夜明けを待つベリル 11


 ◇◇◇


『あんたは信用できるから、仕事上でならうまく付き合えると思う』
 充家はそう言った。そうして、遙士のことをいい奴だとも。その言葉に偽りはないと信じたい。
 彼からは突き放されながらも、受け入れられている。そんな、なんとも奇妙な感覚だった。
 それから数日間は、教授の無理な提案にふたりで何度も連絡しあい、遙士も工房に出かけていっては装置について話し合った。
 充家はいつも丁寧に対応し、こちらの急な申し出にもできる限りの技術でもって応えてくれた。遙士が頭をつかって妥協案を探し、充家が自分の技量を駆使してそれを形に変えようとする。
 ふたりで協力し合い、迷路のようなガラス管を試行錯誤して、なんとか教授にOKの返事をもらったときには、思わず握り拳をあげそうになった。
 急いで充家に連絡すれば、電話口で相手も満足そうに答えてきた。
「ありがとう、充家」
 そう伝えれば、また胸の奥から感じてはいけない感情がわいてくる。
『よかったよ。無事にできあがって』
 いつになく柔らかな声音は、仕事がうまくいったからだろう。電話を終えてからも、遙士は胸の奥から泡立ってくる甘い感情に、暫くのあいだ圧されそうになった。
 この感情の持つ名前ももう、知っている。けれど、それを育てていくことはできない。
 もしかしたら、充家は遙士がこんな気持ちを自分に向けていることに気づいているのかもしれない。
 男が、男に持つはずのない感情。それを嗅ぎとって、だから遙士から距離をおこうとしているのかもしれない。
 だとしたらこの前の拒絶も仕方のないことだったと諦めるしかないだろう。
 その週の終わり、遙士はいつものように休日の昼間を持てあまして、駅ちかくの商店街まで車で出かけた。
 本屋によったり、天然石のおいてある店に顔をだしたりしながら適当に買い物をすませて、午後の日差しが傾くころに有料駐車場に戻ろうとすると、目の前の建物から充家が出てきた。
 遙士の前を横切るように歩いてきたものだから、気づかぬ振りをする暇もなかった。
「……よお」
 足を止めてこちらを見た充家が「ああ」と、短い挨拶を返してくる。偶然の遭遇に、別段驚いた様子はなかった。
 充家の足は、遙士とおなじ進行方向に向いている。それで自然と、並んで歩くかたちとなった。
 以前は会えれば嬉しかったのだが、今は申し訳なさが先にたつ。
 自分といるのは気まずいだろう相手に、どう声をかけていいやらよくわからなかった。けれど会話もなく歩くのは、やはり気詰まりで窮屈に感じてしまう。遙士は、あたりさわりのない話題を隣に立つ男に振ってみた。
「……図書館に用事が?」
 充家がさっき出てきたのは市立図書館だった。
「――ああ。どうしても調べたいことがあって。けど、みつからなかった」
 あまり詳しく聞くと、また失敗するかもしれないと思えば、選ぶ言葉も慎重になる。 
「調べたいこと?」
「ガラスの細工の方法なんだけど。どうやって作ってるのかわかんない工程があったから、手順とかヒントとか知りたくて」
「へえ。けど、なかったんだ」
「専門書は少なくて、目当ての本は一冊もなかった」
 休日までガラスのことを考えてるのか、とその熱心さに感心した。仕事の話題なら構わないのか、充家もいつもと同じように普通に接してくれる。
「それ、調べられないと困るの?」
「困るかな。できれば来週中には知りたい。自分で試作してみたいし」
「ネットで調べて見れば? パソコン持ってる?」
「持ってない。坂井さんは持ってるから頼めば使わせてくれるかもしれないけど。けど、俺も坂井さんもあんまりパソコンには詳しくないし」
 そういえば、充家は携帯も旧式のものだった。携帯でネットにつなぐのも難しいかもしれない。
「だったらさ、俺んちこない?」
 考える前に、口から出ていた。え? と充家がこちらに顔を向ける。
「俺、デスクトップ持ってるから。それで調べれば本だって、細工の方法だって、検索すればなにかわかるかもしれない」
 充家は、はっきりと躊躇した。こちらの申し出に、受けていいものかどうかと迷う仕草をする。
「いや。いい。迷惑だろ、そんなの」
 また視線を逸らす。しかし遙士にしてみれば迷惑など、とんでもなかった。むしろ、役に立てるならこんなに嬉しいことはなかった。
「そんなことないよ。どうせ、今日は休みで暇だし。いつも仕事では助けてもらってるから、たまには恩返ししないとだしな」
 充家はポケットに手を入れて、その場に立ち止まった。遙士もつられて立ち止まる。
「仕事上でだったら、うまく付き合えるんだよな、俺たち」
 笑顔を作って呟けば、視線だけ動かし遙士を見つめてくる。瞳には、もう見なれた影が宿っていた。
「俺んちのパソコン、充家の役に立つと思う。知りたいこときちんと教えてくれるよ、きっと」
