ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 02


 白いシャツと黒のベストにネクタイ、黒のスラックス姿で、髪の短い精悍な顔立ちの男性だった。スーツ姿ではない。どこかの店のバーテンダーのようだった。
「なんだ。またあんたらか」
 陽向たちと男らを見比べて、怖がる様子もなく険しい顔で言い放つ。
「いい加減にしてくれよな。ここで騒ぎを起こすなって、何回言ったらわかるんだよ」
「はあ? 声かけてきたのはこいつらだよ。俺らは、因縁つけられてただけ」
 不良集団は、どう見ても嘘とわかる言葉をふてぶてしい態度で吐き捨てた。それにバーテンダーらしき男は、呆れた口調で言い返した。
「嘘をつけ。そこに転がってるのはなんなんだよ。あんたがやったんだろ」
 顎をしゃくって陽向を一瞥する。
「とっととここから出てけよ。目障りなんだよ。あんたらのせいでまた客が減るだろ」
「は。知ったことかよ。偉そうに」
 陽向を倒した男が、同じようにバーテンダーに足を振りあげた。バーテンダーはそれをかるくかわすと拳を作って相手に繰りだした。
 目にもとまらぬ速さだった。パシ、と音がしたと思ったら、男は後ろにのけ反った。
「てめえ、素人に手えだす気かよ」
 周りにいた男たちが殺気立つ。それにもバーテンダーは平然とした顔で答えた。
「こいつは素人じゃないだろ。プロ崩れだろうが」
 パンチを当てられた男が鼻を押さえながら、体勢を整えて凄む。
「てめえ。ぜってー殺してやる」
 血走った眼で相手を睨みつけるものの、バーテンダーは鼻で笑っただけだった。
「何回かかってきても、あんたは俺には勝てないよ」
「この野郎っ」
 男らが集団で相手に飛びかかろうとしたとき、バーテンダーの後ろからまた別の怒声が降ってきた。
「やめろおまえら。警察を呼ぶぞ」
 皆が一斉に振り返る。背後に中年の髭を生やした恰幅のいい男性がひとり立っていた。
 いきなり割って入ってきた年配者に出鼻をくじかれたようになって、男らは一瞬、襲いかかろうとした手をとめた。
「警察が来たら、まずいんじゃないのかい。ええ? 持ってるものも調べられるぞ」
 中年の男も、どこかの店の主人のようだった。エプロンを腰に巻いている。その台詞にストリート系の男らは、顔を見あわせて視線を迷わせ始めた。どうしようかというように、目配せしあう。
「倒れてるちっこい奴も、証拠品として一緒に警察に連れてってもらおうか」
 バーテンダーが告げると、それを機に男らは引きあげる体勢に変わった。顔をしかめ、暴言を吐きながらその場から離れていく。
陽向も手をついて、ヨロリと起きあがった。
 その時、目のまえを横切ろうとしていた男がいきなり足を振りあげた。避ける間もなく、股間を力いっぱい蹴りあげられる。
「――っ」
 電撃のような痛みが、急所に襲いかかった。
 経験したことのない激痛に声も出ずその場に蹲る。道路にゴロリと転がれば、無意識のうちに防御態勢を取ろうと身体が虫のように丸まった。股間を両手で押さえるも、痛みは許容できる範囲を超えていた。
「おいっ、この野郎!」
 バーテンダーが怒鳴ると、男らは嬌声をあげながら走って逃げていく。覚えてろよとか、借りは返すからな、とかお決まりの捨て台詞を投げつけながら、通りの向こうへと去っていった。
 バーテンダーは不良集団は追わずに、陽向に近づいてきた。
「あんた、大丈夫か?」
 見下ろして声をかけてくる。陽向は痛みに耐え切れず、脂汗を額に浮かべた。
「……ぇ、ええ……」
「大丈夫じゃなさそうだな、君、起きれるかい?」
 中年の店主が、しゃがみこんで陽向を助け起こしてくれる。
「礎(もとき)、とりあえずおまえの店に連れていこう。ここは人が通る」
 礎と呼ばれたバーテンダーがやれやれという顔をした。
「あんたら学生だろ。あんな奴らに声かけられて、簡単に付いて行ったらどうなるか、わかんなかったのか」
 学生はいっつもここいらで騒いだり面倒起こしたりして、俺らに迷惑かけるんだよ、と不機嫌に呟く。
「……すみません」
 消え入りそうな声で謝れば、バーテンダーは陽向の真っ青な顔を見て、それ以上はなにも言わなくなった。店主を手伝って反対側から身体を抱えあげる。
