呪いの人形をこわしたら義兄が赤ちゃんになってしまいました。頑張って子育てします。 16
「結太は可愛くて素直だった。俺みたいにひねくれてなかった。だから、俺、それが羨ましくて……」
袖口で目をぬぐう。
「結太がいたから、母さんは俺を捨てたんだって、新しい家族を作って、幸せになれたから、俺はもういらないんだって、思えて。だから、すごく憎らしくなってあんなこと」
「そっか」
「仕方ないよな。母さんだってあんな子だったら自分の子供にしたいと思っちゃうよ。俺なんかよりずっといい子だったし」
「宗輔さん」
知らなかった。少年の宗輔が、結太の家にきたときに、そんなことを思っていたなんて。
結太は、宗輔と初めて会ったときのことを思い返した。あのとき、不貞腐れていた宗輔は、九歳の結太にはとても大きくて怖そうに見えたものだ。
けれど今、目の前にいる少年は自分より五センチは背が低く、頼りなげで幼く感じられる。
「宗輔さんのお母さんは、いつも宗輔さんのことを大事にしているよ。だって、大切な息子だから」
亡くなった義母は、結太のことも可愛がってくれたが、同じほどに宗輔のことも愛していた。それは、いつもそばで見ていたから知っている。
「それに結太があんなに嬉しがってたのは、きてくれたのが宗輔さんだったからなんだ。すごくカッコよくて大人っぽいお兄さんが現れたから舞いあがっちゃって」
「……え」
宗輔が顔をあげて、ポカンとした表情をした。
「結太は、……初めて宗輔さんを見たときから、好きになってたんだと思うよ」
そう教えると、宗輔は大きな目を瞬かせて、結太を見返してきた。
「そうなのかな」
「うん。そうなんだよ」
宗輔は思いがけないことを聞いたというように、瞳をさまよわせた。それから、自分の内側を探るようにして、少しの間黙りこんだ。
「……俺も、あの子のこと、本当は好きだと思う。仲良くしたい」
真摯な言葉を、秘密を打ち明けるようにして言う。薄い唇をキュッと噛みしめて、ひどく男っぽい表情をした。
「結太、可愛かったし」
言われて、大人のこちらが顔を赤らめてしまった。
「そ、そか。それは、きっと、結太も喜ぶと思う」
ちょっと焦ってしまった結太を、宗輔は不思議そうに眺めてきた。それからふと思いついたように言った。
「お兄さん、結太に似てるね」
「え? そ、そう? よくある顔なのかな、はは」
結太は曖昧な返事をして慌てて立ちあがり、皿や容器を片づけた。
「ご飯食べたなら、お風呂わかそうか。今夜は、俺も泊まっていくから」
「本当? 嬉しい」
宗輔は素直に頷いて、一緒に台所までついてくると洗い物を手伝ってくれた。
その後、風呂の準備をして宗輔に入るように言うと、少年宗輔は結太の横にきて言った。
「お兄さんも、一緒に入って」
「え?」
「ひとりで入るの、怖い」
言われて気づく。そうだ、宗輔の実父は脱衣所で倒れていたのだった。
「ああ、そっか。うん、わかった。いいよ、一緒に入ろう」
そうして、ふたりで脱衣所で裸になって風呂に入った。少年宗輔の髪を洗って、背中も流してやる。宗輔はじっとされるがままにしていた。広めの湯船に一緒につかると、少し恥ずかしそうにする。それでもくっついていることを嫌がらなかった。
「お兄さんは、明日はいなくなっちゃうの?」
お湯で温まり、頬を赤くした宗輔がきいてくる。
「明日は……どうかなあ。また宗輔さんに会いにきたいんだけど」
大人の宗輔が許してくれるかどうか。
「きてよ。俺、また会いたい。それで、たくさん話したい」
「うん。俺も宗輔さんと色々な話をしたいなあ」
それは少年宗輔とでもあったし、大人の彼とも、そうしたい思いで一杯だった。
「お兄さんって、優しいね」
