ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 04


「昨日のお兄さんだろ? あれからどうなった? 息子さんは元気?」
「あ……はい」
 それで、この青年が上城の店のアルバイトだと思いだした。陽向が店を辞するときにカウンターの中で働いていた人だ。
「おかげさまで、元気を取り戻しつつあります」
 ぺこりと頭をさげれば、青年は笑いながら桐島と陽向を交互に見てきた。
「どうしたの? こんなとこで」
「実は、その、今からお店まで行こうかなって思ってたところなんです。けど、彼女も連れてって大丈夫なのかどうか心配で」
「ああ、そうなの」
 青年は桐島に視線を移して、まじまじと眺めた。
「そりゃあ、こんな可愛い子連れてたら心配だよな。いいよ、俺が一緒に行ってやるから。そしたら大丈夫だよ。この辺の事情はわかってるし」
 可愛い子、と言われて桐島が嬉しそうな表情になる。確かに桐島は、学校でも評判の美人だった。手招きしながら通りの中に入っていくので、陽向と桐島は顔を見あわせてから、付いていくことにした。上城と同じ店で働いている人と一緒なら安心だろう。
 昨夜と同じ道を、青年は平気な顔で進んでいく。周囲を見渡しながら、恐る恐るあとをつけていく陽向と桐島を振り返ると、仕方ないな、というように苦笑いした。
「あんたら外の人から見たら、ここの通りは怖く見えるかもしれないけど、俺ら昔からここに住んでるもんからしたら、このへんは古い庭みたいなものだからさ」
 陽向と桐島に歩調をあわせるようにして、歩く速度をちょっと落とす。
「そうなんですか」
「うん。ここの通りは昔から寂れてて、以前は、地元のやくざも相手にしないような忘れられた場所だったんだよ。けど、駅表が開発されて商店街をあげて浄化を始めたもんだから、行き場を失くした奴らがこっちへ流れ込んでくるようになってさ。だから昨日みたいな奴もうろつく様になって、通りの評判も落ちて困ってるんだ。あいつら、最近この辺で悪さし始めたガキどもなんだよ。不法な商売したり、色々問題起こすから、ここいらの店主仲間で協力して注意してるんだ」
「そうだったんですか」
 だから、昨夜も上城らが助けに来てくれたのか。
 しばらく青年と話しながら通りを進んでいけば、覚えのある『ZION(ザイオン)』という看板が見えてくる。
「ただいまですー」
 青年が声をかけて樫の木の扉を押した。中から、「おう」という男の声が返ってくる。
「上城さん、お客さん連れてきましたよ」
 青年が先に店に入り、続けて桐島と陽向が、窺うようにしながら店内に足を踏み入れた。ふたりを見て上城が、おや、というように眉を持ちあげる。
「あの、昨日はどうもありがとうございました」
 陽向がカウンターの中にいた上城に頭をさげた。
「ああ。あれからどうだった?」
 上城は陽向を見ながら訊いてきた。
「……はい。おかげさまで、なんともなかったです」
「そうか。ならよかった」
 上城のまえまでいって、お礼ですと日本酒の入った箱を手渡すと、驚いた顔をする。
「こんなのしなくていいのにさ」
「いえ。お世話になったんで、あの、気持ちだけですが」
「悪いな。だったら、そこ座って。せっかく来てくれたんだから、一杯おごるよ」
「え、でも」
 桐島とふたりで揃って恐縮してしまう。お礼に来ただけなのに、おごってもらうなんて申し訳ない。
「一杯だけだよ。それ飲んだらすぐに帰れよ。女の子にはやっぱ、最近、この辺は遅くなると物騒になるから」
 と言われて、それならばと礼を言ってふたりでスツールに腰かけた。メニューをだされたので、陽向はハイネケンの小瓶を、桐島はバレンシアというカクテルをオーダーする。
「あんたら、学生?」
 上城が、メジャーカップでブランデーをはかりながら聞いてきた。
「はい、そうです。ふたりとも近くの大洋経済専門学校の二年です」
「ああ、そうなんだ」
 上城の言い方はそっけなかった。けれど冷淡というわけではない。これが普通の話し方のようだった。
 バレンシアの材料を加えたシェーカーを、かるい手さばきで数回振ると、冷やしたグラスに丁寧にそそぐ。薄いオレンジを飾って桐島のまえに滑らせれば、彼女はうっとりした目つきで上城を見つめていた。その気持ちはわからないでもない。陽向も同じように見とれていた。
「けどよかったですね、カレシさん、なんともなくて。カノジョさんも心配だったでしょ」
