夜明けを待つベリル 12
◇◇◇
火曜日は朝から坂井ガラス工房の軽トラが大学にきて、研究室に充家が作ったパーツを運び込んだ。
新聞紙で包まれたガラス配管が詰まったダンボール箱がいくつも実験室に積みあげられる。
部屋には事前に基礎部分が作られていた。床にコンクリートの土台が鎮座し、その上に細いステンレス棒が縦横に組み合わされている。ここに、充家の作ったパーツを固定しながら溶接していくのだった。
複雑なガラス細工と器具の接合品をひとつずつ取りだしては、取り付ける場所を確認して、大きな部分はクランプで固定し、小さなガラスパーツは結束バンドで仮止めしていく。
結束バンドの部分はステンレス棒にぶら下がるようになっているため、ガラス管が少し危なげに揺れている。なるべく隣同士がぶつからないように、足りない部位はないか、間違えて設置していないか、ひとつひとつ設計図と照らし合わせながら縦横に並べていった。
全部で畳二畳分はある大がかりな装置だったから、間違えて組み立ててしまったらあとで大変な手間になる。
「すべて接合するのに、今日一日で終わる?」
バーナーの準備をする充家に問いかける。
実験室には、遙士と充家しかいなかった。教授はちょうど講義に出てしまっていたし、よくわかっていない学生らに手伝わせるのには不安がある。ぜんぶ自分で確認しながら作っていきたかったから、助手は無しにした。
「夕方には終わると思う。教授の変更が入らなければ」
充家の言葉に苦笑する。
一緒に仕事をするのも、今日が最後だ。これが終われば、坂井ガラス工房との取引も終了する。このあとに変更が入れば、些細な点であれば大学のガラス工作室に任せることになるだろう。遙士も少しはガラス細工ができるのだし。
パーツのすべてを棒にぶら下げて、主要な部分から溶接していく。充家がガラス管の端を溶かして横の部分とを繋ぎ合わせていった。それを、設計図に目を通しながら、傍で見守る。
一時間ほどそうしながら装置をつなげていたが、中腰で作業をしていた充家が、腰を伸ばすようにしたのを見て、「少し休む?」と声をかけた。
「いや。先は長いし。まだ大丈夫」
そう言って作業に戻る。いつも工房で長い吹き竿をまわし、拳二つ分ほどのガラスを扱っている充家にしてみたら、ここでの作業は細かいだけだろう。それでも、節だった指先は慎重に、丁寧に回路の上を動き、繊細な仕上がりを見せていっている。遙士はそれに見惚れた。
充家の目は真剣そのものだった。手の届きにくい場所には、顔を近づけ目を細め、ちゃんときれいに接合されているか、なんども確認作業をする。
学生が数人、実験室に顔を出し、充家と遙士を見つけては挨拶していった。女子学生が充家をみて、誰なのかしらという顔をしていく。そうして、皆、戻ってきては、遙士の横に立って、作業を見学しはじめる。
「近くのガラス工房の職人さんだよ」
と教えてやると、数人集まってこそこそとなにやら喋り出した。彼女らがちょっと頬を染めているのを横目でみながら、まあ、目を引く顔立ちだからしょうがないかな、とも思った。本人はそんなことはまったく意に介さず、仕事に没頭していたが。
「作業の邪魔になるといけないから、あっちいってな」
と、追いやるように手を振ると、いつもは遙士に好意的な女子たちが、「はあい」と不満げな声をあげながら去っていく。時計をみれば、そろそろ昼時だった。
「もうそろそろ、昼だから。いったん休憩しようぜ」
声をかけなければ、いつまでも手が止まらないような気がして、横から言ってみる。
「ああ」
答えて充家も自分の腕時計を確認した。バーナーを下ろして両腕を上げると、首を左右に振りながらごりごりと曲げる。やはり集中していたせいか、疲れはきているようだった。
「充家、ちょっと、こっちきて」
実験室の奥に手まねきして、遙士は旧式の実験装置の前まで充家を呼びよせた。
その装置では、朝からずっと実験が継続中だった。
「ここ、ちょっと見ててくれ」
新型とおなじ、ガラス配管でできた装置の、管がU字型に曲げられて、下の部分が液体窒素のポットに浸かっている場所を示す。遙士は、水筒ほどの大きさのコップ型ポットをそうっと下から抜きとった。
