呪いの人形をこわしたら義兄が赤ちゃんになってしまいました。頑張って子育てします。 20
『魔術封印後の道具は、術のために呼ばれた精霊がやどる神聖な場となる。それが破壊されたとなると、とき放たれた精霊は目的を失い、願いの対象者にパワーをはね返してしまうと言われている。つまり、対象者を死に至らしめてしまう、ということだ。くわしい取り扱いは吉原先生にメールしたのだが、……そうか、結太くんは見ていないのか』
「え?」
結太は目を見ひらいた。
「ということは、宗輔さんが死ぬんですか?」
『いや、宗輔という人は煙を吸ったのだろう。たぶん今、精霊はコントロールを失った状態で彼の中にいるんだ。浄化が彼に作用したのもそのせいだろう。そして死に至るのは、願かけをした結太くん、きみのほうだ。呪い返しは結願の瞬間に、願いを叶えることができない精霊の霊力が、負の力に変貌して対象者に襲いかかる』
「そんな」
結太は一瞬だけ、死ぬのが宗輔ではないことにホッとした。しかし、ことは重大である。
「本当に、死んでしまうのですか」
『たかが呪術、とかるく見てはいけない。現に、浄化の効果がでているのだろう。だったら、結太くんに災いが振りかからないとは言えない』
「……では、どうしたら」
『待ちたまえ、解呪の方法を記した資料が、確かどこかにあったはず……、ちょっと、そのまま切らないでいてくれ』
結太は受話器を握りしめたまま、その場に立ち尽くした。
本当に、自分が死んでしまうのだろうか。
いきなりわいた災難に、結太は実感がともなわず困惑するしかなかった。今朝から体調が悪かったのもそのせいなのか。
そのとき、壁時計が九時をしらせるオルゴール音を軽快に鳴らした。
聞きなれたクラッシックの音楽が、短い時間鳴り響く。
結太は時計を振り返った。
瞬間、手足から力が抜けていく。まるで血がスウッと床に吸われていったかのように、全身から生気が消えていった。
「……え。なに?」
人形のように身体が固まり、カクリとその場にくずおれる。
「……あれ? え? ……嘘?」
手足が動かない。瞬きさえもできなくなった。一体どうしたことかと瞳だけ動かすと、ちょうどチェストにおいてあった木像と目があった。
それはいつもは民芸品然として台に鎮座しているのに、今は別物のように雰囲気を変えていた。黒い躯幹から、禍々しいオーラのようなものが立ちのぼっているように感じられる。
結太は目を見ひらいた。急に、怖気のようなものが襲ってくる。
「え……ホントに? そんな……」
木像を壊してしまったから、自分に霊力が跳ね返ってきた?
『結太くん? 結太くん、どうした?』
ぶらりと垂れさがった受話器から大泉の声が聞こえてくる。けれど返事をすることができない。
どうしていいかわからず怯えていたら、しばらくしてインターホンの音が響いた。宗輔だ。だがインターホンにでようにも手足に力が入らない。
音は何度か鳴ったのち、玄関ドアのあく音に代わった。
「結太。帰ったぞ」
宗輔の声がする。
「いないのか? 祝いに赤ワインを買ってきた。一緒に……――おい、どうした?」
リビングに入ってきた宗輔が、倒れている結太を発見して驚く。荷物を床に落とすと駆けよってきた。
「結太、何があった?」
身体を震わせた結太を抱きあげる。しかし、結太は口も動かせなくなっていた。全身が金縛りのような奇怪な感覚に支配されている。
『――結太くん? 結太くん、まさか、呪いの跳ね返しがきたか? 大丈夫かね?』
受話器から声がもれていた。それに気づいた宗輔が、手に取って電話口の向こうの相手に話しかける。
「もしもし? ええ。……ええ、はい、私が、結太の兄の宗輔です。あなたが、木像を送ってくださった先生なのですか。結太は今、真っ青な顔で震えています。一体、これは何なんですか」
宗輔の問いに、大泉が答えている様子が伝わってきた。
「呪い返しって、そんな。結太はどうなるんですか。術を解く方法はあるんですか」
宗輔の顔も蒼白になる。愕然とした宗輔に、大泉が何事か説明した。
ふたりが話しこんでいる間にも、不可解な怖気がどんどん強くなっていく。まるで高熱におかされたかのように、全身がわななきだした。
「数時間で死に至るって……。そんなまさか、……こんな呪いで、急に命を落とすなんて。ありえないでしょう」
