夜明けを待つベリル 25(R18)


 ◇◇◇


 九月に入り、あと数日夏休みを残すだけとなった。
 まだ夏日は続いていたが、朝晩だけは少ししのぎやすくなってきている。
 弱いエアコンの音が響く部屋で、遙士はデスクトップに向かっていた。時刻は午後八時を過ぎている。充家はベッドにもたれて、雑誌をめくっていた。
 それを横目に、必要な資料をそろえて暇になった遙士は、ちょっとした好奇心でいつもは見ないサイトを検索してみた。
 ほんの少しだけのぞいてすぐに閉じるつもりだったのに、内容にひかれてつい見入ってしまっていた。
 気づけば音声を消した画面に釘付けになっていた。
「それなに?」
 背後から声をかけられる。
「あ、ああ。ちょっと興味があって」
 別に隠すつもりもなかったから、そのまま頬杖ついてスクロールをしたりした。充家は遙士が座っていた椅子に後ろから無理矢理身体を入れて、ぎゅっと腰を下ろしてきた。
「うえっ。狭いよ」
 前に押し出されるような格好になった遙士の腹に手をまわす。最近の充家はこうやって普通にスキンシップをとってくるようになった。遙士もそういうのは嫌いじゃないから好きにさせている。
「こんなのいつも見てんの?」
 首元にゆるく噛みつきながら尋ねてきた。
「うん。時々ね。やっぱ、それなりに知識は必要だろ?」
 うしろで動きが止まる。顔をめぐらせれば相手は不機嫌な表情になっていた。画面では男同士が絡む図があったり、経験談などの情報がよせられたりしている。いわゆる、ゲイのためのサイトだった。
「準備だよ。ココロとカラダの」
 お前のためにだよ、という思いをこめて唇を尖らせる。キスしてくれよと言外に望んだのだが、それはスルーされた。
「……なに? こういうの嫌い?」
 機嫌を損ねたらしい相手にお伺いをたててみる。男だったらこういうのは嫌いじゃないとは思うのだけど、充家はまったく興味を示さなかった。遙士自身は充家以外の男に興味を持てなかったから、画像を見てもどうという事はなかったのだが、相手がこういうものでどんな反応を示すのかは、見てみたいと思った。
「見て欲しくない」
 不愉快そうに目を伏せる。
「充家はこういうの、見たくないの?」
 画面にはモデルのような姿形の良い男が服を半分脱ぎかかっている写真がある。それにちらりと目をくれると、充家はまた遙士の首筋に噛みついた。
「俺はこんなの見るより、采岐を脱がすほうが楽しい」
「……」
 口がうまくないと言いながら、充家はときどき、こんな風にこっちがどきりとするようなことを言ってくる。きっと本人に自覚はない。だからこそ、たまに言われると破壊力があった。
 マウスを操作してデスクトップの電源を落とす。身体をひねり後ろの男に向きなおると、シャツの中に手が忍びこんできて、薄い腹筋をたどりはじめた。くすぐったい官能の予感に、鳩尾から直下して甘い痺れが股間にくる。
 腰から下に手がすべりおりてきて、太腿をささえられると、身体を持ちあげられた。デスクトップの乗ったパソコンデスクの上に、ひょいと座らされる。後ろ手で踏んでしまったキーボードがかしゃりと音をたてた。
「ちょ……、ここで?」
 問うまもなく穿いていたものに手がかけられる。ハーフパンツは抵抗なくするりと脱がされて、下半身が露になった。
 椅子に座ったままの充家がゆっくりと口をあけた。差し出された舌を見ると、快感を予期して、期待に背筋が震える。
 鮫肌、を連想させるそれが遙士の眠っている劣情の繭にやんわりと押しあてられた。茂みを手のひらでかき分けて、奥を舐めあげ新しい血を通す。
「ん……」
 両手で腿を割りひろげられ、誘うようにひくりとペニスを動かしてみれば、充家は首を傾げてそこに深く顔を埋めてきた。
「あ……あ、……あっ」 
 何度されても、そのつどたまらなく感じてしまう。充家の黒髪に触れて、指先を、こめかみ、頬、顎へと落とした。自分をくわえ込む顎の動きを感じとれば、すぐ果てそうになってしまう。
「充家……ここじゃなくて、ベッド。ベッド連れてってくれよ」
 んん、と相手が喉奥でうなって、返事をする。
 薄い唇から、濡れた肉幹が、脈打ちながら引き抜かれた。冷たい外気にさらされて、ため息が細くもれる。
 少し上気した頬に、充家が手のひらを添えてきた。うすぼんやりとした瞳で見返せば、熱のこもった視線で射止められる。遙士は目をとじて相手の首に腕をまわした。
 ベッドに移動して着ていたものを全部とり去ると、申し合わせたわけでもないのに、身体を折って互いのものに唇をよせあった。充家の中心も硬く反り返っている。手のひらで包み込んで熱を感じながら、舌を近づけた。
