ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 05
「危ないからもう来るな、って言われちゃったけど、また行きたいなあ」
「だね」
賛成しながら、自分もまた行きたい気持ちになっていることに気がつく。
あの店の雰囲気もよかったし、彼にもまた会いたい。
「大人っぽくて素敵だし……。あんな人が彼氏になってくれたら、毎日楽しくすごせそうよね……」
夢見るような表情で呟く桐島の脳内では、もう彼との恋愛が妄想で始まっているようだった。
「上城さんって、歳はいくつなんだろうな」
ふと思いついたことを口にしてみる。落ち着いた雰囲気から自分らよりもずっと年上に見えたのだが、二十代後半ぐらいなんだろうか。
「二十五歳なんだって」
「え。そうなんだ。って、なんで知ってるの?」
「アキラさんに訊いたの。上城さんっていくつなんですかって。さっき話してるときに、教えてもらったの」
「へえ……。もっと年上かと思ったよ。やっぱり自分で店持ってマスターをしてるとしっかりしてくるのかな」
「そうなんじゃない。ちなみにアキラさんはあたしらと同い年。これはアキラさんが自分から教えてくれたんだけどね」
「なるほど」
桐島は歩きながらスマホを取りだして、操作し始めた。
「とりあえず、メッセージアプリでつながったから、情報ゲットしてお近づきにならなくちゃ」
「え? メッセージアプリ? 上城さんと?」
いつの間にそんなことしてたのかと、びっくりする。
「違う違う、アキラさんとよ」
「アキラさんに桐島、頼んだの?」
「まさか。あっちから訊いてきたの。あたしからじゃないわよ。ナンパされたの」
「ああ、そう」
アキラは桐島を気に入っていたようだったけど、手が早い。
「将を射んと欲すればまず馬を、ってね」
「アキラさんは馬かい」
呆れて見返せば、桐島は小悪魔のように微笑んだ。
「そ。アキラさんの話じゃ、上城さん狙いで、あのお宮通りをくぐり抜けて通いつめてる女性客が結構いるらしいのよ。負けてられないじゃん」
「……へえ」
確かにあの見た目なら、それもあるだろうと、帰り際に見せられた笑顔を思いだす。あんなの向けられたら、普通の女の子だったら一発でコロリと行きそうな気がする。
自分は男だからそんなことはないけどな、と思いながら、けれど胸の中でなにかがコロリと転がったような感触を覚える。
なに今の? と胸に手を当てて、陽向は正体不明の感覚に頭をひねった。
「陽向も協力してくれる? また、あの店に行きたいんだ」
「……ああ、いいよ」
答えながらも、うわの空になりつつ、陽向は自分の中の変化に小さな疑問を感じていた。
◇◇◇
陽向は、先月末に二十歳になったばかりの成人男子である。
今までの人生で、女の子と付きあったことは一回だけで、しかもキスどまりであった。その先へは、進みたいと思っていたがチャンスが巡ってくることはなく儚い恋は散ってしまっていた。そして、男を好きになったことは一度もない。
基本的に、自分は恋愛には奥手なのだと思っている。女の子とは友達同士のような関係を築く方が好きだったし、生々しいことにはあまり興味を感じない。草食系というやつなのかなあ、と考えている。
低い背丈や容姿もコンプレックスであった。身体は小さいのに頭は大きめで、見た目はぬいぐるみのようなゆるふわ感がある。けれど、恋愛に全く関心がないというわけではない。まあ、まだ子供の域を出ていないということなんだろう。桐島とも、いい友達ではあるがどうこうしたいという気は全然なく、彼女にしてみても陽向に対しては同様に、男としての魅力は感じていないようだった。
「で、アキラさんから得た情報によると、上城さんはここのジムに通っているらしいのよ」
上城と知りあってから数週間後、陽向は一軒のビルのまえに連れて来られていた。
ビルには、『山手ボクシングジム』という看板が掲げられている。一階がボクシングジム、二、三階がスポーツスタジオと示されていた。
学校帰りの月曜の夜。今日は上城の店、ザイオンの定休日だった。