宗輔の声が震える。いきなり襲ってきた厄災に、結太も自分がどうなってしまったのか、理解が追いつかなかった。本当に、このまま死んでしまうのか。
「結太は大切な弟なんです。呪いなんかで失いたくはない。助けてください。どうかお願いします」
動転した宗輔が、受話器に向かって叫ぶ。それに大泉が何かを伝えた。
宗輔は黙ってその話を聞いていた。やがて抑えた声で呟く。
「……わかりました。結太を助けるんだったら何でもします。――はい、可能性があるんだったら準備して、私がやります」
宗輔は大泉との会話をいったんとめると、結太を床に横たわらせた。
「結太、いいか。お前の身体は今、木像を傷つけられて結呪ができなくなった精霊によって、負の霊力の攻撃を受けているらしい。それをやめさせるためには、解呪の儀式が必要なんだと。だから、儀式を俺と大泉先生で試してみる。効果があるかどうかわからないが、お前を救うために、やってみるからな」
結太は朦朧とした意識の中で、か弱く頷いた。
宗輔は固定電話を結太の頭の横に引っ張ってくると、ボタンを操作して、スピーカーモードに切りかえた。
「待ってろ、すぐに助けてやる」
汗を滲ませ始めた結太の額に、手をおいて安心させるようにかるくなでると、立ちあがって忙しく部屋の中をいったりきたりし始めた。木像や真っ白なタオルに水、ペティナイフなどを持ってきて結太の横に並べる。
「蝋燭はないです」
電話に向かって呼びかける。
『構わん。部屋の電灯を消して、暗くしなさい。すぐに始めよう』
「はい」
宗輔は部屋を暗くすると、結太と電話の前に緊張した面持ちで正座をした。蝋燭の代わりにスマホの明かりを灯す。部屋がおぼろに照らしだされた。
『結太くん、いいかね。今から術のかけ直しを行う。本来ならば、呪術師の元へいって、修復の呪文と新たな生贄を捧げなければならないがそんな時間はないから、私が祈祷を代行する。まず、精霊を吸ってしまった宗輔くんから精霊を取りだし、笏に戻さねばならない。その上で願かけをし直す。笏はそれで、再び願いを叶えにかかるはずだ』
答えられない結太の代わりに、宗輔が「わかりました」と言う。
『願かけのやり直しを忘れないように。そうしないと発動した霊力がさまよって他で悪さをしかねない』
「はい」
『では、始めよう』
大泉は、何やら怪しげな呪文を、電話の向こうで唱え始めた。それは地の底から響いてくるような不気味な声音だった。結太の身体はその不思議な低音に、反応するように痙攣し始めた。皮膚の内側で何かが這い回る感じがする。おぞましい感覚と、どんどん熱を持つ身体に気持ち悪くて泣きそうになった。けれど、歯を喰いしばりそれに耐えた。
数分間、大泉は呪文を唱えると、おもむろに宗輔に言った。
『新鮮な血を。用意できるかね?』
「できます」
宗輔が迷いなく答える。そして、おいてあったペティナイフを取りあげると、いきなり自分の腕を切りつけた。
「――」
結太は目を瞠った。声を出そうにも、乾いた喘ぎしかでなかったが、宗輔のやったことに驚いて心臓がとまりそうになった。
「大丈夫だ。これくらい。大したことない」
宗輔が木像の上に自分の血を滴らせる。ぼたりぼたりと血がたれて、黒い像がさらにどす黒くなった。宗輔は顔を木像に近づけると、先端についた鳥の骸骨に口をつけた。薄暗い部屋で、スマホの光に照らされた宗輔が、禍々しい像と口づける。すると、その口から黄緑の煙がすうっと立ち昇り、像に吸いこまれていった。
同時に、結太の身体がフッと楽になる。今まで自分にまとわりついていた邪気が抜けて、像に吸いこまれていくような気がした。
「……あ」
痙攣が治まり、生気が手足に戻ってくる。
「……そうすけ、さ」
結太が、声を振り絞って呼んだ。
「結太」
ほんの少しだけ、動くようになった手を持ちあげると、宗輔が結太を抱きあげてきた。
「どうだ? どうなった?」
「何か……身体から、抜けてった、みた、い」
「抜けたか」
宗輔が結太を抱きしめる。
「そうか、よかった。……術がきいたんだな。よかった、……よかった。どうなることかと心配したぞ……」
宗輔の声は、安堵に掠れた。
『結太くん、大丈夫かね? どうなった』
大泉がきいてくる。
「大丈夫です。先生の施術は無事に成功したようです」
宗輔が言うと、電話の向こうで大泉も、大きく安堵のため息をついた。
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