夜明けを待つベリル 05


 困った、というように眉間の皺を深くする。
「……いや。悪いけど、俺、メシはいつもひとりで食うんで」
 それが断りの台詞なのだと、聞いてから理解するまでに時間がかかった。誰かを食事に誘って、こんなふうに断られたことなどなかったからだ。
 遙士は、二、三度またたきして、けれどひとりで食事などして楽しいものかという自分勝手な思考に押されて、さらに誘いをかけてしまった。遠慮したのかも、とも思えた。
「あ、でも、この先にある店、本当にオススメなんですよ。俺もいつもひとりで食ってて寂しいんで、よかったら付き合ってもらえないかなあ、って」
 ごり押ししている自覚はあったが、ここで引いたらもうふたりきりで食べになどいけない気がした。
 せっかく運よく会えたのだ。この機会を逃したくない。親睦をふかめて、それから色々な話もしたかった。
 充家はどうしようかと、戸惑う仕草をしてみせた。腰に手をあてて、迷いながら小さくため息をつく。その姿に、本当に、遙士の誘いを迷惑に思っているのだと見ていてわかってきた。
 ――もしかして、俺、結構ウザイことをしてる?
 顔にこそ出さないが、相手は自分のことが好きではないのかもしれない。そんな考えに、ふいに襲われた。今までは気づかなかったが、充家のような寡黙な男からしてみたら、こちらは軽くてうるさくて、できれば関わりたくはない人種なのかもしれない。
「……えっと」
 笑顔がこわばって、自分のしていることが恥ずかしくなって、急に背中に汗が滲んできた。
「ご、ごめん、つい、そっちの都合も考えずに」
 ハンドルの上においた手を、意味もなく閉じたり広げたりする。嫌われてるのかな、と思えばいたたまれなくなって、早くこの場から消え去りたくなった。
「俺、よく自分勝手で強引なところあるって、人に言われるから。気をつけなくっちゃって思ってるんだけど、つい――。会えて嬉しかったもんだから」
 よくわからない言いわけを口にして、「ホントごめん」ともう一度謝って、サイドブレーキを引き下げた。
「じゃあ、また、用事があったら連絡しますから」
 早口で告げて、それでも笑顔だけは絶やさずにアクセルを踏もうとしたら、その瞬間、窓枠に音をたてて手がおかれた。
 えっ? と反射的にブレーキを踏む。あけたままだった窓を掴むようにして充家の大きな手のひらが車を引きとめていた。それに目を瞠る。
 上体をかがめた相手が、こちらをのぞき込んできていた。
「行くよ」
「へ?」
「食事。一緒に」
「……」
 いいの? というように相手を見上げる。うなずく男の顔は暗がりでどんな表情なのかいまいちよくわからない。けれど、充家の顔を間近で感じたら、ぶわっと嬉しさがこみ上げてきた。
 やっぱり自分は、この男に魅かれはじめてる。
 さっきまでの落ち込んだ気分が一気に吹き飛んで、上気してうわずった声がでた。
「え、えと、じゃあ、こっち乗って」
 急に緊張しはじめて、しどろもどろになりながら助手席の鍵をあけた。充家が乗り込んできて、小さな車が少し沈む。
 舞い上がって事故など起こさぬよう、慎重に車を発進させた。横でシートベルトをはめる気配に、好きな相手をゲットできたような、さてこれからどうしようというような期待で胸が躍る。
 前を確認しながら、さりげなく会話をはじめてみる。彼について知りたいことが多すぎた。
「充家さんさ、いつもひとりで食事してんの?」
 ハンドルを握り会話しながらも、どの店に連れていこうかと頭を悩ませる。
「いや。週に二度ほどは、坂井さんの奥さんに誘われるから、そのときは坂井さん家で食べてる」
「――へえ。坂井さんちって、近いの?」
「工房の裏にあるよ。俺は、坂井さん家の離れを借りて下宿してる」
「そうなんだ。じゃあ、充家さんは坂井さんの親戚かなにか?」
「いや。違うけど。知り合いのつてでここを紹介してもらったから。離れは三年前に亡くなったお祖父さんが使ってたらしくって。空いてるからよかったらどうぞって言われて」
「じゃあ、出身は地元じゃないんだ?」
 質問が止まらない。店につくまでの時間つなぎの話題ではなくて、純粋に相手のことが知りたかった。
「実家は長崎」
「長崎? ……ずいぶん遠いな。けど、あっちにもガラス工房多いんじゃ。確か、長崎って、有名なガラスがあったよね」
「……ああ。長崎ガラスね。俺の家もガラス工房だったし」
 過去形で語られる実家の職業に、こちらに出てきたのには理由があるのかもしれないと推測する。家を継がずに、遠く離れた千葉まできて、それでもガラス職人を続けるのには、なにか訳があるのかもしれなかった。けれどそこにはあえて触れず、他の質問を振ってみる。
「充家さんってさ、歳いくつ?」
「え? 歳? 俺は、二十四」
「そうなんだ。俺も二十四だよ。なんだ、タメなんじゃん」
 信号で止まったついでに、にっと笑顔を向ける。充家はそれにちらりと視線をくれて、居心地わるそうにシートの中で身じろいだ。
 それに、いきなりのタメ口に引かれたのかと、自分の軽さを反省する。
「えっと……。お店、どこにしようか。充家さんはなにがいい? 中華? 和食?」
「俺はどこでもいいですよ」
 同い年とわかったのに敬語は取れない。取引先だからか、やっぱり距離をおかれているのか。