 逡巡する暇を与えないように、さらに誘いをかけると、充家は納得したらしく小さく頷いた。
 有料駐車場は目の前だったので、ふたりで車に乗り込んで遙士の学生マンションへと向かった。遙士のマンションと充家の工房、そして大学は三角形の三つの頂点に位置する場所にある。移動するには、どちらも徒歩で十五分ほどだった。
 三階にあるワンルームの遙士の部屋は八畳ほどのフローリングで、ベッドとパソコンデスク、スチールラックに備えつけの小さな冷蔵庫とミニキッチンがついている。掃除はそこそこしてるが、それなりに散らかっている。本や服をベッドの上に投げおくと、遙士は充家を部屋に招き入れた。
 窓際のパソコンデスクに座ってデスクトップを立ち上げる。充家はその横に立ち、画面を見下ろしてきた。
「えっと、じゃあまず、本から検索していくかな」
 充家から聞いたキーワードを頼りに、目的の本を探していく。すぐにそれらは見つかった。
 県内の図書館にその本がないか調べてみれば、他の図書館の蔵書の中に数点入っているのがモニターに表示される。充家から図書館のカードを借りて、彼の名前で予約を入れてやった。
「んじゃあ、他にもネットに情報がないか見てみよう」
 あちこちの工房や職人のサイトをまわって、使えそうな情報を探しだす。
 傍らに立っていた充家が身をよせてきて、画面を興味深そうに覗きこんできた。近づかれてドキドキしはじめたが、当の本人はモニターを食い入るように見つめている。その、真剣な表情にこっちの邪さが申し訳なくなるほどだった。
 プリンターを使って資料を印刷して、クリップでとめてわたせば、満足そうな表情につられて笑顔になる。仕事のことであっても、役に立てて嬉しかった。
「よかったら、さわってていいよ」
 充家をデスクの前に座らせて、飲み物を取りに立ちあがる。冷房は効いていたが、暑い日なので喉も渇いているだろう。一休みのつもりで冷蔵庫をあけてみれば、ラッキーなことに500mlの冷茶のペットボトルが一本あった。充家の作ったグラスを出してきて、冷茶をそそぐ。
 薄青と薄緑が混ざりあって、グラスは不思議な色合いになった。
「どうぞ」
 横から差し出すと、充家はグラスをみて、不意をつかれた顔をした。
「充家のグラス。気に入って買ってきたんだ」
 グラスは自分用しかないから、遙士はペットボトルから直接飲んだ。
「買ってくれたのか」
 手にして、少し掲げながら自分の作品を観賞する。
「すごく気に入ってる。俺、青色が好きなんだ。特に、薄いブルーが。だから、これの色、好きだよ」
「液体酸素?」
「え?」
「液体酸素の色だろ?」
「――あ、ああ」
 覚えてくれていたのかと、ちょっと驚いた。てっきり、あのときだけの話題になってしまったとばかり思っていたのに。
「来週には、装置、うちの研究室に設置しにくるだろ? そのときに見せるよ。液体酸素」
「うん」
「きれいだよ。酸素の色は」
 充家が手にしたグラスに、夏の陽が差し込んできていた。
 きらきらと光るその光の粒は、ブルーとグリーンを煌めかせ遙士の服の上に落ちて、模様を描きながら仲よく絡まりあって、そうして充家の動きにあわせて逃げていった。
「火曜日に、設置する予定だったな」
「うん」
 坂井ガラス工房での加工は全て終わっている。あとは、大学に運び込んで組み立てて溶接すればそれで終了だった。 
「ありがとう」
 調べ終われば、丁寧に礼を言って、充家は立ち上がった。
「車で送ろうか?」
「いや。歩いていくからいい」
 ファイルを手にして、玄関に向かう相手についていく。
「予約した本が駅前の図書館に届いたら、俺のパソに連絡入るようにしたから。来たらメールするよ」
「わかった。手間かけてすまなかったな」
「いいよ、別に」
 スニーカーに突っ込まれる足を、遙士も一緒に見下ろした。
「また……なんかあったら。いつでも……訪ねてきてくれていいから」
 言うべきかどうか迷ったけれど、もうこれで付き合いも終わるのかと思えば、誘ってもいいやという気になった。装置の設置が終われば、多分、会うこともない相手だ。
「ありがとう」
 充家はもういちど礼を言ったけれど、その顔には、それはない、と書いてあった。
 寂しさはぬぐえなかったけれど、こうやって最後まで誠実に仕事をこなしてくれたのだ。鬱陶しい相手に、それでも譲歩して、食事にも、部屋にも来てくれた。それだけは感謝しなければならない。
 充家を送り出したあと、遙士は外廊下の手すりにもたれて、相手が階段をおりて外に出てくるのを待った。
 しばらくして、充家がエントランスから顔をだした。うしろを向いているので、遙士には気づいていない。
 歩き去る後姿を、消えるまでの暫しのあいだ、名残おしげに見送った。



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