「それで? 俺はなんで今日、ここに連れてこられたわけ?」
ふたりで看板を見あげながら、陽向は隣の桐島に質問した。
「陽向、ボクシングやる気ある?」
「……まじで訊いてんの」
そんなもの、生まれてこの方やりたいと思ったことなどない。殴りあうスポーツなんて、観戦するのも痛くてできない性質だった。
「だよねえ、仕方ない。あたしがやるしかないか」
「え? 桐島、ボクシングやるの?」
まさか、と手を振って笑う。
「二階のスタジオでボクササイズ教室やってるの。そこに時々、上城さんもアシスタントとして手伝いに入ってるらしいのよ。だから、そっちに入会してみようかなって」
「ああ、そういうこと」
桐島の恋の手伝いで、上城と殴りあうことになるのは御免だった。
「今日も上城さん、来てるみたい。ほら、見てみようよ」
桐島に誘われて、入り口のドアをくぐる。一階フロアには大きな窓がついていて、ボクシングジムの練習風景が見学できるようになっていた。
ジムでは七人ほどの男たちがトレーニングをしている最中だった。
サンドバッグを相手に汗を流したり、マットを敷いてストレッチをしたり、鏡のまえでシャドウボクシングをしていたりと、さまざまな練習に励んでいる。
「ねね、あれ、上城さんじゃない?」
桐島が指さす方を見てみれば、隅にあるリングの上で、Tシャツにハーフパンツという服装にヘッドギアとグローブをつけて立っている背の高い男が目に入った。確かに上城のようだった。
リング上にはもうひとり、若い男がいた。上城と同じ装備を付けている。
上城が若者に手招きするような仕草をすると、応じた青年が一歩まえに出た。ふたりは向きあい、確認を取るように何度か頷きあった。これからスパーリングをするらしい。
リングの外でベルが鳴ると、ふたりは拳をかるくあわせてから距離を取ってステップを踏み始めた。
陽向と桐島は、ガラス窓の外側からその様子を眺めた。
上城の動きは軽快で、まるで豹のように俊敏だった。相手に対してキレのある拳を、目にもとまらぬ速さで何度も繰りだす。体重や空気抵抗など存在しないかのように、かろやかに移動しては鋭いパンチを投げかけていた。
ヘッドギアの間から、射るような鋭い視線が見える。以前見た冷静な顔とは別人の、勝負に挑む拳闘士の瞳だった。冴えた表情が、整った容貌を際立たせている。
その姿から目が離せなくなった。
上城は陽向が見ていることには気づいていない。ただ目のまえの獲物だけに集中していた。
挑戦者と、彼の実力の差は歴然だった。素人眼に見ても上城の方が断然うまくて、動きに無駄がなく流麗だ。
陽向はボクシングには全く興味がなかったくせに、いつの間にか真剣に眺めていた。
「すごくステキよね」
「うん、そうだね」
バーにいるときとは全然違う、戦う姿がそこにある。格好いいと素直に思えた。
数分間、ふたりは対峙したあと、挨拶をしてお互いリングを下りた。そのまま中年のトレーナーらしき人と話を始める。
陽向と桐島は、まるで自分らが戦い終わったかのようにため息をついた。
「あのさあ、陽向」
「なに?」
ふたりとも、まだジムの中を窓越しにぼんやりと見つめていた。
「このまえから、何度かザイオンに通ってるじゃない」
「ああ、うん」
数日まえに、お礼を言いにザイオンを訪れて以来、陽向は桐島に付きあって、その後も何度か店を訪問していた。もちろん付きあってとはいえ陽向は嫌々ではなく、どちらかといえば自分も行きたい気持ちで誘いにのっていた。
まだ学生の身分の陽向は、今までは居酒屋ぐらいしか行ったことがなかったから、バーの静かな雰囲気の中でお酒を楽しみながら歓談するという、知らなかった大人の世界を経験して、それがすごく気に入ってしまった。
陽向と桐島は、大抵いつもカウンターに座って、数杯お酒を飲みながら上城やアキラと雑談をする。上城はあまり口数が多い方じゃない。初見のときから変わらず、そっけない態度で接してこられる。けれど嫌味な感じは全くない。むしろそれが、寡黙なバーテンダーというキャラを作りだしていてとても魅力的だった。
目次 前頁へ< >次頁へ