夜明けを待つベリル 33(R18)


「それがあって、もう、ここで覚悟をきめてちゃんと話し合いをしなきゃならないってわかった。逃げたりうまいいい訳なんかしないで、きちんと話をして。そうして、昔のように――、それは無理かもしれないけど、もういちど兄弟に戻れるように。努力をしないとって」
 不器用で真っ直ぐな性格だから、優二を説き伏せながら遙士とも連絡を取るという要領のいいことはできなかったのかもしれない。携帯を炉に投げ捨てて泣いたということは、優二は精神的にも不安定になっていたんだろう。
 昼のあいだは事故処理と工房の仕事に家のこと、それらを彼と共にしていたのなら、千葉に帰る理由である遙士に連絡を取ることは難しかったかもしれない。巧く立ち回ることは無理だったから、優二だけに向き合った。だから連絡はできなかった。きっとそういう事だったのだ。
 けれど、それで自分がないがしろにされたなどとはまったく感じなかった。むしろ、弟を大切にしようという、その誠実さが胸をうった。
「それで、そのあとは、家を出るまで毎晩、あいつと話をした。自分が抱えていたものや、本当の気持ちを……優のことは弟としてしか、見ることができないって。すごく大事ではあるけれど、恋人に持つような愛情はなくって。それは、千葉においてきた人にしか感じていないって」
「……うん」
「あんなことがあって、今更な言い分だとは思う。けれど、あの頃は俺もおかしくなっていた。アルコール漬けになりながら自分や優から逃げていた。けれど逃げ切れなくって、その鬱屈した思いが決壊してあんなことになった。それも、きちんと説明して謝った」
「……ん」
「俺が長崎を離れてからの四年間をどうやって過ごしたのか話して、アルコール依存症に陥って死にかけて、今も治療を受けてることを説明したら少しはわかってくれたようで、最後の日には空港まで見送りにきてくれたよ」
 遠い場所を望むように、面を夕暮れの空にむける。
「お互いに、四年のあいだ苦しんでたことはわかった。ふたりとも、四年前はまだ子供で、あさはかだった。自分のことしか考えていなかったんだよ。今なら、全部が明らかになれば、なにがどうなっていたのか、冷静に見ることができるんだけど」
 ぼんやりと、遠くに焦点をなげたまま話し続けた。
「采岐とのこともきちんと話した。支えになってくれてる新しい人ができたことを、納得して、受け入れてもらうのには時間がかかったけれど、最終日まで、毎日たくさん話をして……。優は別れぎわには、幸せになって欲しいって、笑顔で言ってくれた。もちろん、俺だって優にはそうなって欲しいと思ってる。優のことが大切なのは変わらないけれど……これからはもっと違うかたちで大事にしてやりたい。でないと、過去からはいつまでたっても成長できないだろうから。……お互いにさ」
 置いてきた過去、別れを決めてきた相手、捨ててきた慙愧。痛みなしで、ここに戻ってきたわけじゃないだろう。それでも、自分がいる未来を選んできてくれた。
「一度も、飲まなかった?」
 むこうにいる間に、と問いかける。もちろん、飲んでいないだろうことは分かっていた。それでも、確かめずにはいられなかった。
「ああ。飲んでないよ」
 目を細めて、口元を和らげる。数日間の滞在を思い出すようにしながら言った。
「何度も、親父や親戚や、仕事の人に誘われたり勧められたりしたけれど、ぜんぶ断れた」
「そっか」 
 Tシャツの中から、下げていたブルーの石を取り出して掲げてみせる。
「やばくなったら、いつもこれを握ってた。肌身はなさす持ってたからな。これを手にすると落ち着くんだよ。采岐の顔を、――笑ってる顔をすぐに思い出せるから」
「……」
「お守りだったよ」 
 遙士が、このモチーフを充家に渡してから、いつもそれを身に着けているのは知っていた。けれど、この石がそれほどまでに役に立っていたとは思いもしなかった。しかもそれを見て、自分のことを思い出してくれていたとは。
 知らず顔が赤くなって、遙士はそれを誤魔化すように目をそらせ、幾度もまたたかせた。
 話しながら歩いているうちに、遙士のマンションへと辿りついていた。階段を三階まで上がって、自分の部屋に来ると、遙士は鍵をあけて充家を迎え入れた。
 バッグを下ろす間もなく、強く抱きしめられる。
 息が上がるほどにきつく拘束されて、心地よさに目眩がした。首元に唇を押しつけられ、その熱さに背筋が震える。
「はやく戻ってきたかった」
 ささやかれ、たまらず遙士も相手の背に手をまわした。お互い背負っていたバッグを肩から床に落として、さらに深く身体を重ね合わせる。
