった。
 結太はひとりで起きあがり時間を確認した。午前六時四十分。日の出の時間はすぎている。宗輔は大人に戻っているはずだった。
 布団を畳んで部屋をでると、宗輔の荷物がおいてある部屋からゴソゴソと音が聞こえてきた。何だろうと思っていると、背広に着がえて通勤鞄とボストンバッグを抱えた宗輔が中からでてきた。
「あ、おはようございます」
 昨夜の少年宗輔のことがあったから、声が自然と労わるものになる。
「ああ」
 けれど宗輔は結太とは目をあわせずに、廊下を玄関へと向かった。
「もう出勤ですか。朝食は食べていかないんですか?」
 出張でも入ったのかと思い、後を追いかけて背中にたずねてみる。
「結太」
 後姿の宗輔が、玄関で立ちどまった。
「はい」
 振り返らずに、低い声で言う。
「今まで世話になった。今夜から、向こうの家ですごすことにする。だからもう、ガキの俺の面倒は見なくていい。残した荷物はそのうち取りにくる」
「えっ」
 宗輔は、何かに追い立てられるように、革靴に足を突っこんだ。
「な、何でですか。急にそんな。まだ無理ですよ。だってチビ宗輔さん、中一なんですから。ひとりじゃできないことが多いです。それに、寂しがりますよ、昨日だって――」
「結太」
 ぱしり、と結太の言葉を叩くようにさえぎる。
「もういいんだ。俺のことは。放っておいてくれ。あとはひとりで何とかする」
「……そんな」
 ちらと振り返った目は、子供時代の憂いを残しているかのように少し赤らんでいる。
 それで、――もしや、と気がついた。
「宗輔さん、もしかして……」
 結太は宗輔の肘を握りしめた。
「もしかして、昨日の記憶あるんですか。子供に戻った自分のこと、憶えてるんですか」
 そういえば、と心あたりに気がつく。この前ケーキを焼いたとき、宗輔は、少年宗輔が毎晩デザートにケーキを食べていることを知っていた。結太は大人の宗輔に、そのことを一度も喋ったことはなかったのに。 
「憶えてるんですね。何も憶えていない訳じゃなかったんですね」
 当初、宗輔は、前夜の自分に起こったことを何も憶えていないと言っていた。だから結太はそれを信じていたのだが、思えば、あれは赤ん坊だったからではなかろうか。段々と育っていくうちに、記憶が残っていることに気づき始めたのではないか。
 思い返せば、大人の宗輔の様子が変わっていったのも、少年宗輔が不幸になっていった頃からだった。
「結太」
 宗輔は結太から顔をそむけたまま言った。
「お前の言う通りだ。憶えている。全部、頭の中に残っているんだ。だから嫌なんだ。子供の俺は勝手に言いたいことをお前に言う。このままいたら、俺はお前に見られたくないものまで見られてしまうし、知られたくない弱い自分もすべてお前にさらけだしてしまう。それが、俺は耐えられん」
「……」
「もう、これ以上、俺の中に入ってきて、かき乱さないで欲しい」
「……宗輔さん」
「そういう訳だ。だからもうここへはこない。悪かったな。手間をかけさせて。俺にかかった費用はそのうち口座にでも振りこむから」
「そんな」
 宗輔は荷物を抱え直すと、弱い自分を恥じるかのように唇を引き結び、ドアをあけてでていってしまった。
 バタン、と音がして無情にも扉はしまる。
 残された結太は、唖然としながら、立ち尽くすしかなかった。



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