 先端に触れようとしたその時に、携帯の甲高い呼びだし音が部屋にひびきわたった。
 飾りもなにもない、ただの電子音に、思わずものを掴んだまま肩を跳ねさせてしまう。
「……びっくりした」
「俺のだ」
 充家が肘をついて上体をおこした。
 勃起させたままベッドを下りて、デニムパンツのポケットから携帯電話を取りだす。メールではなくて電話で呼ばれたらしい。耳に携帯を押しあてて、遙士の横で相手と話をはじめた。
 事務的な短い会話で電話を切ると、携帯を手にしたまま考え込む様子をみせる。
「どした?」
 ベッドから見上げれば、充家は困惑した表情をしてきた。
「坂井さんの奥さんから。俺のところに客がきたって」
「こんな時間に?」
「クレームかもしれない。すぐに戻ってきてくれって言われた」
「まじか」
 充家がベッド脇に放りだしてあった服を手早く身につける。遙士もそれにならって自分のものを引きよせた。
「送ってくよ。車だすから」
「いや。いいよ」
「けど、急ぐんだろ。いいよ。乗ってけよ」
「……悪いな」
 ふたりして、収まりきらないものを無理矢理下着に押しこんで身支度を整える。鍵を手にして部屋をでると、マンションの駐車場に停めてあった車に乗り込んだ。
 飛ばせば五分の距離だったから、あっというまに工房前に到着した。車で近づいていくと、事務所の玄関先にふたりの人物が立っているのが遠目に確認できた。
 暗い街灯のもと、ひとりは中年の女性で、工房主の坂井さんの奥さんと思われた。もうひとりは遙士の知らない男性だった。建物から少し離れた場所で車を停めて、サイドブレーキを引いてヘッドライトを消す。そうしながら隣に座った男をうかがうと、充家は薄暗いフロントをじっと凝視していた。
「……充家?」
 充家は前を向いたまま、シートベルトを外そうとする。
 意識は眼前の風景に捕らわれているのか、遙士が呼んでも反応しない。見ていないせいで手元が狂い、がちゃがちゃと不快な音をたてるベルトを無理に引き抜こうとした。やっとのことでそれを外すと、そのままドアをゆっくりとあけ、吸い寄せられるようにして外へ出ていく。
 あまりの不可解な様子に、遙士もシートベルトを外して表に出た。充家の後ろを追うようについていけば、ふたりを見つけた奥さんが明るい声で、充家の名を呼んだ。
「ああ、やっときた。充家くん、待ってたのよ。もう、つかまらなかったらどうしようって心配しちゃったんだから」
 大きく手招きしながら、少し赤らんだ顔で陽気に話しかけてくる。身体がふわふわと揺れていたから、酒に酔っているのかもしれなかった。
 充家はそれに返事もせず、横に立つ若い男を見つめた。遙士よりも少し低い背丈。明るい色の半そでシャツに、カーキのコットンパンツ。足元には大き目のボストンバッグがおかれている。
 青年は充家を見ると、遠慮がちに声をかけた。
「……兄さん」
 その言葉に、充家の足が止まった。杭で打たれたように動かなくなり硬直する。横に立った遙士も青年が発した言葉に同じように衝撃を受けた。思わず充家の顔を見かえすも、そこには驚きと恐れしかない。薄闇の街路で、みるまに血の気が引いて顔色が変わっていくのがわかった。
「弟さん、ここでずっと充家くんが来るの待ってたみたいだったのよ。もう、母屋の方に声かけてくれればよかったのに。でも、会えてよかったわ。あ、それから、あたしと旦那、今日は家にいるから。何かあったら声かけてちょうだいね」
 口元を押さえながら喋る奥さんからは、やはりほんのり酔っている人の雰囲気が漂ってくる。家で飲んでいる最中だったのかもしれない。充家を慮ってか、奥さんは早口でそう告げると「じゃあ、ごゆっくりね」と言い残して、工房裏手にそそくさと戻っていってしまった。
 残された充家は、目の前の人物を、まるで夢を見ているかのように茫然と眺めた。
「兄さん、……あの」
 青年が充家に向けて、恐る恐る一歩を踏み出す。弾かれたように、充家は後退さった。その拍子に身体が傾いだので、支えようと遙士が手をのばすと、その腕をすがるように掴んできた。
「充家。――おい、大丈夫か?」
 小声で問いかけると、「……あ、ああ」と、答えて体勢を立て直そうとする。それに、弟が思わしげな瞳を向けてきた。横で支える遙士を、この人は何なのかという表情で見てくる。
 遙士の方も、初めて見る充家の弟から目が離せなくなった。今の状況も忘れて、その姿に見入ってしまう。
 間近でみる充家の弟。その相手は、遙士が想像していたよりもずっと、整った容姿をしていた。



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