 喘ぐようにして口をひらくと、そこへ充家が、熱のこもった唇で触れてきた。相手のシャツが裂けるほど強く握りこんで、その身をすがらせる。火照りはじめた肢体が、熱を発散させたくて内側からのたうちはじめた。もう一度手にすることができた肉体に、嬉しさと共に、同じほどの切なさも込み上げる。
 遙士からも舌を絡めて、縛りつけるように何度も強く吸いついた。
 半月の不在を埋めるようにして、たがいに相手を確かめるよう口内を貪りあう。背中にまわした手の下で、充家の肩甲骨と筋肉が滑らかに動きまわった。
 充家がシャツの裾から手のひらを忍びこませる。わき腹をゆるくなでられ、いつもより頼りげのない声がもれた。
「充家……、待って。先に、シャワー、……シャワー使わせてくれよ……」
 頬や唇に際限なく噛みついてくる男に、逃げを打ちながら懇願する。
 待ちきれないというように肌を貪っていた手がやっと止まり、着ていたものを脱がせにかかった。薄着の服はあっというまに剥ぎ取られる。互いに玄関先で裸になり、そのままシャワーを浴びに行った。キスを繰り返しながら水のようなぬるい湯を一緒に浴びて、バスタオルに包まりベッドになだれ込む。
 遙士はなにも身につけていなかったが、充家の鎖骨のあいだにはブルーのベリルが揺れていた。ベッドの上でもつれ合えば、硬い石は互いの体温に挟まれて熱を持った。
 充家が遙士の両頬を手のひらで包んで、何度も深く唇を重ねてくる。余裕のなくなった精悍な顔立ちに獣の本性をむき出しにして、噛みつくような濃厚なキスを繰り返してきた。
「……会いたかった」
 苦しげな声音でささやく。
「すっげー会いたかった……」
 耳から首へと歯をたてて舐めながら、舌を這わせ、そのまま食むようにしながら鎖骨に口づけ、官能を呼び覚ますように手のひらを胸へと滑らせる。それだけで皮膚の内側から燃えるような熱が昇ってきた。
 自分だって同じように会いたかった。けれどそれを言葉にすることはできなかった。そんな暇を与えずに、充家は遙士の身体に火をつけてまわる。触れられた場所から灼熱の炉に投げ込まれたガラスのように肌が溶けていき、細工師の手で形を変えられていった。
「ん、んんっ……」
 胸に吸いつかれて、くすぐったくて身体を捩ると、わき腹を掴まれた。引きよせられ、余計に甘い熱がこもる。それが下肢に集まりはじめてペニスを震わせた。
 充家が上体を起こしてキスを繰りだすたびに、下腹に硬い塊が打ちつけられる。それを感じながら、遙士は意識をベッドヘッドの上の出窓に向けた。
 出窓の隅にはワックスやコロンに混ざって、三週間ほど前に買い求めたジェルとコンドームがおいてある。目につくところに並べておいたから、きっと充家も気づいているはずだ。どうしてそんな所に置いておいたのかといえば、こちらは十分に準備ができていると教えるためだった。
 けれど、充家はいままでそれを手にしたことはなかった。ふたりでベッドに入るときも、充家は遙士の身体を昂ぶらせ解放させはしたが、自身を挿入させてこようとは決してしなかった。
 過去の記憶がそれを押し留めているのだとしたら、もうその必要はないはずだ。充家は長崎に帰ることで、自分の過ちが罪ではなかったと明らかにしてきたのだから。 
 いつものように充家は遙士の欲情の源を手のひらで包み込んできた。それをゆっくりと扱きだす。けれどそれだけじゃ、快感は遙士の方にしか得られない。一緒に感じたい。重ね合わせるだけでもだめだ。もっと、奥深くまで、ひとつになって痛いほどに感じさせて欲しい。
「充家……」
 舌を差しだして唇を請う。それに応えて、充家が自分の舌を与えてきた。貪るように食いつきながら、喘ぐようにして頼み込む。
「なあ……。充家、きてくれよ……」
 歯がゆいほど自分を律する男に、こちらからプライドを捨てて誘いかけた。
「俺ん中に、入ってきてくれよ」
 圧しかかる男の目が眇められる。遙士からはっきりと誘いをかけるのは初めてのことだった。けれどこちらから言い出さなければ、充家はきっと永遠に自分の中には入ってこない。
 最初の日に、充家は『絶対に、傷つける』と呻いて遙士から身を引いた。過去に捕らわれて、二度と同じ過ちを犯したくないと思っているのだろう。けれど、自分はそんなにやわじゃない。充家の心配は杞憂にすぎない。それをちゃんと教えて、離れがたくなるほど互いを感じ取りたかった。



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