U字に曲がった、その底の部分に、5mlほどの薄いブルーの液体が溜まっていた。
「これ、言ってた液体酸素」
充家が顔を近づけてくる。ガラス管をじっと見つめて、ゆっくりと目を細めた。液体酸素は青い表面をすこしだけ揺らしながら波打っている。
「きれいだな」
充家の表情が和らいだ。
それを横で見守りながら、遙士もなんともいえず穏やかな気持ちになっていた。
「うん。でも、充家の作るガラスのほうがきれいだよ」
笑顔で言えば、真横の男が、ついとこちらを向いた。それで至近距離で目があってしまう。
身を引きそうになって、けれど相手の瞳に宿る力に捕らえられた。
近くで見ると、そのくっきりとした二重の形よさに息さえ止まりそうになる。魅力的で、力強くて、熱っぽい。
見つめていると、黒い睫がなにか言いたげにゆらめいた。
「……」
しかしそれも僅かで、すぐに充家はいつものように視線を伏せてしまった。
「自然のものは、どれもきれいだよな」
ぽつりと呟いて、ガラス管の前から離れる。
あまり長いあいだ液体酸素を常温に晒しておくと蒸発してしまって実験に悪影響がでてしまうので、遙士はまた液体部分を窒素のポットに浸した。
「……だよなあ」
作りかけの装置の前に戻りながら、遙士の胸は高鳴っていた。
今日が最終日。明日からはもう、一緒にこうやって話すこともない。偶然街で出会ったとしても、きっと、こんなふうには過ごせないだろう。そう思えば、共にいる一分一秒が名残おしかった。
「昼メシ、どうする? 装置はまだまだかかるだろ、よかったら――」
充家が弁当をもってきてないなら、学食にでもと言いかけたところで、足元からヘンな揺れがやってきた。
ガタガタと部屋全体が軋みはじめる。
覚えのあるこの感覚は――。
「地震?」
「ああ。揺れてるな」
足を止めた充家が装置に目を上げる。
「大きいかな?」
「ちょいまずいかもしれん」
ふたりして装置の前に移動し、結束バンドでゆるくしか止めていなかった場所に手をかけた。
それでも、ふたりだけでは手が足りない。遙士は装置に身体をくっつけるようにして、ガラスのパーツを守ろうとした。
「いつもより揺れてる」
ガシャガシャと嫌な音をたてて、作業途中だった部位が揺れる。不安定だったガラス管が、バンドから抜けて、床に落ちそうになった。
「まずい、ここ。抜けてる」
落ちそうになったパーツを両手と腹と、膝でステンレス棒に押し付ける。落ちたら今までの苦労が水の泡だ。
「充家、ここ、守って。これ、落ちそう」
自分の頭の右上部分が、揺れながらバンドからずれていく。遙士の背後から手を伸ばし、充家が圧しかかるようにして言われた場所を掴んだ。
充家のほうが遙士よりも若干背が高い。遙士が両手を伸ばして装置に身体を密着させてパーツを守り、その後ろから届かない場所を充家が手助けした。揺れるガラス配管を必死になって押さえつける。細い部分も多かったために、バンドの中でいくつものパーツが笑うように不気味に振動した。
せっかくの充家の芸術品をここでだめにしたくはない。遙士は身を挺して、ガラス器具を身体全体で覆いこむようにした。
不安な時間はいつもよりも長く、地震は余震を残しながら、長いときを経てやっとおさまった。
「……終わった?」
「みたいだな」
バンドから抜け落ちた部分を手と胴体部分で支えるようにしていた遙士は、揺れが収まっても動くことができなかった。身を引けば、いくつかの部分は床に落ちて割れてしまうだろう。
「充家、……動ける?」
後ろにぴったりくっついた相手は、遙士の右上に手を伸ばしている。左手もどこかを掴んでいるようだった。
「ちょっと……いや、まずい」
言いながら充家が、背後から腰をぐっと入れ込んでくる。
「えっ……?」
遙士の足のあいだに、充家の足が食い込んできた。
「ここんとこも、落ちそうだ」
「……」
どうにもならない状況で、動くこともできずにふたりは装置の前で拘束された。
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