 横でグラスを磨いていた栗色の髪の青年が話に入ってくる。その言い方が、まるでふたりがカップルという前提のもとに話しているようだったので、桐島が慌てて否定した。
「ち、ちがいますよっ。これはカレシなんかじゃないですよっ」
 手を大げさに振り回して、声高に訂正する。きっと上城に誤解されたくないからだろうが、『これ』扱いに陽向は苦笑するしかなかった。
「あ、ああ、そうなんですか。それはすいません」
「陽向は単なる友達です。あたし、カレシなんていませんからっ」
 目のまえの上城をちらりと見あげる。あせった様子から、桐島が彼に惹かれ始めているのがよくわかった。
  けれど上城はその視線には気づかぬそぶりで、冷えて霜のついたロンググラスとハイネケンを冷蔵庫から取りだした。瓶の栓を抜くと、手なれた仕草でビールを注ぎ、泡をグラスの上部に綺麗にまとめる。
 長い指と、節だった手の甲が男らしくて格好よかった。この手が昨夜、自分の身体に触れてきてたんだよな、と思った瞬間、アイスパックの冷たさを思いだしてしまいヒクリと内腿が痙攣した。うっ、と目をそらせて、不埒な想像を頭から追い払おうとする。
「どうぞ」
 上城がコースターにのせて、ビールを差しだしてきた。
「……すいません。頂きます」
 瞳を伏せ気味にして、グラスに手をのばした。一口飲んで、冷えたビールで頭の中も冷やそうと努力してみる。けれど血流がよくなって、なぜか心臓もドキドキし始めてしまった。酒には強い体質のはずなのに。
 そっと目をあげると、こちらを見下ろしていた上城と目があった。漆黒の双眸は、静かに、けれど陽向の様子を観察するようにしている。普通にしていても鋭さのある眼差しだった。
「……えと」
 沈黙に耐え切れず、なにか話題はないかと口をひらいた。
「上城さん、は」
「え?」
「あ、えっと、お名前、上城さんなんですよね」
「ああそうだけど」
 そっけない口調は、他の客相手でもそうなんだろうか。それとも自分だけなんだろうか。あんなとこ、触らせたから不機嫌なんだろうか。戸惑いながら、ひらいてしまった口だから、とじることができずに話し続ける。
「上城さん、は、ボクシングとか、されてるんですか」
「ああ」
「昨日の、パンチが、すごかったから」
 上城はカウンターの上に残っていたものを片づけながら答えた。
「四年まえまで、アマチュアでボクシングをやってた。けど、今はやめてバーテンダーが本業。時々、体力作りのためにジムには行くけど」
「そうなんですか」
 なんでやめちゃったのかな、と思いながらビールを傾ける。なにか事情があったのだろうか。けれど知り合ったばかりなので、突っ込んで事情を訊くのは憚られた。
 上城が顔をあげて、周囲を見渡すようにする。なにか遠くのものを探すような眼差しに、つられるようにして陽向も面をあげた。
 淡いオレンジ色に照らされた店内を、ぐるりと眺めまわす。昨夜はよく見なかったけれど、ここザイオンの内装は新しく、落ち着いた趣味に飾りつけられていた。
 アイボリーの塗り壁に、こげ茶色の樫の腰板。壁には海外のビンテージポスターのコピーがかけられている。暖かな明かりを店内の所々に投げかけているライトのデザインも趣味がいい。狭いがくつろげる雰囲気があり、お宮通りの奥にあるにしては洒落たセンスのいい店だった。
 一杯だけという約束だったので、ふたりでグラスをあけると、礼を言ってスツールを下りた。
「アキラ、おまえ、ふたりを送ってってやれ」
「はい! わかりました」
 栗色の髪の青年が元気よく返事をする。陽向と上城が話をしている間、アキラというバイトはずっと桐島を構っていた。送っていけという命令に、喜んでカウンターから飛び出たところを見ると、どうやら桐島のことが気に入ったらしい。
 挨拶をして、入り口の扉を押す。桐島が頭をさげると、カウンターの奥で上城が微笑みながら見送ってきた。自分にも笑いかけて欲しいなと思う気持ちが胸の奥からわきあがる。そんな、同性の自分から見ても魅力的な微笑みだった。
お宮通りの入り口までアキラに送ってもらい、礼を述べて別れる。駅へと向かう道すがら、桐島がため息まじりにこぼしてきた。
「……上城さん、カッコいいわー」
「確かに。カッコよかったね」
 あんなイケメンはそうそういない。桐島がぼうっとなってしまうのも頷ける。



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