呪いの人形をこわしたら義兄が赤ちゃんになってしまいました。頑張って子育てします。 15


◇◇◇


 その日は一日中、落ち着かない思いで仕事をした。
 午後六時に降園し、家にかえって夕食の準備をしながらも、宗輔のことが気にかかってしょうがなかった。
「ちゃんとご飯食べたのかな……」
 いきなり十四年後の世界に現れて、少年宗輔は戸惑ったりしていないだろうか。彼は多分、実家にいるのだろうけれど、助けてくれる人が誰かそばにいるのだろうか。
「宗輔さんの性格からいって、簡単に誰かに頼るとは思えないけど。でも事務所の人とかにお願いしてるかもしれないしな。だったらいいんだけど」
 抜かりなく対策を考えている気もするが、やはり心配ではある。
「ちょっとだけ、様子を見にいってみようかな」
 それで大丈夫そうなら、帰ってこればいいのだし。
 結太は作っていた夕食を密封容器につめた。これを持っていけば、少年宗輔に会う口実にもなる。荷物を車にのせて、宗輔の実家に向かう。時刻は午後八時をすぎていた。
 宗輔の家に着くと、大きな屋敷には明かりはひとつもついていなかった。
「あれ? 留守なのかな」
 どこか、違う場所で泊まることにでもしたのだろうか。そういえば一度もきいたことはなかったが、宗輔には恋人とかはいるのだろうか。
 恋人の可能性を考えると、胸がギュッと痛んだ。
「そうか、恋人のところかもな。恋人に事情を打ち明けて、彼を預けたのかも。だったら俺んちよりも寛げるか」
 しょげながらも、いちおう玄関扉の横についていたインターホンを押してみる。かるい鈴の音が、家の奥のほうで小さく聞こえた。と思ったら、ガタンという音が響いてきた。
「――助けてっ」
「え?」
「誰か、いるのっ? 助けて、お願い、助けてくださいっ」
 家の中から声がする。あれは、男の子の――少年宗輔の声だ。
「ええっ?」
 古めかしい引き戸の玄関扉には、ガラスがはまっている。その向こう側に、橙色の明かりがうっすらと見えた。
「宗輔さん? いるの? え? どうしてっ」
 結太は家の中に声をかけた。同時に戸を横に引いたが、鍵がかかっているのか動かない。ガタガタと揺らしながら内側に呼びかけた。
「宗輔さん、どうしたの? いるの? 玄関、あけられる?」
「助けてよっ、動けないんだよおっ」
 泣いているらしい。悲痛な叫びに、結太は混乱した。
「ちょ、ちょっと待って、待ってて」
 家の周囲をぐるりと回って、入れる場所はないかと探してみる。けれど縁側は雨戸がしまり、他の窓もすべて施錠されていて、入れそうな場所はどこにもなかった。
「宗輔さん、このままじゃ入れないから、鍵屋さん呼ぶけど、いい?」
「呼んで、呼んでください、お願いっ」
 涙声で訴えられて、結太は鍵屋に電話をかけてすぐにきてもらった。
 さほど待たずにやってきた鍵屋は、結太が家族であることを確認した後で、年代物の玄関の鍵を開錠した。
「宗輔さんっ」
 家に入り、廊下の電灯を点ける。すると北側の奥から「こっちですっ」という声が聞こえてきた。急いでそちらに走っていくと、何と宗輔は、トイレの中にしゃがみこんでいた。
「え……」
 見ると、手首が、ドアの内側のノブと手錠でつながれている。
「こ、これは」
 足元には菓子パンの袋と紙パックのジュースがひとつずつおかれていた。そして一枚の手紙。『朝まで我慢すること。そうすれば元に戻れる』とある。
「そんな、ひどい」
 自分自身に対することとはいえ、あまりにも無造作で冷たい扱いに結太はショックを受けた。
「待って、今、解放してあげるから」
 玄関先に控えていた鍵屋を呼んで、手錠も外してもらう。不審そうな様子をみせる鍵屋には、「大丈夫ですから」と説明し、料金を払って引き取ってもらった。
「怖かったでしょう。よく我慢したね」
 助けがきた安心感からか嗚咽をもらす宗輔を抱きしめて居間へといく。ソファに腰かけさせると、少年宗輔はやっと少し落ち着いた。
「もう大丈夫だから、安心して」
「お兄さんは、誰ですか」
 泣きながらきいてくる。いつもの質問だった。
「俺は、宗輔くんのお母さんの親戚です」
「……母さん」
 宗輔が、結太の腕の中でわなないた。
「母さんが、怒って、俺をつないだんだ。眠っている間に。もうずっと、ここにひとりでいろってことなんだ……」
「ええ? お母さんはそんなことしないよ」
「だって、さっき、すごく怒ってたから」
「怒った?」
 宗輔が鼻をぐすぐす言わせたので、結太は近くにあったティッシュケースを手渡した。宗輔がそれで鼻をかんで涙をぬぐう。
「……俺が、結太って子に、死ね、って言ったから」
「ああ」
 そうか。では、今日の宗輔は、結太の家にきた直後の彼なのだ。
「大丈夫。お母さんは怒ってなんかいないよ。それよりも、宗輔くんのこと心配してたよ」
 もうこの世にはいない人だったけれど、もしいたとしたら、結太の言葉と同じ気持ちでいてくれただろう。
「……じゃあ、何で手錠でつながれてたの」
「それは」
 答えにくい質問だった。宗輔も段々と成長してきている。もう子供に対する誤魔化しの説明は通用しなくなる時期だろう。
「難しいけれど、ちゃんとした理由があるんだよ」
「理由?」
「うん。それよりも、お腹すいてない?」
「……すいてる」
 結太は宗輔の背中をなでながら優しく言った。
「じゃあ、ご飯食べようか。俺、夕食持ってきたんだ。食べながら話をしようよ」
 そう言うと、宗輔は赤く腫れた目をまたたかせて頷いた。
 夕食を皿にもりつけて、ダイニングテーブルにならべる。宗輔は空腹だったらしく料理を次々と口に運んだ。
「お母さんが、これをお兄さんに持たせてくれたの?」
 どうやら母親の作った料理だと勘違いしているらしい。対面に腰かけた結太は訂正しなかった。
「うん、そうだよ。今日はここに俺と一緒に泊まって欲しいって」
「……ふうん。それで反省しろってことなのかな」
 結太は落ちこみ気味の少年宗輔をはげました。
「明日にはきっと、うまくいくよ。お母さんも、もう怒ってなかったから」
 食後のお茶を保温ポットからカップに注いで、宗輔の前におく。宗輔はカップを手にして、それをぼんやりと見おろした。
「お兄さんは、あの家のこと、知ってるの? 俺のことも」
「うん。大体はね。親戚だからね」
「そっか」
 消沈した表情で、ポツリと呟く。
「あんなこと、言うつもりはなかったんだ。あの子には」
 目を伏せて、後悔するように言った。
「本当は、仲良くしなきゃ、ってわかってるんだ。これからあの家にお世話になるんだし。けれど、あの子……結太が、俺に、すごく明るい笑顔で、話しかけてきたから……」
 宗輔はそこで、また鼻をグスリと鳴らした。



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