ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 03


 バスタオルの下で、上城が陽向のパンツと下着をさげる。腿に手を添わせて、蹴られて熱を持った部分を探るようにしながらアイスパックをさし込んできた。
「……ぁ」
 痛みの元に、氷が触れて思わずか細い声がもれた。ひやりとした感覚に、激痛がスッと引いていく。ぶるっと戦慄くと、肩を小さく竦ませた。
「どう?」
「……きもち、いい、です」
 冷たさで神経が麻痺していくのと同時に、身体が楽になる。鋭い痛みからやっと解放されて、安堵に表情が和らいだ。
「……ぁ、いい、かも」
 くたりとなった陽向を、上城が片手で支えてくる。薄目をあけて周囲を窺えば、上城がこちらをじっと見つめていた。
 陽向は曖昧な眼差しのまま、相手を見返した。陽向の顔色を観察しているのだろうが、目つきにはもう先程のような険しさはない。
 そして間近で見てみれば、この上城と言う男はすごく整った容姿をしていた。
 一重の目は大きく、切れ長で鋭い。端に向かって持ちあがり気味のまっすぐな眉に、鼻梁は高くしっかりと通っていて、そのために顔全体が力強く見える。さっきの喧嘩の手際といい、この人は拳闘かなにかをやっている人らしい。
 容姿は人並み、おっとりした性格で人と争うことは苦手、プニプニ癒し系キャラと桐島に評される自分とは真逆の人種だ。
 上城が、多分無意識にアイスパックを揺らすようにした。それが足のつけ根を冷やして、陽向はぴくりと身体を跳ねさせた。
「あ……」
 息を飲みながら小さく喘ぐと、上城はそんな陽向の表情に戸惑った様子を見せた。
「自分で、押さえられる?」
「あ、はい……」
 いつまでもお願いしているわけにもいかないだろうから、陽向はもぞもぞと腕を動かして、バスタオルの下の相手の手を探した。
 上城の手は、陽向の縮みあがった急所の下に添えられていた。赤の他人にそんなところを世話されているのが急にいたたまれなくなって、陽向は蒼白だった顔をさらに青くした。相手だって、男のものなんか進んで触りたくもないだろう。
「す、すいません……も、もう、自分で、あとは、できますから」
 アイスパックを上城の節立った手からそっと受け取り、陽向は男から顔をそらせた。上城はバスタオルの下から手を抜くと、タオルを陽向にかけなおした。
「ここでゆっくり休んでな。気分がよくなったら送ってってやるから」
 陽向の背中をゆるく擦ると、さっきとは違う優しげな声で労わってくる。その低く暖かな声に慰められて、陽向は「はい」と素直に返事をしていた。
 しばらくの間、上城はソファに横たわる陽向の痛みを和らげるように、背中や肩を撫で続けた。アルコールが残っていた陽向は、やがてやわやわとした心地よさに包まれて、いっときの眠りに落ちていった。
 三十分ぐらい寝ていただろうか。はっ、と気づけば、ソファの隅に上城が腰をおろし、陽向の腰のあたりを擦っていた。陽向の瞼があいたのを認めて静かに声をかけてくる。
「どう? 痛みは」
 薄暗い店内で、上城の後ろから暖かなオレンジ色のライトがさしてきていた。それが彼の輪郭を朧げに浮き立たせている。上城自身の表情は影になっていてよく見えなかった。
「……大分、治まって、きたみたいです」
「そう。ならよかった。これ、飲んで」
 口元にストローが当てられた。寝ている間に汗をかいていた陽向は、喉の渇きを覚えてそれに吸いついた。アルカリ飲料のひんやりとした甘みが口の中に広がる。ごくごくと飲みほせば、すうっと身体が楽になっていった。
「すいません」
 気遣ってもらって、済まなさに謝る。
「起きられるようなら送ってくよ」
 陽向は、伏していたソファから上体を持ちあげた。
「はい……もう、大丈夫みたいです。多分、歩けます」
 バスタオルの下で、はいていたものを整える。まだどんよりとした痛みはあったが、さっきよりずいぶんましになっていた。
「家に帰ったら、血尿出てないかチェックしときな。出てるようなら病院行った方がいい」
「……そ、そうですか」
 自分の身体からそんなものが出てきたらどうしようと、暗澹たる気持ちになる。恐がりの陽向が顔を青くしたのを見て、上城が肩をかるく揉んできた。
「痛みが引いたなら、多分、大丈夫だろ」
 上城はカウンターの中にいた若い男に、少し出るからと声をかけた。アルバイトらしい栗色の髪の青年は、はいと返事をした。
 ふらつきながらも立ちあがると、横から上城が腕を掴んでくる。
「あんたんち、遠い?」
「いえ、駅から歩いて十五分ぐらいです」
「なら、通りの入り口でタクシー拾おう。お宮通りには車は入れないから」
「すいません」
 腕を引かれて店を出ると、もと来た道を引き返した。さっきの四人組はもういないようだった。
 通りを抜ければそこは片道一車線の道路となっている。暗い歩道のはしに、タクシーが一台停まっていた。上城はまっすぐ車に向かうと、運転手に声をかけた。運転手が頷き後部ドアがあく。どうやら、まえもって電話で連絡しておいてくれたらしい。
「じゃあ、お大事に」
 陽向を後部座席にのせ、ドアを押さえながら上城が言った。
 街灯の下、片頬を少し持ちあげるようにしている。陽向はその格好よさに、同性ながらちょっとドキマギしてしまった。
「……ありがとうございました」
 礼を述べるのが精一杯で、気恥ずかしさに俯いてしまう。タクシーはすぐにドアをしめて発進した。
 振り返れば、暗い夜道に背の高いバーテンダーは見送るように立っている。
 陽向はシートにもたれて、まだ残る痛みと不思議な緊張感に、小さくため息をついた。