大人の結太に、憧憬にも似た眼差しを向けてくる。泣いたせいか、それとも風呂場の湿気のせいか、宗輔の瞳は潤んでいた。大人の彼の面差しを残した目許にドキドキしてしまう。結太はそれを誤魔化すように、湯で乱暴に顔を洗った。
風呂をでたら、寝る準備をして、座敷に布団を二組敷く。昔ながらの紐つき蛍光灯のオレンジ色の豆電球だけ灯しておいて、布団に入った。
うっすらと明るい中で、宗輔が小さな声で話しかけてきた。
「ね、そっちに、少しだけ、いってもいい?」
「うん、いいよ」
昨日と同じことを頼まれる。きっとまだ、精神的には落ち着いていないのだろう。上がけをめくると、そろそろとやってくる。結太の隣で横向きになり、ぴったりと張りついてきた。結太の腕に自分の腕を巻きつける。
初めて会った相手にこんなにも気を許して懐いてくる子供は幼稚園でもときどきいる。そういった子供は大抵、愛情に飢えていることが多いのだった。
「ひとりでずっと頑張ってきたんだね」
えらいなあと尊敬する気持ちで囁く。すると宗輔はギュッと腕に力をこめた。
やがて一日動き回った疲れからか、とろりとした眠気がやってきた。結太の瞼が重くおりたころ、少年宗輔が小さく呟いた。
「お兄さんって、ヘンな人だね。初めて会った俺に、どうしてこんなに優しくしてくれるの」
結太に話しかけているというよりは、独り言のようだった。
「それは、……宗輔さんのことが、好きだからだよ」
答える結太は半分夢の中だ。
「俺のこと、好きなの?」
「うん、大好き。出会ったときから、宗輔さんのことが、ずっと好きでした。この前、たずねられた後にやっと気づいたんです……」
眠気に包まれて思考も曖昧になっていた。だから、自分が何を言っているのか、よくわかっていなかった。ほんの少し、瞼を持ちあげて、眠りに落ちる直前の風景を見る。
目の前の少年は、訳がわからない様子で、けれど、顔を真っ赤にしていた。
◇◇◇
早朝のカラスがどこかで元気に鳴いている。座敷の東側についている障子窓が、うっすらと白み始めている。
結太は、おぼろげな眼で周囲を見渡した。
「……あれ」
いつもと違う部屋の景色に、そうだ、宗輔の実家にまた泊ったのだと思いだす。横では大人に戻った宗輔が眠っていた。まだ目覚めていないらしく、規則的な呼吸音だけが聞こえてきている。
「ぐっすり寝てる……」
結太はそっと身じろいで、宗輔と向きあった。宗輔の手は相変わらず結太の腕に絡められている。その寝顔をじっと眺めた。
真っ直ぐな鼻筋に、大きめで薄い唇。男らしい顎のラインに、長い睫。寝乱れた短い髪を観察しつつ本当にこの人のことが好きなんだなあと、自分の気持ちを噛みしめた。
やがて睫がピクリと揺れて、瞼がゆっくりと持ちあがった。
ぼんやりした瞳が焦点を結びつつ結太の顔をとらえる。かと思ったら、ふいに顔を伏せて結太の肩に額を押しつけるようにしてきた。
「おはようございます、宗輔さん」
結太が挨拶すると、宗輔は少しの間黙ったままでいた。
それから「……ああ」と気だるげに返事をした。
寝起きの宗輔は、まだ起きる気になれないのか、身体を動かす気配はない。
「あの、昨日の夜のこと、憶えてます?」
また少し沈黙。それから俯いたままで答えてきた。
「ああ」
結太は顎に宗輔の髪が触れるのを感じながら話しかけた。
「すいません、様子を見にきたら、放っておけなくなって、それで助けてあげました」
「うん」
わかってると言いたげに、短く返してくる。
「じゃあ、起きますから」
結太は宗輔から離れて起きあがろうとした。
しかし、抜こうとした腕を、再びギュッと握られてしまう。
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