 陽向はすぐ目のまえにある『ZION(ザイオン)』という店に、多田たちと一緒に連れていかれた。そこは狭いバーだった。
 奥にひとつだけボックス席があり、陽向はふたりがけのソファに下ろされた。横でしゃがんだバーテンダーが訊いてくる。
「股間、蹴られたんだろ。痛みは?」
「……大分、痛いです」
 バーテンダーは、髭の店主と顔を見あわせた。
「病院へ連れていくか」
 店主が言う。屈んで陽向に「病院へ行った方がよさそう?」と尋ねてきた。
「……いえ。多分……大丈夫です」
 しばらく休めばよくなる気がする。蹴られたところは、ひどく痛むがさっきよりは許容できる範囲に治まりつつあった。
「痛いのなら医者にかかって診てもらった方がいいだろう。診断書ももらっとけば、後から警察に行って被害届もだせるよ」
「いや。それは……」
 警察に行って、そのせいで逆恨みでもされたらと怖くなる。自分だけならまだしも、桐島とかにとばっちりが言ったら目も当てられない。
「もう、関わりたくないんで、それは、いいです……。少し休めば、歩けます……きっと」
 そう言うと、店主とバーテンダーは、顔をよせあい相談を始めた。
「とりあえずアイシングして様子を見ましょうか。蹴られたところ見てたけど、大して力は入ってなかったから、ただの打撲だと思います。冷やして腫れと痛みが引かなかったり気分が悪くなったりしたら、その時は病院へ運べばいいかと」
 バーテンダーはそう言うと、桐島と多田に視線を移した。立ちあがり、ふたりのまえへ行く。
「こいつは俺らが見ておく。女の子は遅くなると危ないし、もう帰った方がいい」
 安心させるように笑みを浮かべれば、桐島は男の笑顔に魅せられたようになった。
「でも……大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。喧嘩の手当てはなれてるから。日坂(ひさか)さん、この人たち送ってってもらえますか?」
 後ろに控えていた店主に声をかける。日坂という髭の店主は頷いた。
「ああ、そうだな。彼は我々が面倒みるから。君らはもう帰った方がいいよ。僕が通りの入り口まで送っていくから」
 陽向だけをおいて帰るのを、どうしようかとためらう友人に、陽向は痛みをこらえて声をかけた。
「……俺、大丈夫だから。少ししたら、歩けると思うし。先に帰ってていいよ」
 にこりと笑って、手をあげて見せる。陽向が笑ったことで安心したらしく、ふたりは日坂の言うことに大人しく従って店を出ていった。
 三人がいなくなると、バーテンダーは「ちょっと待ってろ」と言い残して店の奥に入っていった。店には、カウンターに客がひとりいるだけだった。
「上城(かみじよう)さん、なにがあったの?」
 客が尋ねてくる。
「ちょっとそこで、いざこざがあったんですよ」
 上城と呼ばれたバーテンダーがそれに答えた。すぐに手にバスタオルと、密封式ポリパックに氷水を入れたものを持って陽向の元へと戻ってくる。
「俺も金的打撲は経験あるけど、なんともなければそのうち痛みは治まる。けど、悪くなる一方なら、内出血か睾丸破裂してるかもしれないから、そうしたら病院へ行かないと」
 怖い台詞を言われて、小心者の陽向は竦みあがった。
「……まじですか」
「まず冷やして三十分ほど休んでみな」
 男は陽向の腰のあたりにバスタオルをかけて覆うと、「自分でできる?」と訊いてきた。
「……はい」
 陽向は力の入らない手で、コットンパンツのまえ立てをくつろげた。
 上城からアイスパックを受け取り、タオルの下へ押し込めようとしたが、うまくいかず手が滑ってしまう。
「あ……」
 アイスパックはぺたり、と音を立てて床に落ちた。拾おうとしたけれど、痛みで身体が言うことをきかない。半眼でうつろな表情の陽向を見て、上城は仕方なさそうにため息をついた。
「それじゃあ無理そうだな」
屈んでアイスパックを拾いあげる。
「やってやるから、足、ひらけよ」
「……はい。……すいません」
「野郎同士だし、別にいいよな」
「……はい、いいです」
 恥ずかしさより、この痛みを取ってくれるのならどうにでもして下さいという心境で、言われるがまま足をひらいた。



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