 ◇◇◇


 翌日、学校に行くと、桐島がすぐに話しかけてきた。
「陽向、昨日はあのあと大丈夫だった?」
「うん、なんとか一晩休んだら楽になった」
 息子の打撲を女の子と話題にするのは恥ずかしかったので、かるく笑って済ますと、桐島も「ならよかった」と笑顔になった。実は今もまだ少し痛みは残っていたが、そのことは黙っておく。
「あのバーテンダーさん、すごく強くてカッコよかったわよね」
 桐島がうっとりした顔で、思いだすようにしながら言った。
「だね。あの人がいなかったら俺らどうなってたことか」
 昨夜の騒動が脳裏によみがえり、陽向はぶるっと肩を震わせた。
 上城が助けてくれなかったら、本当に三人はあれからどうなっていたか。強請られて、有り金全部を取られていたかもしれないし、それ以上に悪いことになっていたかもしれない。
「ねえ、お礼しに行かない?」
 教室に入りながら、桐島が提案してくる。
「うん、それはしなきゃね、と思ってる。でも桐島は女の子だし危ないよ」
「早い時間なら、大丈夫なんじゃない? あたし、通りを突っ走っていくわよ」
 明るくて活発な桐島は、昨夜の出来事にもひるんだ様子はなくて、拳を徒競走の格好に持ちあげて見せてきた。蹴られて苦しんだ陽向にしてみれば心配だったが、きっと女の子にはあの悶絶するような痛みは分からないのだろう、お宮通りに向かうときも好奇心を見せていた恐いもの知らずな性格に、陽向は苦笑するしかなかった。
 多田と三人で全速力で駆け抜ければ行けるわよ、と桐島が言うので、まだ教室に現れていない多田にメッセージを送ってどうするか訊いてみることにする。用件を送れば、しばらくして返事がきた。
『わりい。俺、もうあそこには行きたくない。またあいつらに会ったらどうすんだよ。パスさせて。バーテンダーに世話になったのはおまえだろ? だったら、おまえだけ行けばいいんじゃね?』
 というなんとも自分勝手な内容が送られてくる。陽向は画面を確認しながら呆れてしまった。桐島にスマホを見せれば、彼女もドン引きする。
「多田とは友達やめるわ」
 ばっさり切り捨てた桐島と共に、仕方なくふたりだけでもう一度お宮通りに行くことに決めた。
 その日の講義が終わったあと、桐島と話しあって購入したお礼の日本酒を手に、お宮通りの入り口に再び立つ。まだ夕方の、陽の光が残っている時間だった。けれど通りの奥はやはり薄暗くて見通しが悪い。
「やっぱ、桐島は行かない方がいいよ。俺だけで桐島の分もお礼言ってくるから」
「えー。でも、あたし、あのバーテンダーさんに会いたいなあ」
 ふたりでどうしようかと迷っていたら、後ろから「あれ? あんた?」と声がかけられた。昨日のストリート系の男らかと、一瞬ひやりとする。
 振り向けば、そこには栗色の髪をした青年がひとり、買い物袋を手に立っていた。
「あ……、えっと、ども」
 陽向は、なんとなく見覚えのある顔に挨拶をした。



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