「じゃあ、俺のオススメの店でいい? さっき言ったとこ。そこ、安くてボリュームあって美味いから」
 こっちがひとりで盛り上がって、話を進めていく。
「いいですよ」
 けれど、決定的に嫌われて避けられているわけでもなさそうだった。とりあえず、車には乗ってくれたのだし。
 五分ほど通りを飛ばして、繁華街の手前にある店の駐車場に車を入れた。一軒家のその店は、欧風の少しお洒落な大衆食堂といった雰囲気で、遙士も友人たちとよく来ている。
 店は平日の夜だというのに、自分らと同じ年代の男女で混み合っていた。
「いらっしゃいませ」
 若い女性店員に案内されて、壁際の二人がけの席に通される。
「なに頼もうか。ここさ、地ビールがおいてあるんだよね。俺のオススメはこれ」
 メニューを手にして、充家のほうに向けて広げる。充家はもの珍しそうに店内を眺めていた。
「ここの店、はじめて?」
「来たことないな」
 すぐに伝票を手にした店員が戻ってくる。
「あ、えっと、この地ビール、中瓶で。グラスふたつ。――充家さんは? どれにする?」
 グラスをふたつにしたのは、充家にも味わってもらいたいからだった。充家はメニューを見ずに、「ウーロン茶」とだけ返した。
「飲まない?」
「飲めない。けど、そっちは飲んだりして車どうするんですか?」
「ここにおいてくよ。明日大学に行く途中で取りによるから。いつもそうしてるし」
 なるほどと頷いていると、店員はいったん飲み物を厨房に報告しに行った。戻ってきたところに料理を互いに注文する。
 飲み物が届くまでのあいだ、充家は落ち着きなくテーブルにおいた指を動かしていた。あたりを見まわし、瞳を伏せ、それから口元に拳を持っていく。しまいには足を片方テーブルの下から外にだして、まるで一刻も早くここを立ち去りたいと言うように、かかとを鳴らしはじめた。
 この店の雰囲気が気に入らなかったのかな、と遙士は心配した。この店には大学生も多い。
 もっと、くだけた居酒屋にでもするべきだったか。
「――この店、以前付き合っていた彼女に教えてもらったんだ。だから、女の子の客も多いよね。ちょっと男二人だと浮くかな」
 いい訳めいた言葉を口にする。
「彼女?」
「もう別れたんだけど」
「へえ」
 充家には彼女はいるのかな、とそこから話の糸口を持っていって、相手のプライベートを探ろうとしたら、そこにビールとグラス、ウーロン茶が運ばれてきた。残念、と心の中で呟いて、小さめのグラスを目の前の相手に差しだした。
「よかったら、すこし、飲んでみない? 普通のビールと違うし」
 瓶ビールを傾けて、グラスを手にするように促した。
「悪いけど、俺、飲めないから」
 充家はグラスに手を伸ばさない。テーブルの上に両肘ついて囲い込むように手を組んだまま、そっけなく断ってきた。
「飲めない? 一口も?」
「ああ」
 それで、ハッとあの夜のことを思い出した。
 ――確か、あの時、充家は吐血していたはずだった。
「もしかして、ドクターストップかなにか?」
「まあ、そんなところ」
 あの晩のことはお互い知らないことになっている。だから遙士は何気ないふりでそれにうなずいた。
「……そっか。そりゃ悪かったな」
 料理も運ばれてきたが、充家はそれだけを俯いてもくもくと平らげた。会話もほとんどなく、こちらに顔も上げようとしない。遙士がビールをひとりで空けて、まだ料理を半分くらい食べているところで充家のほうは食事を終えてしまった。
 最後まで会話が盛り上がることもなく、互いの食事を終えたら早々に席を立つ相手に続く。一緒に過ごす時間が名残おしかったが、充家のほうはこの後に予定でも控えているかのようにそわそわと帰りたがる様子をずっと見せていた。
 会計を済ませながら、やっぱり迷惑だったのかな、と遙士は落胆した。ふたりで飲んで食事をして、色々な話をしたかったのに、充家にはその気は全くなかったらしい。なんだか自分だけが空回りしているような気がして、悪いことをしてしまったという気持ちにさせられた。
 遙士はいままで友人関係を築くのに苦労をしたことがない。内気な相手には攻めの社交性で手を引いて明るいところに連れだして、ムードメーカー的な役割を担いながら新しい友達を作ってきていた。
 取っつきやすいと言われる外見で、それなりに人には好かれている。どこにいっても声をかけられ歓迎される。だから、充家のこの態度は、遙士にしてみれば結構ショックだった。
「……じゃあ、また、仕事で。これからもよろしく」
 店の前で挨拶して別れる。帰路は反対方向だったから、もう一緒に歩く理由もない。
「ああ。それじゃあ」
 相手の瞳をのぞき見る。自分に対する感情は、拒否か嫌悪か、それとも無関心か。
 しかし充家の眼の中にはそのどれもなかった。けれど、困惑だけは見てとれる。こういう人間をどう扱っていいのかわからない、といった戸惑いだけは遙士にも感じられた。
 表面的には普通に付き合ってくれているが、きっとそれも遙士が仕事関係の人間だからなのだろう。
 ――俺らって、性格的に合わないのかな。
 遠ざかる後姿を見送りながら、遙士はうまくいかなかった充家との関係に、小さくため息をついた。



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